取材に応じた佐藤亜紀さん(右)と母・理美さん

担任教師に人格を否定される―。小2女児には耐えがたいショックだった。不登校になって5年、今春、中学生に成長した女児はいまもショックを引きずっている。そして、先生が法廷で謝罪する日を待つ。

「死ね」「バカ」「くるくるパー」─。これは子どもの口ゲンカで発せられた言葉ではない。教師が授業中、児童をそう罵ったという。

さいたま市の中学1年・佐藤亜紀さん(12=仮名)が同市立小学校の2年当時、担任の50代女性教諭から冒頭のような暴言を吐かれたり、体罰を受け、心に傷を負って不登校になったなどとして、この担任と校長、教頭(いずれも当時)、事後対応にあたった別の校長、監督責任のある市を相手取り、謝罪や慰謝料543万円を求めた裁判が注目を集めている。

訴えているのは亜紀さんと母親の理美さん(47=仮名)。’13年11月の提訴から約1年半、事件を審理するさいたま地裁で口頭弁論が開かれるたび、ほかの児童の保護者や教育問題に関心のある若者が傍聴席に詰めかける。GW中の5月1日の審理は60人以上が傍聴し、ほぼ満席だった。

訴えによると、亜紀さんは’09年4月、小学校に入学。2年時に暴言や体罰を受けた。元担任の仕打ちについて日記にこう書いている。

《2年生になってから算数の時間で問題をといている時にできないとみんなの前で亜紀の事を、くるくるぱー、ってやったり、亜紀と目があった時に、くるくるぱーといってバカにした》

先生が「くるくるパー」とやっている絵=亜紀さんの小2時代の日記より

亜紀さんの話を聞く限り、元担任の言動は乱暴きわまりない。小学校低学年の児童を相手にして、教師が言うこととは思えなかった。例えば、’10年9月、亜紀さんは名札を忘れたことがあった。元担任は笑ったという。亜紀さんが「なんで笑うんですか?」と聞くと、「名札を忘れたから」とサラリ。

テストのとき、亜紀さんの後ろに元担任が立ち、「早く、早く」と急かし、背中を叩いたこともあった。

あるいは授業中、元担任が近づいてきて腕と髪を引っ張り、亜紀さんをイスから引きずり落とした。元担任は倒れた亜紀さんをそのまま引きずるようにして教室の出口に向かい、戸を開け、廊下に立っているように指示したという。

亜紀さんはこのとき、隣の席の児童に算数のやり方を聞いていた。しかし、元担任は「先生が話をしているのになんでしゃべっているの!」と大声で怒鳴り、亜紀さんを引きずったという。

ママに心配をかけたくなかったから

こうした行為は2年生のGW明けから始まり、亜紀さんは週に3、4回は廊下に立たされた。3時間以上におよぶこともあった。立たせられる場所は職員室から死角になる下駄箱近くや資料室だった。

算数ができないと「バカにした」という記述も=亜紀さんの小2時代の日記より

「他の教員の目につくのを避けるためだったのではないか」と理美さんは推測する。校長や教頭が通りかかることもあった。しかし、立たされている亜紀さんに声をかけることはなかったという。一部の教員は声をかけてきたというが、元担任の指導が改善されることはなかった。

亜紀さんは「お前はバカだ」「学校に来ないで」などと言われたことを覚えている。そして同年10月中旬から学校に行けなくなった。学校教育法は体罰を禁じている。文科省は行きすぎた行為として、「長時間の起立」をあげる。長時間にわたって児童を立たせるのは体罰だ。

当初、理美さんは元担任の暴言や体罰を知らなかった。亜紀さんは「学校に行きたくない」と言いながら、理由を口にしなかったためだ。次第に腹痛や頭痛が続き、夜泣きが始まり、「先生が怖い」と言い出した。

「ニコニコしている子なのに、笑顔がなくなっていった。手の甲が赤いときがあったが、先生に何度もつねられていたようだ」(理美さん)

夏休み明け、亜紀さんは爪を剥いだり、指の皮をむくなど自傷行為をするようになった。メンタルクリニックに通うことになり、暴言や体罰を受けたことを主治医に初めて話した。理美さんはこのとき、亜紀さんがされてきたことを初めて知った。言えなかったのは「ママに心配かけたくなかった」からだと、主治医を通じて聞かされた。

