W杯出場の今こそ読みたい。絶望のどん底にいたJリーガーたちの物語
あの「悲劇」から20年。
サッカー日本代表はアジアの盟主として、彼の地・ドーハで因縁のイラク代表と対戦。岡崎のゴールで見事勝利をおさめた。
2013年、それは1993年のJリーグ開幕、そして「ドーハの悲劇」から20年目の節目の年にあたる。そしてもうひとつ、「1993年の日本サッカー」を語る上で欠かせないトピックスがある。
それが、日本で開催された'93年U-17世界選手権。この大会に開催国特権で初の本戦出場した若き日本代表は見事グループリーグを突破。つまり1993年とは、中田英寿・宮本恒靖・松田直樹・戸田和幸ら、後の日本代表主力メンバーが世界デビューを飾った年でもあり、FIFA主催の大会で初めて日本代表としてベスト8に入った記念すべき年であった。彼らの躍進が、今日の日本サッカー隆盛の第一歩を果たしたのは間違いない。
あれから20年。Jリーグと日本代表は着実に前進する一方で、プレーをするサッカー選手たちは毎年ひとつずつ齢を重ね、一人また一人とユニホームを脱いでいく現実と直面する。
コーチとして第二の人生を歩むもの、全くの異業種でサラリーマン生活を送る者、そして旅を続けるもの……いずれにせよ、その後の人生の方が遥かに長く、そして現役時代ほど多くの金額を稼ぐことは難しいという現実が待ち構えている。
《サッカーはハードなスポーツである。時に、こんなにハードなスポーツはないのではないかと思わされる。だが、サッカーは終わったあとの人生もまた、ハードなのだ》
93年U-17世界選手権出場メンバーを中心に、日本サッカーにおいて一時代を築いた男達が、その後の人生をどう歩み、二重のハードさの中でどのように輝くのかを追いかけたノンフィクション 『Hard After Hard』は、W杯出場を決め浮かれ気味の風潮に対して、厳しい現実を突きつけてくれる。
例えば、「カズ二世」と呼ばれた男・財前宣之。
タレントぞろいだった93年U-17メンバーの中で唯一大会ベストイレブンを受賞。後の日本代表10番を期待された男は、結局一度も日本代表の青いユニホームに袖を通すことがないまま2012年に引退を表明した。
日本代表に届かなかった大きな要因は、3度に渡る靭帯断裂の大怪我。それでも諦めることなく壮絶な筋トレとリハビリの日々を乗り越え、2001年には当時所属していたベガルタ仙台をJ1に導く決勝ゴールを決め、「ミスターベガルタ」の称号を勝ち取る。
「何度もサッカーをやめようと思ったけど、がんばってきたから神様がラストパスを出してくれた」と涙を浮かべて語った男はその後、愛された仙台から戦力外通告を受けてモンテディオ山形に移籍。2009年からはタイのプレミアリーグに所属するなど波乱に満ちたサッカー人生を送る。
本書では26歳から32歳で引退するまでの財前の6年間を追いかけ、その都度、過去の栄光とどう向き合い、現状のサッカー人生とこれからの人生をどう考えているかをつまびらかにしていく。
例えば、「アジアの大砲」の後継者と目された船越優蔵。
国見高校でインターハイ優勝を経験。同じ国見高校出身の高木琢也の系譜を継ぎ、超えていく男として期待された男も、G大阪でのプロ入り後に大きな壁にぶつかり、その後は湘南→大分→新潟→東京ヴェルディと流転の人生を歩む。新潟時代にはアキレス腱を2回も断裂。その怪我を乗り越えた先で果たした、東京ヴェルディのJ1昇格を決めた2ゴールは、船越を再び輝かせる。
《クビになってサッカーができなくなるかもしれないという立場になってみないと、今の仕事をやってることの重大さとか、本当にサッカーが好きなんだという気持ちだとかがわかんないんですよ》
その想いを後輩たちに伝えるべく、2010年の引退後に古巣新潟のU-13監督を経て、2013年からはザスパクサツ群馬のコーチを務めている。
