「すごく努力してきたと思いますよ。ここまで来るのに」

 それが、前園真聖氏の第一声だった。引退からおよそ10年。自分と入れ替わるように現れた本田圭佑を、ピッチの外からつぶさに見つめてきたからこそ、その成長ぶりには目を見張るものがあるようだ。

「本田はもともとすごくテクニックがあるわけでもないし、スピードもありませんでした。2008年北京五輪のときもチームの"駒"のひとつという感じで、特別な選手ではなかった。しかも結果は3連敗(0−1アメリカ、1−2ナイジェリア、0−1オランダ)。本田だけではありませんが、あの大会では世界を相手にまったく歯が立ちませんでした。

 でも、オランダ(VVVフェンロ)でプレイするうちに、彼は大きく変わりました。一番はやはり、ゴールへの意識が強くなったこと。ゴールを決めるためにドリブルで仕掛けていくようになった。それまでは周りを使うプレイが中心で、自分で突破していく場面はそれほど見られませんでしたから。

 そんなふうに自ら仕掛けていくためには、相手に走り勝たなければいけません。そのために本田は、相当なトレーニングを積んだはずです。そうしてスピードが上がり、当たり負けしない身体の強さを手に入れたことで、彼のプレイの幅がとても広がりました。それでも、2010年の南アフリカW杯を迎える時点では、まだ日本代表の中心というような存在ではありませんでした。あのときの代表は"中村俊輔のチーム"でしたからね。

 ところが、大会直前の戦術変更で本田が抜擢されることになった。そして、初戦のカメルーン戦(1−0)でゴールを決めるわけです。このことをラッキーだと思う人もいるかもしれませんが、僕はそうは思いません。だって普通はできませんよ。それまでやったことのない1トップを突然「やれ」と言われてできるものじゃない。

 でも彼は、見事にやって見せました。きっと、自分が何をしなきゃいけないのか、その役割を明確に理解していて、どういうプレイをすればいいか、具体的にイメージできていたんだと思います。だとしてもなかなかできるものじゃないですが、彼はそのイメージを実際にプレイで実践した。

 もしカメルーン戦のあの(先制)ゴールがなかったら、あの試合を勝つことはできなかっただろうし、あの大会でベスト16に進むこともなかったと思います。そして、本田の未来も違っていたかもしれない。キープ力をはじめとしたプレイ面と、戦術理解も含めたメンタル面の両方で準備ができていたからこそ、彼はチャンスをモノにすることができたわけです。

 特に感じるのは、精神的な部分ですね。突然の抜擢ではあったけど、プレイについてだけでなく、自分がチームの中心になっていくようなイメージを彼はもともと持ってゲームに臨んでいたと思います。だからチャンスがめぐってくるし、そのチャンスをモノにすることもできる。

 そして、結果を出すことで、自然とボールが集まってくるから、さらにいいプレイをすることができるようになる。大会が進んでいくにつれて、存在感がどんどん大きくなっていき、デンマーク戦(3−1)あたりでは彼自身も自信に満ちあふれていました。そうなると(1点目の)FKも入るし、(3点目の)岡崎慎司のゴールをアシストしたような余裕のあるプレイも出てきます。

 その後の彼の存在感についてはご存じのとおりです。今回のW杯に際しても「優勝」という言葉を彼は口にした。そんなことを言った選手は過去にいませんよ。

 もちろん、それを聞いたとき、初めは「さすがに無理だろう」と思いました。でも彼がそう言って、周りの選手もそれに呼応した。ついには、チーム全体がそんな意識を持ってやっているのを見ているうちに、「もしかしたら本当にやってくれるんじゃないか」と、僕らの意識まで引き上げられた。

 結果的には実現しませんでしたが、でも彼の言葉の持つ力はすごかった。プレイだけでなく、本田が発する言葉やメッセージが、チームに強い影響力を与えてきたし、また彼自身、それを意識して言葉を発していると思います。」

中田英寿」の名前を前園氏が口にしたのは、そんなふうに本田の影響力について語っているときだった。「チームの中での存在感と、発言が注目されるという意味ではヒデと似ているかもしれませんね」と。

 しかし、「立ち位置は似ていますが、でも......」と話は続く。

「ある時期まで本田はヒデを意識していたと思います。チームの中でのポジションの作り方とか、自分をプロデュースしていくやり方とか、ヒデに憧れていた面はあったと思う。

 でも、ロシア(CSKAモスクワ)でプレイするようになった頃から少し変わってきた。より明確なメッセージを発するようになったりして、ヒデとは別の"本田圭佑"を作り上げようとしているように、僕には見えました。

 そして、そんな本田を包む周囲もヒデの頃とは随分違っていました。ヒデは、チームの中でひとり突出していた。彼と同じ目線を持てる選手がいなかったということです。海外でプレイしている選手がいなかった僕らの時代はもちろん、ドイツW杯の頃でさえ、すでに海外組はいましたが、やっぱりヒデだけが特別だった。だから、ヒデの言葉に共感できる選手はほとんどいなかったはずです。ツネ(宮本恒靖)がそのギャップを埋めようとしていたけど、結局うまくいかず、チームもいい成績を残すことができなかった。

 でも、今の代表はそうじゃない。本田と周囲の選手の間にギャップはない。だから、彼の言葉も受け入れられる。それどころか、ライバル意識を持っている選手さえいます。

 そんなふうに考えると、時代の流れを感じますね。」

川端康生●構成 text by Kawabata Yasuo