日体大同級生対決、中盤に集中した県相模原、川崎北終盤追い上げ及ばず 

県相模原・新井君

 全国レベルの私学の強豪校がひしめきあっている神奈川県にあって、公立校をけん引する指導者ともいえるのが川崎北の西野幸雄監督と相模原の佐相眞澄監督だ。この二人は、日体大の同期生でもあり、毎年、3月の練習試合解禁日には、オープニング対決を行っている間柄だ。それは、中学野球指導者として実績を挙げていた佐相監督が一念発起して、高校野球監督を目指し、川崎北に赴任してきたときから始まっている。当時、西野監督は神奈川工にいた。

そして、佐相監督が川崎北から相模原に異動になるにあたって、せっかくここまで育てた川崎北の野球でもあり、後任は自分の意向を理解してもらえる、野球に対しての情熱のある人をと思っていたところ、西野監督も異動の話があり、現在のような形になった。異動2年目で、ともに指導者としては新たな自分のカラーに作り上げていこうという状況の中で、化学反応を起こさせている段階と言っていいだろう。一番難しい時期でもあり、やりがいのある時期でもあると言えよう。

お互いに手の内を知っている同士でもあり、そういう意味でも興味深い試合となった。また、ともに意識もしていることであり、負けられない相手でもある。

ある程度の点の取り合いは予想されたのだが、それ以上の点の取り合いということになった。悪く言えば、どちらも決め手を欠いていて、それが乱戦になった要素でもあるが、よく言えばあきらめない粘りあいともいえるものだった。

相模原は左腕新井君が先発。川崎北は数多い投手の中から西野監督が、「今、一番調子のいい者から投げさせていこうということで、オープン戦やブロック戦で一番よかったので背番号1を与えた」という、三浦君が先発した。立ち上がりはともに走者を得点圏に進めていたものの何とか凌いだ。

 

5回、逆転の三塁打を放ってドヤ顔でエルボーガードを外す佐藤勇君

 先制したのは川崎北で3回、1番野崎君が二塁打で出ると、3番九枝松(くしまつ)君、5番白木君と中軸が相次いで長打して3点を奪った。これで主導権を握っていくのかと思われたが、相模原もすぐに2番関君のタイムリーと3番佐藤勇君の犠飛、5番塚原君の左前打で追いついた。

そして5回、相模原はこの回から代わった斉藤夏君に対して7番森山君の安打から始まった攻撃で、暴投やバント、四球などで好機を広げると、関君の左越二塁打で勝ち越した。さらに、3人目の下手投げ小番君の初球を叩いた佐藤勇君が三塁打して2者を帰して、この回も3点を奪った。

勢いづいた相模原は6回にも3つの死球と四球で押し出し、さらに犠飛と無安打で2点を追加した。ただ、「このまま、コールドゲームにしていくぞ」と、佐相監督がさらに勢いづけようとしたら、そこまでになってしまった。川崎北は、5番手となった向井君が何とか踏ん張っていた。そしてその間に逆に、川崎北が8回に追い上げることになった。

8回の川崎北は、失策と暴投に2番長澤君の右中間三塁打で2点差とし、続く九枝松君の左犠飛でついに1点差となった。しかし、結局反撃もここまでで1点及ばなかった。

西野監督は、さすがにがっくりとしながらも、「選手たちも、指導者が変わったということで戸惑いもあったと思います。もちろん、佐相の野球をやりたいと思ってきた子もいたと思いますよ。だけど私の野球で新しい川崎北の野球を作り上げていくようにしますよ。これからは、練習試合もありますけれど、トレーニング中心で、もう一度作っていきます」と、来年への期待を感じさせる言葉だった。

何とか接戦をものにした相模原の佐相監督は、「お互いに四死球やエラーで救われながらの得点でしたけれども、やはり、県大会という場で結果を残すことは大きいですよ」と、素直に勝ちを喜んでいた。父母会をも巻き込んでのチーム作りで、「環境は人を変える」と提唱して、グラウンド環境改善などにも取り組みながら、「神奈川県で、公立から甲子園へ!」という、佐相監督の再挑戦は、始まったばかりでもある。

(文=手束 仁)