天理教ヨーロッパ出張所

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欧州で日本の新宗教はどんな活動をしているのだろうか。以前コネタで取り上げた曹洞宗や神道という伝統宗教の他に、欧州には日本の新宗教も多く進出している。その中でも天理教は、パリで特異な存在感を放つ。なぜなら同団体は、宗教という枠にとどまらない、パリにおける日仏文化交流の大きな一翼を担っているからだ。

パリで天理教は目的別に施設を2ヵ所持つ。これが他の現地日本宗教に見られない点だ。

1つはパリ市内中心部シャトレにある天理日仏文化協会。この施設には、日本語とフランス語を教える「パリ天理語学センター」や、各種アートの展示室、演劇・ダンス・音楽を行う小劇場は「エスパス・ベルタン・ポワレ」として活動を展開している。同施設は天理教による運営であるものの、宗教色は除かれている。

一方でパリ南郊外アントニーにある「天理教ヨーロッパ出張所」は、宗教活動のための施設で、各種行事が行われる。

天理教はパリの施設を分け、一方を文化活動に特化させることで、政府系の文化施設・パリ日仏文化会館(独立行政法人・国際交流基金が運営)とともに、パリにおける日仏文化交流で主要な役割を担ってきた。

■宗教と分けたことで広がる繋がり
フランスで宗教を話題にする際、決して切り離せない言葉が「ライシテ(政教分離、宗教的中立性)」である。1905年に、政治をキリスト教の教会制度の影響から外すことを目的に定められた考え方だ。

結果フランスでは、学校をはじめ公的機関において、スカーフや十字架といった宗教を主張する物を身につけたり、表現することが禁じられている。公の場所を宗教的に完全中立に保つことで、個人における信教の自由を確保するためだ。

これがパリの天理教とどう関係があるのか? 天理教が持つ2施設のうち、前者の天理日仏文化協会は、語学教育と文化交流を目的として設立されたアソシエーション(非営利団体)である。ゆえに宗教活動を一切行えない。しかしこれが、結果的に宗教という枠に限らない、幅広い交流を天理日仏文化協会に呼び込むことになった。

同協会は、パリで展覧会や舞台発表をしたいアーティストに、発表の場を提供している。また展示会や各種公演を企画、開催したり、施設を安く貸し出し、芸術活動をサポートしている。安価であるゆえ、それのみでの運営は厳しい。よって併設する語学学校の収入で、芸術・文化活動の費用をまかなっている。同協会によれば、語学学校の収入の増減によって、芸術・文化活動へ充てる金額も変わる仕組みだという(新宗教が設立した学校に通うことに抵抗を覚える人も多いと思うが、パリの日仏カップルや日本人カップルの子供の多くは、日本語教育を受けるためここへ通い、現地日本人社会にとって必要な学校になっている)。

天理日仏文化協会は、政府系のパリ日仏文化会館を補完する役割も持つ。パリ日仏文化会館は、天理より施設規模が大きいため、扱う行事やアーティストが、どうしても有名なものに限られてしまう。それでは、これから伸びていく実力ある若手に、紹介のチャンスはなかなか回ってこない。そこでパリ日仏文化会館がカバーできない分野を、同協会で担当することがある。この関係は天理教が当初意図したことではなかったというが、結果的に今では良い相乗効果をもたらしている。

■文化活動と布教のバランス
文化活動で実績を上げてきた天理教だが、これら宗教色を押しとどめた活動は、信者のなかで賛否両論あるようだ。
もちろん文化施設を持つことで、日本に興味があるフランス人と広く付き合え、長期的な人間関係の構築は可能になる。対外的な天理教のアピールにも、結果的には繋がるかもしれない。

しかし文化事業はそれなりの費用がかかるわりに、本来の目的である布教に、パリでの文化活動がどれだけ影響を与えているか分からない。お金はかかるが、布教の効果をはっきりと定められないパリの文化活動は、その意義が伝わりづらいこともあるという。

フランス人に対する布教についても、天理教が持つ宗教上の性格が、難しさをもたらしている。なぜなら新宗教である天理教は、キリスト教などと比べて、教義の性格上、信仰の線引きが明確でないからだ。

例えば天理教に改宗の儀式は存在せず、信者であっても寺へ行ったら拝をして通るよう教えられるそうだ。また、家で天理教の神棚の隣に仏壇を置いていても、そこまで厳しくとがめないという(もちろん天理教のみに集中してくれた方が、天理教にとって良いに越したことはないが)。これら日本的な曖昧さは、論理的思考を強く求めるフランスにおいて、以前取り上げたフランスの神道同様に、説明が難しい。

ただし、この開けた宗教的性格は、宗教間の交流という点ではプラスに働く。パリの天理教では、カトリックの関係者との勉強会を企画したり、曹洞宗ヨーロッパ総監部の僧侶を招き、天理教の若手に対する講演を頼んでいる。現地代表者によれば、様々な伝統宗教から学ばせてもらいたい気持ちが多分にあるため、このような機会を積極的に設けているという。閉鎖的になりがちな新宗教において、天理教は他宗派との交流を盛んに行っているのだ。

宗教色を無くせば交流は広がるものの、海外に出張所を設置した本来の目的からは外れる。しかし(特に新宗教の場合)宗教色を強めれば組織は閉じこもりがちになり、外部との関係は限られてしまう。信仰と布教、文化活動とのバランスを保ちつつ、どのようなさじ加減で国や宗派を超えた交流を進めていけばいいのか。パリの天理教は、海外での宗教による文化交流の、1つのロールモデルを示そうとしている。
(加藤亨延)