北条かやさん

働き盛りのアラサー女子。仕事、結婚、出産と、ライフステージの変化に直面し、社会と自分を見つめ直す機会も多いでしょう。そんなとき一助になる『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)が上梓されました。アラサー女子のメンタリティーを、幼少期に影響を受けたであろうアニメ『美少女戦士セーラームーン』から読み解く一冊です。

アラフォー男子でありながら、アラサー女子以上に、セーラームーンを愛する、著者・稲田豊史さんと、1986年生まれの「セーラームーン世代」であり、『整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)を著した北条かやさんに「アラサー女子とセーラームーン」「セーラームーン世代と男性論」「女性の幸せ」をテーマに対談していただきました。

セーラーマーキュリーとスクールカースト

北条かやさん(以下、北条):『セーラームーン世代の社会論』を大変興味深く拝読しました。私はまさに「セーラームーン世代」なのですが、放映当時はセーラーマーキュリー(水野亜美)派でした。

稲田豊史さん(以下、稲田):当時、マーキュリーは、ぶりっ子だとか優等生ぶってるとか言われてましたよね。

北条:本書に書かれている、水野亜美さんのキャラクター分析と、彼女に自己投影する視聴者の特徴が、僭越ながら当たっていると思いました。天才少女に憧れがあって「友人グループではどこか冷静な自分でいたい」「チームに所属しつつもリーダーではない」「特別なポジションで自分をキープしたい」……。

私自身、中高生時代、スクールカーストの中で、自分のキャラ設定に悩んだことがあったのですが、「亜美ちゃんキャラ」を確立することでスクールカーストから逃れられることができたという経験がありました。

稲田:それは興味深いですね。周囲のアラサー女性に聞くと、放映当時、セーラーマーキュリーを支持する少女は少数派だったようですが、当時10代とか20代の文化系男子には一番人気だったんですよ。「頭は良いけど影がある」というのは、後の色々なアニメのヒロインにもよく見られた特徴です。『新世紀エヴァンゲリオン』(95年10月〜96年3月放映)の綾波レイとは、髪の毛の色まで一緒ですしね。

セーラームーン世代はスペックが高い

北条:水野亜美は、ある意味、綾波レイ的な存在の先駆けなのですね。ちなみに稲田さんは「セーラームーン世代」なんでしょうか。

稲田:いや全く。高校生の頃に放送が始まったので、完全に外側から見ていました。

北条
:だからこそ、これだけ客観的に分析されているのでしょうか。

稲田:そうかもしれませんね。そもそも「セーラームーン世代」に注目したきっかけは、ここ数年、アラサー世代の女性とお仕事をご一緒する機会が多かったことです。すごく仕事がしやすいんですよ。みなさん優秀というか、「男並みに働かなくちゃ」と肩肘張ることもなく、基本スペックが高い人が多いという印象で。そんな彼女たちの根底に共通するものは何だろうと思っていたら、何人かの彼女たちの口から頻繁にセーラームーンの話題が出てきたんです。

北条
:そこから彼女たちを育てたアニメ『美少女戦士セーラームーン』が見えてきたというわけですね。ちなみに私は『美少女戦士セーラームーン』(92年3月〜93年2月)と『美少女戦士セーラームーンR』(93年3月〜94年3月)を経て、『美少女戦士セーラームーンS』(94年3月〜95年2月)まではかなり真剣に見ていたのですが、『美少女戦士セーラームーンSuperS』(95年3月〜96年3月)になると、小4になったので見なくなってしまったんです。

稲田:周りを見ても、4年目の『SuperS』からだんだん離れていった人が多いですね。最終シリーズの『美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』(96年3月〜97年2月)まで見ている人は少数でした。1年目から見ていた子が成長して見なくなったのもあると思いますが、単純に『SuperS』以降は視聴率が低いんですよ。本書を執筆するにあたって、DVDで5年分、1話から200話まで全て見直したのですが、『SuperS』は事実上の主役がちびうさになっていたり、『セーラースターズ』になると学園ドラマっぽくなったりして、それまでの闘う少女たちの崇高な物語という側面が薄れていってしまうんですよね。

稲田豊史さん

助けてくれない? タキシード仮面の存在意義


北条
:私にとって印象的なシーンは、次々と仲間が倒れて、ひとりひとりが様々な方法で死んでしまう回です。自己犠牲的で、仲間の連帯感に感動して泣いてしまいました。小学1、2年生頃かと思うのですが。

