エチオピアにも広がる日本の製造現場が生み出した「カイゼン」
by DFID - UK Department for International Development
業務の効率化や安全性向上を目指して現場の人たちがアイデアを考え実行にすることを「カイゼン(Kaizen)」と呼び、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「習慣化」の5Sのスローガンなどがよく知られています。もともとは日本の製造現場から生まれたカイゼンですが、この動きは国内にとどまらず、エチオピアにも根付きつつあります。
BBC News - Japan brings kaizen philosophy to Ethiopia
http://www.bbc.com/news/business-26542963
http://www.jica.go.jp/topics/2009/20091118_01.html
エチオピアにカイゼンがもたらされたのは、2008年に横浜で開催された第4回アフリカ開発会議がきっかけ。会議に参加したエチオピアのメレス・ゼナウィ首相が自国の発展のためにこの考え方を持ち帰り、広めました。
エチオピアはアフリカ最古の国で、その歴史は紀元前10世紀ごろ始まっています。人口の面で見ても9200万人を抱え年間2.6%の成長率を誇るアフリカで2番目の大国であり、政府は2025年までに中所得国の仲間入りを目指しています。しかし、その産業は伝統的な農業が中心で、農村の人口が増えることで広範囲の土壌浸食や森林破壊を引き起こしていて、このままでは政府の目標を達成することは困難な状況にありました。
by International Maize and Wheat Improvement Center
そこにゼナウィ首相が持ち帰ったのが「カイゼン」でした。カイゼンの考え方はシンプルで、「職場の環境を整理整頓された状態で保つこと」「作業員たちに上からの指示を待つのではなく、創造的な提案をするように促す」「身近にある資源を使って作業する」というもの。この実現のため、エチオピア貿易産業省内に「カイゼン・プロジェクト」チームが設置され、エチオピア国内の企業30社を対象として個別診断・指導を行うパイロットプログラムを実施。パイロット版の結果を受けて、エチオピア版の「カイゼン」を普及させていくための国家計画が策定されました。2011年には「エチオピア・カイゼン機構」が作られ、本格的にカイゼンの普及が行われています。
by DFID - UK Department for International Development
カイゼン機構のGetahun Tadesse氏によると、最初の数ヶ月は職場の組織作りとチームの価値観作りが行われ、続いて動機付け・生産性・何かを変えていこうという雰囲気を形成し、イノベーションや管理は長期的な目標として置かれているとのこと。これまでに160社以上にカイゼンが取り入れられ、昨年1年間でカイゼン訓練を受けた人の数は1万1000人に上りました。ロンドンやニューヨークでも製品の取り扱いがある手織物メーカー「ムヤ・エチオピア」の創業者サラ・アベラ氏も、カイゼンを取り入れようと考えています。
カイゼンを広めているアドバイザーの1人であるBonsa Regassa氏は、「労働者たちが自信を持って意見を出し、その意見を責任者たちが検討する」という仕組みを作るまでが大変で、「私たちはエチオピアの労働文化を変えたいと考えています」とその目標を語りました。
ちなみに、これが現地で作られた「カイゼン」ポスター。日本での5Sは「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「習慣化(しつけ)」ですが、こちらでは「分類する(Sorting)」「順番にセットする(Setting in order)」「きれいにする(Shining)」「標準化・規格化する(Standarding)」「維持する(Sustaining)」の5つ。うまく5Sの形と意味をそのまま訳しています。
アフリカ諸国を自転車で旅して実情を目で見た周藤卓也さん(チャリダーマン)は、ウガンダを訪れた記事の中で「貧困は自然とそこにあるわけではありません。援助はあってもいいかもしれませんが、だとしたら「何を改善するのか」と問うことが必要でしょう。成果を求めない援助は「Give me money」「Donnez-moi l'argent」、要するに「金くれ」とアフリカの人たちが簡単に口にするこの言葉に表れている気がします。」と意見を述べていますが、カイゼン・プロジェクトとエチオピア・カイゼン機構の行っていることはまさにこの「何を改善するのか」という部分への挑戦です。
ちなみに、カイゼンをエチオピアに持ち帰ったゼナウィ首相は2012年8月21日に病気で死去。エチオピアの経済成長に貢献した一方で人権保護団体からは報道の自由の制限や野党弾圧により非難の声が上がっていましたが、その遺産はエチオピアをどう変えていくのでしょうか。