※資料提供:東京私学教育研究所所長清水哲雄先生

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「私立校はお金持ちが行くところ」「私立校には予算がたくさんある」「私立校は利益のためにやっている」などの数々の誤解・偏見については、前回コネタ記事で取り上げた通り。

では、実際の「公立校と私立校の違い」って何なのだろうか。
東京私学中学高等学校協会常任理事で、東京私学教育研究所所長の清水哲雄先生に伺った。

●「実験校」としての国立・「地域性」の公立
「国立は『実験校』的色彩の強い学校です。たとえば、双子を優先的に入学させ、発達過程と遺伝子の関係について研究を行ったり、小中一貫教育の可能性と問題点を研究し、国民に公表したりといった目的があります。また、地方運営の公立は、人口を加味した均一性や地域性があり、『地域に根ざした学校』と言えます」

●私立校には独自の教育理念がある
国・公立校と、私立校のいちばん大きな違いとは?
「私立の大きな違いは、『建学の精神』『独自の教育理念』を持っていること。誰かが『私ならこういう教育をする』と手を挙げ、それに賛同する人々がいて、そこに生徒を預けたい人々がいて、初めて学校ができます」

建学時には「伝道・布教」「宗教的ミッション」「世界的に著名な教育学者(モンテッソーリなど)の理論に基づいたもの」のほか、地方に多く見られる「公立に受からなかった子」などを受け入れる「補完校」的役割もあるそうだ。
ただし、そうした理念は時代の変化に応じて変わってきている面もある。

●私立校は「多様性」に応える存在
では、私立校は世界のすべての国にあるのだろうか。答えは、「ある国と、ない国がある」。
「私立校はそもそも『私ならこう教育する』という強い思いを持った誰かが手を挙げ、その『理念』のもとに発信していく存在です。ところが、独裁国家・専制国家においては、こうした者は面倒くさい存在になってきます。基本的人権の一つに『学問の自由』もあり、自由に発信できるというのは民主主義国家ならではのこと。『国家が決めたもの以外の教育を受けられる権利』ということで、民主主義国家を構成する国民の“多様性”に応えているんです」

国は大きな所帯であるため、何かやるためには、法律を作るなどの必要性があり、手間も時間もかかる。だが、ある程度の規模の集団であれば、小回りがきくため、専門性も持てるし、先進的な試みに取り組むことができる。
「国は、国民の教育を受ける最低限の権利を保障します。つまり、どこに住もうと、どのような経済状態であろうとも、同質の教育を受けることができるよう、国民各層の税金を使って教育体制を作ります。 そのため、公立に理念があるとすれば、それは『等しい教育機会を与えること』であるはずです」

一方、私立に関しては、国民の持つ様々な自由権に裏打ちされた私立校が存在し、文科省等に制約されることなく、多くの独自性を持った私立校が直接国民に対して責任を負いながら独自の教育活動を続けているそうだ。
「そして、その総体として多様な教育が行われていることが、民主主義国家の発展のために、大変重要だと考えます。国は、民主主義の発展のために、公立校と共に私立校をも保護する必要があり、そのために私立校に対して財政面での支援を行っているわけです」

そういえば、昔から公立校でよく聞くのは「できる子はどこに行ってもできるし、放っておいてもできる」「下の子をいかに真ん中に近づけるか」というフレーズ。国は「真ん中」、いってみれば、既製服のMサイズを作る教育であり、そこから外れる「Lサイズ」や「Sサイズ」をカバーする、いわば「専門店」が私立校ということだ。そう思うと、私立校への財政支援が必要だという理由も頷ける。

●教員の異動があるか、ないか
「公立校は基本的に数年間で教員が異動します。でも、私立校は異動がないので、卒業して10年後に行っても先生がいる。だから、親子で同じ学校に通うことはたくさんあり、三代一緒なんていうケースもあるほどです。『母校は母港』と言っているんですが、戻ってくると、ちゃんと同じ先生がいて、校舎があるのが、私立校。また、建学の理念は不変でも、その時代に合わせた新しい教育実践が常に行われており、まさに不易流行の精神を持ち続けているのも私立校だと思います」

「教育理念」や「校風」を感じるのは、特に地方出身者にとっては高校が初めてだった人も多いのではないだろうか。
でも、今は地方も学区制がなくなってきているし、東京では公立中学すら「自動的に割り振られて近所の学校に通う」時代ではなくなってきている。学校選びの大切さを、いまさらながら痛感してしまうのだった。
(田幸和歌子)