そして、日本サッカーを文字通り牽引した中田英寿。
現役時代、そして引退後も「旅人」として世界のサッカーにふれたことで、「サッカー選手、サッカーやめたら食えないでしょ。仕事ないでしょ」と日本の元サッカー選手たちの現状を憂い、立ち上げたのが 財団法人TAKE ACTION FOUNDATION。
この活動の目玉であり、引退したサッカー選手によるサッカー・チャリティーマッチを通じて、地域の活性化とサッカーの振興、そして引退した選手たちのセカンドキャリア創出の場を目指した。「世界のNAKATA」にしかできない芸当である。
しかし、興行権を握るサッカー協会との関係がうまくいかず、国内での開催は事実上不可能に。実際、2011年1月以降は日本国内での試合は開催されていない。中田をもってしても、引退後は自分の思うようには物事が進まない現状に直面しているのだ。
現役引退後、サッカーの指導者やサッカークスークルのコーチを務める人間は多いが、経済的には厳しく、少年サッカーの月給は15万円足らずだという。
本書の著者・大泉実成は、Jリーグが抱える引退後のキャリア形成の問題点を嘆き、こう綴る。
《これだけの実績と可能性を持った男が、身を預けきれない。それが日本のプロサッカー界であり、サッカー文化の厚みのなさと言えるのではないか》
本書では他にも、「天才」と呼ばれながら突如引退してプロゴルファーへと転身した礒貝洋光、そして昨年まで5年に渡りJリーグの選手会長を務めた藤田俊哉らにもインタビューを重ね、日本のサッカー選手が引退後に立ち向かわなければならない苦労・苦難の道の実情と、その対抗策を聞き出していく。
「高卒3〜4年、大卒2年」といわれるJリーガーの短すぎる選手寿命。
活躍する選手にばかりスポットライトが当てられがちなメディアの中で、サッカー選手が直面するハードなリアルを追求した本書は、Jリーグ20周年とW杯出場で浮かれているまさに今こそ読むべき一冊である。
(オグマナオト)
サッカー日本代表はアジアの盟主として、彼の地・ドーハで因縁のイラク代表と対戦。岡崎のゴールで見事勝利をおさめた。
2013年、それは1993年のJリーグ開幕、そして「ドーハの悲劇」から20年目の節目の年にあたる。そしてもうひとつ、「1993年の日本サッカー」を語る上で欠かせないトピックスがある。
それが、日本で開催された'93年U-17世界選手権。この大会に開催国特権で初の本戦出場した若き日本代表は見事グループリーグを突破。つまり1993年とは、中田英寿・宮本恒靖・松田直樹・戸田和幸ら、後の日本代表主力メンバーが世界デビューを飾った年でもあり、FIFA主催の大会で初めて日本代表としてベスト8に入った記念すべき年であった。彼らの躍進が、今日の日本サッカー隆盛の第一歩を果たしたのは間違いない。
コーチとして第二の人生を歩むもの、全くの異業種でサラリーマン生活を送る者、そして旅を続けるもの……いずれにせよ、その後の人生の方が遥かに長く、そして現役時代ほど多くの金額を稼ぐことは難しいという現実が待ち構えている。
《サッカーはハードなスポーツである。時に、こんなにハードなスポーツはないのではないかと思わされる。だが、サッカーは終わったあとの人生もまた、ハードなのだ》
93年U-17世界選手権出場メンバーを中心に、日本サッカーにおいて一時代を築いた男達が、その後の人生をどう歩み、二重のハードさの中でどのように輝くのかを追いかけたノンフィクション 『Hard After Hard』は、W杯出場を決め浮かれ気味の風潮に対して、厳しい現実を突きつけてくれる。
例えば、「カズ二世」と呼ばれた男・財前宣之。
