イケア1号店は2006年にオープン。現在国内9店舗展開する。(時事通信フォト=写真)

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■もともとは17歳の少年が始めた通信販売会社

イケアと言えば、日本でも人気のある世界的な家具ブランドですが、もともとはスウェーデンに住む17歳の少年が始めた小さな通信販売会社でした。同社がグローバル企業として成長できたのは、「ダイナミック・ケイパビリティ」が高かったからだと言えるかもしれません。

ダイナミック・ケイパビリティは、経営戦略のフレームワーク(枠組み)の1つです。フレームワークとは、複雑な現象を単純化して理解するための“眼鏡”のようなものです。その中でも、ダイナミック・ケイパビリティは比較的新しい考え方で、簡単に言えば、「変化を生み出す能力」です。

今、世の中はグローバル化やテクノロジーの急速な進展などにより、環境変化が激しく、先が読みにくくなっています。そのような状況で、企業が持続的競争優位を確立するには、常に変化を先読みし、その変化に合わせて保有する資源を組み替えて対応していくことが必要です。その能力をダイナミック・ケイパビリティと言います。

■ポーターとバーニーの違いとは

経営戦略には、2つの代表的なフレームワークがあります。1つは、マイケル・ポーターの「ポジショニング・アプローチ」です。ポジショニングとは、競合に対して有利な位置取りをすることです。競争を左右する5つの外部要因である(1)新規参入の脅威、(2)企業間の敵対関係、(3)代替製品・サービスの脅威、(4)買い手の交渉力、(5)売り手の交渉力に注目し、これらを分析し、競争が激しくないところを選んで競争優位を確立しようというのがポーターの考え方(「ファイブ・フォース・モデル」)です。

企業の外部環境を重視したポーターに対して、企業の内部環境、すなわち社内にある資源の重要性を強調したのがジェイ・バーニーの「資源ベース論」です。価値(Value)、稀少性(Rarity)、模倣困難性(Inimitability)、代替不可能性(Non-substitutability)の4つの要素(VRIN)を持った資源を確立することが、持続的競争優位につながるという考え方です。

■変化に対応できる企業とできない企業の差は何か

いずれの考え方にも前提があります。つまり、ポーターの戦略は「環境は安定している」という前提、バーニーの戦略は「VRINの要素を持った資源を一度確立すれば、その有効性が続く」という前提です。しかし、先述の通り、現在は環境の不確実性が非常に高くなっています。次々と新しいテクノロジーが生まれ、競合は業界の壁を越えていきます。そのような状況では、競争優位な資源も変化していくはずです。そこで、ダイナミック・ケイパビリティが注目されるようになったのです。

ダイナミック・ケイパビリティは、1990年代後半にカリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクール教授のデビッド・ティースが提唱した考え方です。まだ新しい概念だけに、研究者によってさまざまな考え方がありますが、ここではティースの考え方を中心に紹介します。

ケイパビリティとは、企業が持っている資源を価値のある活動に変換するために必要な知識や能力、プロセスのことで、組織の力と言ってもよいでしょう。ケイパビリティには、一般的ケイパビリティとダイナミック・ケイパビリティの2つがあります。一般的ケイパビリティとは、ものづくりや資材の調達、マーケティングなど、オペレーションを円滑に実行するための力です。それに対して、より高い次元から、そうした一般的ケイパビリティを適切に組み替える力がダイナミック・ケイパビリティです。

■なぜ富士フイルムは生き残れたのか

ダイナミック・ケイパビリティの有無が企業の将来を大きく左右した例として、イーストマン・コダックと富士写真フイルム(現・富士フイルム)が挙げられます。21世紀に入り、デジタルカメラが普及し写真フィルム事業が衰退する中で、コダックは12年に経営破綻してしまいました。一方の富士フイルムは、医療機器や化粧品をはじめ、多角的な事業を展開しています。このように、同じ資源・ケイパビリティを持っていても、環境変化に対応できない企業と対応できる企業が存在します。その差は、環境の変化に合わせて、あるいは変化を先取りして、資源・ケイパビリティを組み替えるダイナミック・ケイパビリティを持つか否かで決まると言えるでしょう。

一方で、ティースは「シグネチャ・プロセス」、すなわち企業の歴史に根差した物事の仕方も大事だと述べています。創業者のビジョンや企業の歩みを変化に反映させてこそ、他社に模倣できない強みになっていくというのです。変化といっても、それまでの企業の歩みを無視した仕方では、競争優位の確立は難しいでしょう。

■経営に必要なのは「タテ糸」と「ヨコ糸」

イケアの歴史を振り返ってみましょう。同社は、スウェーデンのイングバル・カンプラードが43年に設立しました。通信販売会社としてスタートし、やがて家具も取り扱うようになります。そして、51年には商品を家具に絞り込みます。しかし、競合との間で価格競争が激しくなり、質も低下します。そんな状況で、カンプラードは、質を落とさず、さらに安価にできるよう「両利き」の努力をしました。例えば、家具は形がバラバラで、輸送コストがかかります。そこで、家具を客が家で組み立てるスタイルを導入することで、商品をフラットな状態で輸送でき、輸送コストを下げることに成功しました。

やがて、安くて人気のあったイケアは他の家具販売業者から警戒され、家具の見本市から閉め出され、家具を仕入れることもできなくなってしまいました。すると今度は、東欧の家具業者を取り込んで家具を内製化。さらに、郊外に大型の店舗を設けました。当初は注文を受けた従業員が商品を倉庫に取りに行っていましたが、対応が間に合わなくなり、客が直接商品を取りに来る形に変更しました。こうして、現在の店舗の原型ができていったのです。

時間の経過とともに、環境は変化していきます。いち早く問題を発見し、資源・ケイパビリティを組み替えて対応する姿は、まさにダイナミック・ケイパビリティの好事例と言えます。

■創業者の価値観や企業の歴史までは模倣できない

また、カンプラードは、イケアの価値観を従業員の間で共有することにも自覚的でした。76年に『ある家具職人の言葉』の中で「より快適な毎日を、より多くの方々に」というイケアのビジョンや価値観を示します。84年に出版された『未来は可能性に満ちている』には、先述のようなイケア誕生の歴史がまとめられています。イケアのシグネチャ・プロセスは従業員の間に理解され、今日まで受け継がれています。

本田技研工業を本田宗一郎さんと二人三脚で世界的な企業に育てた藤沢武夫さんは、経営を布にたとえて、「布を織るとき、タテ糸は動かずずっと通っている。(略)タテ糸がまっすぐ通っていて、はじめてヨコ糸は自由自在に動く。一本の太い筋が通っていて、しかも状況に応じて自在に動ける、これが『経営』であると思う」(『経営に終わりはない』藤沢武夫著)と述べています。ティースの言葉に置き換えれば、タテ糸がシグネチャ・プロセス、ヨコ糸がダイナミック・ケイパビリティと言えます。

イケアが世界的な企業になって以降、同社を模倣する企業は出てきていますが、イケアのように成功した企業は現れていません。商品デザインや店舗レイアウトなど、目に見える部分は模倣できても、創業者の価値観や企業の歴史までは模倣できないということでしょう。創業者のビジョンや価値観を従業員の間で共有する仕組みをつくり、タテ糸を軸に変化する経営をやってきたことが、イケアの強みではないかと思います。

(慶應義塾大学商学部教授、南開大学中国コーポレート・ガバナンス研究院招聘教授 谷口 和弘 構成=増田忠英 写真=時事通信フォト)