岸潤一郎の「4回目の失敗」を救った明徳義塾野球部ファミリー

 「今までの自分と同じことをしてしまった」。

 12回表二死無走者。前打者の送りバントをダブルプレーで切り抜けた直後、智辯和歌山3番・山本 龍河(3年)に内角高め真ん中寄りに浮いたストレートをライトスタンドへ叩き込まれた時、明徳義塾の主将、そして絶対的エースの岸 潤一郎(3年)は後悔の念にかられた。

 それもそのはず。キャプテントークと組み合わせ抽選会に出発する3月13日朝、彼は野球部員84名に、馬淵史郎監督夫妻、佐藤洋部長一家、藤山晶広コーチが1つ屋根の下に暮らす青雲寮で「4回目の失敗は繰り返さない」と誓っていたからだ。

 過去3回の失敗。1度目は2012年10月6日・高知南との高知県大会準々決勝(高知南の側から見た攻略過程)。2度目は2013年8月19日・日大山形(山形)との甲子園準々決勝。そして3回目は2013年10月26日・今治西(愛媛)との秋季四国大会準決勝。打たれたボールは全て高めに浮いたストレートである。

 そして今回も…。智辯和歌山2年生左腕・齋藤 祐太の前に11回まで散発の4安打。得点は失策絡みから9番・大谷 勇希(3年)が放ったタイムリーのみと新チーム結成以来抱える「左腕アレルギー」から脱却できない打線を考えれば、この「4回目の失敗」が致命傷であることは火を見るよりも明らかだった。

 ただ、12回裏を迎えるベンチの雰囲気は「4回目」を失敗のままで終わらせないムードに満ちていた。

 「『岸がここまで抑えているんだから、取り戻そう』そう言いあっていました」(6番の安田 孝之<3年>)

 口火を切ったのは9回・唯一の長打をライト線に放っていた7番・森 奨真(3年)。「つなぐイメージでいい形で打てた」打球が一・二塁間を破ると、岸の多彩な変化球と重いストレートを最大限活かすリードをしてきた8番・水野 克哉(3年)が確実に二塁へ送り、「昨日、佐藤洋部長にバッティングをつきっきりで指導してもらった」大谷がレフトへつなぐ安打。一死一、三塁の同点機を作り出す。

 そして打席には1番・尾崎 湧斗(3年)。昨夏甲子園・日大山形戦では7番ライトでスタメン抜擢も精彩を欠く打席で途中交代。昨秋四国大会後は控えにまでポジションを落としながら、再度這い上がってきた男は「気持ちだけは負けない」気迫を「馬淵史郎監督から『カウントがよくなったら、あるかもしれないぞ』と言われていたので準備は出来ていた」スクイズに込めた。同点。ファミリーに失敗をカバーしてもらった背番号「1」は、帰れないかも知れなかった選抜大会のマウンドに戻ってきた。

 「こんなにみんなが頑張っているんだから、0に抑えないと」

 一度は死んだ身。だから15回表に二死満塁のピンチを背負っても岸は動じなかった。落ち着いてのセカンドゴロで負けなしの状態に。そしてその裏、一死満塁で打席には3連続安打の森。プレッシャーが二番手右腕・東妻 勇輔(3年)の手元を狂わせた。

 「チーム全体のおかげ」。かつては「自分の不甲斐なさからチームに迷惑をかけた」発言だけが宙を浮いていたワンマンエースの姿はもういない。3時間4分に及んだ試合とその後のインタビューを終え、「疲れた。もう無理」と冗談を言いながらストレッチに向かう岸主将。その顔は、これまでの様々な場所で積み上げてきたいずれの勝利後よりも嬉しげだった。

(文=寺下 友徳)