子どもの貧困、女性の貧困、世界の貧困、日本の貧困『世界「比較貧困学」入門』の深刻
20歳の頃、香港からエジプトまで、旅をしていた。
バックパックを背負って7ヶ月あまり。なんども、物乞いに声をかけられた。
裸の子どももいた。
「1ドルでいい。学校へ行きたいんだ」
僕は、旅の間中一度も「ほどこし」を与えることはできなかった。
『世界「比較貧困学」入門』は、日本と発展途上国とを比較することで、貧困問題の実態を明確にしようとする新書である。
著者の石井光太は、20代の頃から世界を旅してきた作家。アジアにおける貧困層の生活を描いたノンフィクション『物乞う仏陀』でデビューし、これまでスラムやストリートチルドレンに関する本を数多く執筆してきた。
本書では「絶対貧困」と「相対貧困」という二つの概念が用いられる。
絶対貧困とは、1日1,25ドル以下の暮らしを指す。世界で12億人、およそ6人に1人が当てはまるという。
相対貧困は、少しややこしいので簡単に言おう。
日本の場合は単身所得が約150万円以下の人々の暮しを指す。国民の約2000万人、つまり約6人に1人が該当する。
先進国のなかで日本は、イスラエル、アメリカに次いで3番目に相対貧困率が高い。
(正確には、等価可処分所得が全人口の中央値の半分未満の世帯員が相対貧困と定義されている)
本書の構成は以下のとおり。各章のサブタイトルに注目してほしい。
第1章:住居 ───コミュニティー化するスラム、孤立化する生活保護世帯
第2章:路上生活 ───家族と暮らす路上生活者、切り離されるホームレス
第3章;教育 ───話し合う術をもたない社会、貧しさを自覚させられる社会
第4章;労働 ───危険だが希望のある生活、保障はあるが希望のない生活
第5章;結婚 ───子どもによって救われるか、破滅するか
第6章;犯罪 ───生きるための必要悪か、刑務所で人間らしく暮らすか
第7章;食事 ───階層化された食物、アルコールへの依存
第8章;病い死 ───コミュニティーによる弔い、行政による埋葬
前者が絶対貧困、後者が日本における相対貧困の様相である。
途上国の貧困者らはバラックの建ち並ぶスラムに住んでおり、富裕層や中間層の居住地から隔絶されている。その人数は都市の住民の過半数を占めることも珍しくない。
そこでは民族、出身地、宗教ごとに人々が集まり、コミュニティーが形成される。治安も悪く、空地を不法占拠しているので、自分たちの身は自分たちで守らねばならない。したがって、言語や慣習など、お互いに理解し合える仲間が必要となるのだ。
コミュニティーは、セーフティーネットの役割も果たす。たとえば、事故で一定期間仕事ができなくなった者は、仲間からカンパされることで生活することができる。いつ自分が逆の立場になるのかわからないからである。
また、貧困層は若年での結婚が顕著で、子どもを数多く産むことのできる女性が重宝される。自身が老いたときに助けてもらえる可能性が高まるというのが理由のひとつ。しかも育てることができない場合、余裕のある家庭が世話をするという不文律が存在する。
一方、日本ではどうか。
貧困者たちは各地に点在している。かつては経済的に貧しい者たちが集まる地域が存在したが、戦後の経済成長にともない解体された。そのなかで人々の繋がりは希薄になっていった。
セーフティーネットとしての役割は、コミュニティーから公的福祉制度に移行した。それにはメリットもあれば、デメリットもある。
生活保護制度に依存するシングルマザー、経済的理由から独身でいるワーキングプア、独居老人の孤独死、そして「健康で文化的な最低限度の生活」以下のホームレス。
バラック住まいから路上生活へ落ちる落差がそれほど大きくない途上国と比べ、日本ではホームレスになると多くの場合社会から切り離される。
支援団体による復帰の手助けがあるにも関わらず、本人の強烈な劣等感や、アルコール依存症などの障害がそれを拒む。
人々は、村社会的なしがらみから「自由」になると同時に、現代的な「孤独」を発明したというわけだ。
著者はスラムのようなコミュニティーにある種の理想郷を見ているわけでは決してない。
絶対貧困の痛ましさは、現地で触れ合った者は知りすぎるほど知っている。ただ、そこにも確かにあった人間の尊厳が、現代日本では失われている部分があるということを指摘しているのである。
本書は、日本で生活する僕たちの「生きづらさ」の質が、途上国のそれとどのように異なるか、またはどの点で似ているのかを考える材料になる。
「貧しさ」の多様性を知ることは、「幸せ」や「豊かさ」の多様性を知ることだ。
日本に帰ってきた僕は、いつしかルポライターのまねごとをするようになった。
