上原さくら 空白の3年間を語る「精神科入院、友人の急死…」
「4月から大学2年生になりました。学校には毎日通っていて、友だちからは“さくらさん”とか呼ばれることが多いです。先日は39歳の誕生日を迎えたのですが、みんなが集まってサプライズパーティを開いてくれて。恥ずかしかったけど、なんだか嬉しかったですね」
笑顔でそう語るのは、上原さくら(39)だ。調停の末、13年4月に離婚が成立した上原。さらに同時期には所属事務所との契約が終了していたことも、後に判明していた。
「正直、前の事務所を辞める前後のことはほとんど記憶にないんです。というのも当時は精神的な病気で半年以上入院していました。病室には鍵がかけられていて、中から開けられない。『私は何もおかしくないのに、なんでここにいなきゃいけないのかな?』と思っていましたが、振り返ると自分の状態も把握できないような状態だったのだと思います」
実際、本誌は同年3月、神奈川県内にある医療施設の精神科で入院生活を送る上原を目撃していた。一連の離婚劇は、彼女を深刻な状態へと追いやっていたのだ。
「退院してからも外に出るのが怖くて、半年以上自宅からほとんど出ない生活が続きました。心配して友だちたちが来てくれたりもしましたが、すっかり殻に閉じこもってしまっていました。『私の人生なんてどうでもいい』、『死んでも構わない』とさえ思っていました」
そんななか、転機となったことは何か。記者が質問すると、上原は突然涙を流し始めた。
「入院していたとき、いつも私を心配してくれていた友人がいました。デビュー当時から親しかった男の子で、彼も芸能の仕事を辞めて実家のある熊本で生活していました。でも私を心配してわざわざお見舞いに来てくれて。何度も『大丈夫だよ!』と励ましてくれていました。退院して、ようやく少しだけ外に出られるようになった私は、彼のいる熊本へ行こうと思っていました。でもそんな彼が突然、亡くなったんです……」
胸の奥に詰まった悲しみを絞り出すかのように、彼女はこう続ける。
「もともと体も丈夫じゃなく持病の薬も飲んでいた子でした。でもあんなに励ましてくれた彼が亡くなるなんて信じられませんでした。お葬式でのご両親やご家族はとても悲しそうでした。その姿を見て私は、ハッとしました。死んでも構わないと思っていたけど、それがどれだけまわりを悲しませるのかわかっていなかった。私はこれまでたくさん周りに迷惑をかけてきた。なのに、勝手に死ぬなんてダメだと痛感しました。家族や友だちが安心してくれるようにならないと。そう思ったことが自分を変えてくれた気がします」