稲田
:それは最初のシリーズの最終回ですね。最後に、月野うさぎ(セーラームーン)だけが残ります。本書にも書いたのですが、最終回に限らず、彼女たちが危機に瀕しても、タキシード仮面は最後まで面倒を見て救ってはくれないんですよね。敵の注意を逸らしたりはするのですが、最終的にフィニッシュを決めるのは、うさぎちゃんを始めとした女の子たちですから。

北条
:斎藤環さんの『戦闘少女の精神分析』や、斎藤美奈子さんの『紅一点論』にもセーラームーンについての言及があり、「セーラームーンも最終的に『まもちゃん』(地場衛/タキシード仮面)に助けられている」というフェミニズム的視点からの批判があったかと思うのですが、そうではないということでしょうか。

稲田
:たしかに、それについては様々なご意見があるかと思うのですが、タキシード仮面がいても、結局、直接戦闘するのは5人の女子チームですよね。タキシード仮面は直接攻撃できる必殺技を持っていませんし。先日、セーラームーン世代の女性と話したんですが、彼女もタキシード仮面は正統派ヒーローではないし、助けてくれる王子様ではない。ちょっとダサい存在だと当時から思っていたそうです。

女子会に馴染むタキシード仮面系男子の出現

北条:しかし一方では、タキシード仮面は、女子集団に溶け込める「優しさ」があります。私の身近でも、女子会にすぐ馴染む男子が増えている実感がありますが、タキシード仮面も完璧な王子様というより「私たちの味方でいてくれる男子」という感じがありますよね。

稲田
:母性をくすぐる弱い部分もありますね。すぐ悩んじゃったり、敵に洗脳されたり……。一言で言えば面倒臭い男ですよ。最終的には、いつもうさぎちゃんに助けられていますし。同世代の女の子にならともかく、大学生の地場衛(タキシード仮面)が中学生のうさぎに助けられる、母性に包まれる、というのはちょっと異常事態ですよ。

北条:当時、高校生だった稲田さんは、タキシード仮面をどのようにご覧になったのですか?

稲田:最初は普通にヒロインを助けるヒーローなんだろうと思って見ていたんですが、途中から、敵に洗脳されてセーラームーンたちの邪魔をしたり、幼い頃のトラウマに悩んだりしはじめたので、なんだこれはと。『エヴァンゲリオン』における碇シンジくんを彷彿とさせるというか。ヒーローどころか、こいつ足手まといなんじゃないかと思うようになりました。

北条
:タキシード仮面は、「碇シンジ世代」ということでしょうか。

稲田:あるいは『ドラえもん』の野比のび太に近い気がします。本書でも触れた「のび太系男子」ですね。自分の弱さを女の子に見せることに対してなんの抵抗もない。むしろ繊細な自分の証だと誇っているフシがある(笑)。シンジくんもそうじゃないですか。昭和の感覚なら「男子たるもの、弱さを年下の女子に見せるとは何事か」となりますが、『セーラームーン』放映の92年当時にそうではない男性と女性の関係性を見せたところが、フレームとして新鮮だったのではないでしょうか。

か弱い「タキシード仮面系男子」の定着


北条
:タキシード仮面のように弱い男の子像は、以後、シンジくんや『もののけ姫』のアシタカにも見られますね。アシタカも優柔不断なところがありますし。私は初恋の相手がアシタカというくらい大好きなんですが(笑)。

稲田
:アシタカも人気がありますよね。あれもサンという最高に強くてカッコいいヒロインがいる上で存在する、優柔不断な男の子です。たしかにタキシード仮面とアシタカは通じるものがありますね。もちろん、作中で貶められているわけではなく、ちゃんと立場も役割も与えられているわけですけど。

『セーラームーン』放映終了後、90年代後半からは、繊細さを隠さない成人男性が世の中に増えたと思うんですよ。男性側にも、「こういう弱い男も“アリ”なんだ」という認識が植え付けられました。「情けない」とか、「女の子の母性に包まれるなんてカッコ悪い」ということもなく。タキシード仮面はそういうロールモデルを最初に打ち立てたという気がします。ただ、あまり繊細をこじらせると、碇シンジくんになっちゃいますが。

北条:碇シンジくんまでこじれると、アスカに最後「気持ち悪い」と言われてしまいますからね。

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(編集部)