立川談志は夫人のことを「ノンくん」と呼んでいた。ノンくんこと則子夫人は父親が読売新聞社の記者として働いていた堅い家に生まれ、第一生命ホールで働いていたときにまだ二つ目で小ゑんと名乗っていたころの談志と知り合った。夫・24歳、妻・22歳の若い夫婦が出来上がる。だが談志は則子夫人が自分の住む古い世界の色に染まることを嫌い、徹底して落語界から遠ざけた。通いでやってくる弟子たちにも、自分の家族の仕事は絶対させ