タレントぞろいだった93年U-17メンバーの中で唯一大会ベストイレブンを受賞。後の日本代表10番を期待された男は、結局一度も日本代表の青いユニホームに袖を通すことがないまま2012年に引退を表明した。
日本代表に届かなかった大きな要因は、3度に渡る靭帯断裂の大怪我。それでも諦めることなく壮絶な筋トレとリハビリの日々を乗り越え、2001年には当時所属していたベガルタ仙台をJ1に導く決勝ゴールを決め、「ミスターベガルタ」の称号を勝ち取る。
「何度もサッカーをやめようと思ったけど、がんばってきたから神様がラストパスを出してくれた」と涙を浮かべて語った男はその後、愛された仙台から戦力外通告を受けてモンテディオ山形に移籍。2009年からはタイのプレミアリーグに所属するなど波乱に満ちたサッカー人生を送る。
本書では26歳から32歳で引退するまでの財前の6年間を追いかけ、その都度、過去の栄光とどう向き合い、現状のサッカー人生とこれからの人生をどう考えているかをつまびらかにしていく。
例えば、「アジアの大砲」の後継者と目された船越優蔵。
国見高校でインターハイ優勝を経験。同じ国見高校出身の高木琢也の系譜を継ぎ、超えていく男として期待された男も、G大阪でのプロ入り後に大きな壁にぶつかり、その後は湘南→大分→新潟→東京ヴェルディと流転の人生を歩む。新潟時代にはアキレス腱を2回も断裂。その怪我を乗り越えた先で果たした、東京ヴェルディのJ1昇格を決めた2ゴールは、船越を再び輝かせる。
《クビになってサッカーができなくなるかもしれないという立場になってみないと、今の仕事をやってることの重大さとか、本当にサッカーが好きなんだという気持ちだとかがわかんないんですよ》
その想いを後輩たちに伝えるべく、2010年の引退後に古巣新潟のU-13監督を経て、2013年からはザスパクサツ群馬のコーチを務めている。
そして、日本サッカーを文字通り牽引した中田英寿。
現役時代、そして引退後も「旅人」として世界のサッカーにふれたことで、「サッカー選手、サッカーやめたら食えないでしょ。仕事ないでしょ」と日本の元サッカー選手たちの現状を憂い、立ち上げたのが 財団法人TAKE ACTION FOUNDATION。
この活動の目玉であり、引退したサッカー選手によるサッカー・チャリティーマッチを通じて、地域の活性化とサッカーの振興、そして引退した選手たちのセカンドキャリア創出の場を目指した。「世界のNAKATA」にしかできない芸当である。
しかし、興行権を握るサッカー協会との関係がうまくいかず、国内での開催は事実上不可能に。実際、2011年1月以降は日本国内での試合は開催されていない。中田をもってしても、引退後は自分の思うようには物事が進まない現状に直面しているのだ。
現役引退後、サッカーの指導者やサッカークスークルのコーチを務める人間は多いが、経済的には厳しく、少年サッカーの月給は15万円足らずだという。
本書の著者・大泉実成は、Jリーグが抱える引退後のキャリア形成の問題点を嘆き、こう綴る。
《これだけの実績と可能性を持った男が、身を預けきれない。それが日本のプロサッカー界であり、サッカー文化の厚みのなさと言えるのではないか》
本書では他にも、「天才」と呼ばれながら突如引退してプロゴルファーへと転身した礒貝洋光、そして昨年まで5年に渡りJリーグの選手会長を務めた藤田俊哉らにもインタビューを重ね、日本のサッカー選手が引退後に立ち向かわなければならない苦労・苦難の道の実情と、その対抗策を聞き出していく。
「高卒3〜4年、大卒2年」といわれるJリーガーの短すぎる選手寿命。
活躍する選手にばかりスポットライトが当てられがちなメディアの中で、サッカー選手が直面するハードなリアルを追求した本書は、Jリーグ20周年とW杯出場で浮かれているまさに今こそ読むべき一冊である。
(オグマナオト)