一つの時代が終わる。ドルトムントユルゲン・クロップ監督退任のニュースに、そんな感慨と寂しさを覚えた。

 練習場やスタジアムで、選手よりも大きな声援を浴び、サインを求める行列ができてしまうのがクロップだった。2008年に監督に就任すると、経営的にも順位的にも低迷していたドルトムントを立て直し、バイエルンの唯一のライバルとなった。走力をベースにしたさわやかなサッカーは、ブンデスに新風を吹き込んだ。チャンピオンズリーグ(CL)でも決勝に進出し、欧州中から注目を浴びた。

 だが、そんな功績だけによって彼の人気が高まったというわけではない。試合中、得点シーンで喜びすぎて肉離れをしてしまうような情熱と笑顔、ユーモア溢れるコメントの数々。純粋な生まれつきの人気者。そんなクロップがドルトムントを去る。

 クロップの人気を証明したのが、シーズン中にもかかわらず、インターネットで生中継まで行なわれた15日の退任会見だ。アーセナルのベンゲル監督は「サーカスのよう」と表現したが、ドイツ中の興味、関心を呼ぶこととなった。CLどころかヨーロッパリーグ出場権獲得さえ怪しくなった今季、唯一残るドイツ杯のタイトル獲得に向け、最後のカンフル剤として機能するはずだ。

 193センチの長身と派手なアクションから豪放磊落な人間と思われがちだが、実はそうでもない。

 2010〜2011シーズン以降、ドルトムントが練習を公開する回数を減らしたのはクロップが嫌ったからだと言う。ドイツでは練習を一般公開するケースがほとんどで、ドルトムントのような人気クラブであれば常に大勢のファンが練習場につめかける。だがクロップは静寂な環境での練習を優先させた。練習場の周囲には何もなかったため、当初は遠目から練習の様子を覗くことが可能だったのだが、現在は練習場を囲うように目隠しが設置されている。その性格はむしろ神経質にも感じられた。

 クロップが退任を発表し、DFフンメルスやMFギュンドアン、ミキタリアンといったドルトムントの選手だけでなく、すでにクラブを去ったMFライトナー(現シュツットガルト)なども、SNSにクロップとの2ショット写真を掲載し、感謝のコメントを添えた。その全てが、クロップとハグをする写真だった。

 スタジアムでは選手の目を見つめ、力強く抱きしめるクロップの姿が見られた。印象に残るのは2011〜2012シーズン、優勝を決めたボルシアMG戦で香川真司がゴールを決めた後のシーンだ。走り出したクロップは、まるで子供のように香川を抱き上げた。

 その直後、香川がマンチェスター・ユナイテッド移籍を決めた時には「ここはお前の家だから、いつでも戻ってこい」と、泣かせるコメントで送り出した。2人の関係がわかる温かいエピソードには事欠かない。

 今季は低迷するチームを象徴するかのように、香川の胸ぐらをつかんで怒鳴りつけているように見える写真が出回ったことがあった。でもそれは熱さの表れに違いない。クロップと選手の間には親密なコミュニケーションがあった。一方、香川が復帰した際に、負傷を隠してプレイしようとしたことには怒りを隠さなかった。「シンジはケガを隠していた」と、わざわざメディアに語ったのは、期待の大きさの裏返しだったのかもしれない。

 2010〜2011優勝メンバーであるFWバリオス(現モンペリエ)は、チームを離れた後、指揮官に「自分に戻る場所があるか?」と、直接電話をかけてきたことがあるという。ユナイテッドで出番を失った香川がドルトムントに戻りたいと思ったのも、そして戻ることができたのも、クロップがいたからこそ。ドルトムントはそんな求心力を失う。

 最大の理解者を失う香川の今後について心配する前に、クロップがいるドルトムントの姿をきっちり目に焼き付けておきたいと思う。

了戒美子●文 text by Ryokai Yoshiko