今治西vs高知追手前 引き締めとリラックス使い分けた今治西、記録的大勝で2回戦へ!
4回裏今治西一死一・三塁から8番・藤原睦来左翼手(1年)が大会第1号3ランを放つ
引き締めとリラックス使い分けた今治西、記録的大勝で2回戦へ!
1948(昭和23)年に第1回大会がスタートした秋季四国大会初出場。1947年の初出場以来、67年ぶり選抜大会出場への入口に立った高知追手前関係者の淡い期待は、今治西の猛攻に根こそぎ吹き飛ばされた。
初回に一死二塁から3番・越智樹捕手(2年・右投右打・174センチ70キロ・今治西中出身)が相手先発・福井陽志(2年)の外角高めを合わせる技ありの二塁打で先制すると、10四死球を絡め22得点全てに打点が付く毎回の17安打。
右肩痛のため現在はスーパーサブに甘んじているが、大三島中時代は陸上100mで11秒82のベスト記録を残すなど、抜群の身体能力を誇る藤原 睦来左翼手(1年・182センチ78キロ)の坊ちゃんスタジアム左翼席中段まで飛ばす3ランですら色あせるほどの「21点差」は、2003(平成15)年・第56回大会2回戦における済美(愛媛)23対4徳島商(徳島)の『19点差』を越える秋季四国大会新記録。加えて3回裏に記録した1イニング11得点も、1985(昭和60)年・第38回大会1回戦の8回に池田(徳島)が丸亀商(香川・現:丸亀城西)相手に記録した『10得点』を超える秋季四国大会新記録である。
ただ、振り返ればこの点差は必然だったといえよう。試合開始2時間半前の6時過ぎには坊ちゃんスタジアムに到着し、「9人にこだわらず全員で闘う」(大野康哉監督)準備を整えつつ、力を出し切るリラックスにも余念がなかった今治西。
一方、「元気が足りなかった」とチーム唯一の安打を放った1番主将・野川竣平遊撃手(2年)も認める過緊張状態にあった高知追手前。加えて「3回で3失点」と互角に戦うためのゲームプランを立てていた谷村孝二監督の必須条件であったエース格・筒井裕也(2年)への3投手継投も失敗した彼らは、なす術なく今治西の打棒にさらされることになってしまったのである。
それでも試合後、今治西・大野監督は3回表・野川の安打を適時打とされた先発左腕・神野 靖大(2年)の安易な配球に「県大会と同じ失敗をした」ふんまんやるかたない表情。そこには「今日と明日で1試合。2つ勝って1勝」と再び引き締めを図る指揮官の姿があった。
(文=寺下 友徳)