理美さんは病気を患っており、今でも杖を手放すことはできない。免疫系の病気も重なって治療が続く日々。亜紀さんは母親に気を遣ったのだ。

「余裕がなかったので、話すのがつらかったのかな。怒られると思ったんじゃないか」

事情を知った理美さんは校長に会いに行った。すると校長は「子どもの言うことを信じちゃダメですよ」と相手にしなかったという。さらに「(元担任は)くるくるパー、とは言っていない。(手遊びの)くるくるぽん、とやっただけ」と言い訳した。

大人の言葉は想像以上に子どもを傷つける

しかし、亜紀さんの心の傷は深く、心因性の難聴になった。4年生になると「死にたい」と言うようになった。

元担任の態度を学校側も問題視したのか「体罰・暴言等不適切な指導に関する調査」が行われている。理美さんは情報公開請求したが、「個人の権利利益を侵害する」などとして公開されなかった。

ただ、元担任の行為は保護者のあいだでは評判だった。理美さんは、亜紀さんの当時のクラスメートとその保護者に自ら聞き取りを始めた。同級生32人中、子どもと保護者の25組から話を聞けた。

《亜紀さんに対してもいろいろな形で暴力を振るったり、暴言を吐いたり、廊下に立たせたり、ボールペンで叩いた。理由は言わないのでわからない》(Aさん)

《先生のことでいちばん覚えているのは体罰です。かなり強く腕をつかむので、腕にあざがついた友達もいます。亜紀さんを叩いていたことは覚えています》(Bさん)

元担任による暴言や体罰の対象になった児童は、ほかにもいたようだ。

「周囲の人たちがアドバイスをしてくれたので電話や手紙から情報収集を始めた。すると、ほとんどの人が話してくれた。思った以上に亜紀のことを気にかけてくれ、うれしかった」(理美さん)

同じクラスだった男児の保護者は話す。

「息子に聞いたら”なんで掛け算ができないの? 勉強できない子は学校に来る意味あるの? なんで生きてるの? 生きている意味あるの?”と言われたそうです。学校に行きたくなかったようですが、”お母さんが心配するから言えなかった”と話していた。”亜紀ちゃんは僕よりももっとひどいことをされていた”とも言っていました」

1日に傍聴に来ていた女性は数年前、学校の廊下で元担任がヒステリックに男児を叱り飛ばすシーンを目撃した。

「男の子が鼻をかもうとしたのか、学校のティッシュを1枚抜いたとき、”自分が持ってきたティッシュを使うのならわかるけど、学校のティッシュをなぜ抜くの? それは犯罪だから警察に連れて行きます”と言っていた。見ていてびっくりした」(同女性)

小学校の卒業式。校長室で卒業証書を受け取るはずだったが、亜紀さんは受け取らなかった。「せめてもの抵抗だった」(理美さん)

今は中学生になり、小学校とは違う環境だ。しかし1日中、学校にいることができず、半日で疲れてしまい、帰宅すると寝てしまう。

元担任は退職したが、県境を超えて、都内の教育委員会で図書支援アドバイザーや、中学校で学校司書をしているという。理美さんは「抵抗できない子どもを支配しようとしていたのではないか。教育現場を辞めてほしい」と話す。

亜紀さんは「悪いことをしたのになんで逮捕されないの?」と言い、「時間を返してほしい」と願っている。

訴訟が進むさいたま地裁。司法判断は……

市教委は争う構えだ。市側は準備書面で「授業中に立たせることはあったが、原告側の主張する状況と違う」などほぼ全面的に否認している。

本誌の取材に「原告から、教員による暴行、虐待の主張がなされているが、そのような事実はないと考えている。それ以上のコメントは、現在、裁判が行われており、差し控えさせていただく」(市教委教職員課)と答えた。

市教委側が言うように暴言や体罰が事実でないとすれば、なぜ亜紀さんやほかの児童は”誤解”したのか。裁判は続く。

取材・文/ジャーナリスト・渋井哲也(しぶい・てつや) ●1969年生まれ。長野日報の新聞記者を経てフリーに。若者の生きづらさ、学校問題、自殺などを取材。著書に『学校裏サイト』(晋遊舎)、『気をつけよう!ケータイ中毒』(汐文社)、『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)や『明日、自殺しませんか』(幻冬舎文庫)など。近著に『復興なんて、してません』(共著、第三書館)。