ひとりのホームレスといっしょに空き缶を集め、隣りで眠ったこともある。
今、彼に連絡をとる術はない。
(HK吉岡命)
バックパックを背負って7ヶ月あまり。なんども、物乞いに声をかけられた。
裸の子どももいた。
「1ドルでいい。学校へ行きたいんだ」
僕は、旅の間中一度も「ほどこし」を与えることはできなかった。
『世界「比較貧困学」入門』は、日本と発展途上国とを比較することで、貧困問題の実態を明確にしようとする新書である。
著者の石井光太は、20代の頃から世界を旅してきた作家。アジアにおける貧困層の生活を描いたノンフィクション『物乞う仏陀』でデビューし、これまでスラムやストリートチルドレンに関する本を数多く執筆してきた。
絶対貧困とは、1日1,25ドル以下の暮らしを指す。世界で12億人、およそ6人に1人が当てはまるという。
相対貧困は、少しややこしいので簡単に言おう。
日本の場合は単身所得が約150万円以下の人々の暮しを指す。国民の約2000万人、つまり約6人に1人が該当する。
先進国のなかで日本は、イスラエル、アメリカに次いで3番目に相対貧困率が高い。
(正確には、等価可処分所得が全人口の中央値の半分未満の世帯員が相対貧困と定義されている)
本書の構成は以下のとおり。各章のサブタイトルに注目してほしい。
第1章:住居 ───コミュニティー化するスラム、孤立化する生活保護世帯
第2章:路上生活 ───家族と暮らす路上生活者、切り離されるホームレス
第3章;教育 ───話し合う術をもたない社会、貧しさを自覚させられる社会
第4章;労働 ───危険だが希望のある生活、保障はあるが希望のない生活
第5章;結婚 ───子どもによって救われるか、破滅するか
第6章;犯罪 ───生きるための必要悪か、刑務所で人間らしく暮らすか
第7章;食事 ───階層化された食物、アルコールへの依存
第8章;病い死 ───コミュニティーによる弔い、行政による埋葬
前者が絶対貧困、後者が日本における相対貧困の様相である。
途上国の貧困者らはバラックの建ち並ぶスラムに住んでおり、富裕層や中間層の居住地から隔絶されている。その人数は都市の住民の過半数を占めることも珍しくない。
そこでは民族、出身地、宗教ごとに人々が集まり、コミュニティーが形成される。治安も悪く、空地を不法占拠しているので、自分たちの身は自分たちで守らねばならない。したがって、言語や慣習など、お互いに理解し合える仲間が必要となるのだ。
コミュニティーは、セーフティーネットの役割も果たす。たとえば、事故で一定期間仕事ができなくなった者は、仲間からカンパされることで生活することができる。いつ自分が逆の立場になるのかわからないからである。
また、貧困層は若年での結婚が顕著で、子どもを数多く産むことのできる女性が重宝される。自身が老いたときに助けてもらえる可能性が高まるというのが理由のひとつ。しかも育てることができない場合、余裕のある家庭が世話をするという不文律が存在する。
一方、日本ではどうか。
貧困者たちは各地に点在している。かつては経済的に貧しい者たちが集まる地域が存在したが、戦後の経済成長にともない解体された。そのなかで人々の繋がりは希薄になっていった。
セーフティーネットとしての役割は、コミュニティーから公的福祉制度に移行した。それにはメリットもあれば、デメリットもある。
生活保護制度に依存するシングルマザー、経済的理由から独身でいるワーキングプア、独居老人の孤独死、そして「健康で文化的な最低限度の生活」以下のホームレス。
バラック住まいから路上生活へ落ちる落差がそれほど大きくない途上国と比べ、日本ではホームレスになると多くの場合社会から切り離される。
支援団体による復帰の手助けがあるにも関わらず、本人の強烈な劣等感や、アルコール依存症などの障害がそれを拒む。
人々は、村社会的なしがらみから「自由」になると同時に、現代的な「孤独」を発明したというわけだ。
著者はスラムのようなコミュニティーにある種の理想郷を見ているわけでは決してない。
絶対貧困の痛ましさは、現地で触れ合った者は知りすぎるほど知っている。ただ、そこにも確かにあった人間の尊厳が、現代日本では失われている部分があるということを指摘しているのである。
本書は、日本で生活する僕たちの「生きづらさ」の質が、途上国のそれとどのように異なるか、またはどの点で似ているのかを考える材料になる。
「貧しさ」の多様性を知ることは、「幸せ」や「豊かさ」の多様性を知ることだ。
日本に帰ってきた僕は、いつしかルポライターのまねごとをするようになった。
ひとりのホームレスといっしょに空き缶を集め、隣りで眠ったこともある。
今、彼に連絡をとる術はない。
(HK吉岡命)