上から読んでも下から読んでも「軽い機敏な仔猫何匹いるか」元祖コピーライターの見事なことば遊び
「軽い機敏な仔猫何匹いるか」
「力士手で塩なめなおして出て仕切り」
はて、これら文章は一体何か? 後者は五七五になっているが、季語はなさそうだから俳句とはいえないし、川柳にしては風刺もひねりもなさすぎる。
まだおわかりにならないというあなたのために、ヒントとして、カナで書いてみよう。これならわかりませんか?
「カルイキビンナコネコナンビキイルカ」
「リキシテデシオナメナオシテテデシキリ」
そう、頭から読んでもお尻から読んでも同じ「回文」になっているのだ。これら回文をつくったのは、土屋耕一という、日本におけるコピーライターの草分け的存在ともいうべき人物である。その代表作には、明治製菓の「痛快まるかじり」「おれ、ゴリラ。おれ、景品。」、デパートの伊勢丹の「こんにちは土曜日くん。」「女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない」などがある。
資生堂宣伝部の嘱託からこの仕事を始めただけに、その後広告制作会社のライトパブリシティを経てフリーになって以降も化粧品会社の広告の仕事は多く、「君のひとみは10000ボルト」「A面で恋をして」「サクセス、サクセス、」「ピーチパイ」「サラダガール」などは、CMソングのタイトルや歌詞にも使われ記憶されている。短いフレーズにメッセージを凝縮し、感覚的に訴えかけるコピーこそ彼の真骨頂だった。
土屋は本業で大きな足跡を残す一方で、回文をはじめさまざまな言葉遊びでも知られた。その集大成ともいうべき本が、没後4年を経て刊行された。『土屋耕一のことばの遊び場。』がそれである。和田誠編『回文の愉しみ』と、糸井重里編『ことばの遊びと考え』の2冊で1セット(函入り)のこの本には、土屋の生前の雑誌連載や著作が再録され、彼の言葉遊びとその背景となる考えがうかがえる構成となっている。
回文については土屋の自作集のほか、「回文実技講座」という、雑誌「話の特集」での連載エッセイが収められ(『回文の愉しみ』)、「回文は真ン中からではなく、まず上と下を固めるところから始める」などという具合に、つくり方のコツが余すことなく語られている。連載中には、「中に充つ……積荷かな」「中州にて……テニスかな」の真ン中を埋めるよう例題を出し、それに対し寄せられた読者投稿に対し、土屋がアドバイスをするということも行なわれた。そのやりとりがまた楽しくて、ためになる。まあ、コツを覚えても、それでスルリと回文が思いつくというものでもないわけですが。
「話の特集」誌ではこのあとも、「替え句入門」「土屋耕一の遊び場」といったエッセイを連載し、じつにさまざまな言葉遊びを提案している(『回文の愉しみ』所収)。「替え句」というのは、ある言葉の文字を入れ替え、べつの言葉にするというもの。英語ではアナグラムと呼ばれます。
初回であげられた作例からして、芭蕉の俳句「古池や蛙とびこむ水の音」を「お岩跳び ずずと毛残る闇深む」などと入れ替えるなど、かなり高度なレベルなのだけれども、土屋はさらに新たなバリエーションとして「替え句掛け解き」なるものを提案している。これは、一組の替え句を「しばし、かつがれ――知れ四月馬鹿」というふうに、上で掛けて、下で解くという形にしたもの。その内容も、「高く買えない――田中角栄」と人名を用い、かつ風刺を効かせたものやら、はたまた「(掛)一般の性感帯を書くぞ/(解)おっぱい、陰核、肩の線沿い」と、ちょっと卑猥な句(バレ句という)まで幅広い。
私が舌を巻いたのは、映画のタイトルを替え句にするという回において、「オリエント急行殺人事件」がカナにするとちょうど17文字で、うまく並べ替えれば五七五の句になることを発見し、実際につくってしまったこと。これは『回文の愉しみ』の199〜200ページに収録されているので、ぜひ実際にその目で確認していただきたい。
土屋がハマった言葉遊びにはいまひとつ、「武玉川(むたまがわ)」というのがある。これは、五七五七七や五七五よりも短い七七の14音で詠むという雑俳の一種で、江戸時代に生まれたものの、長らく忘れ去られていた。しかしこれを土屋は《七七でまとめて、うまくいったときの、その鋭さは、五七五の比ではないと私は思う》と再評価、発掘したのである。彼自身、「その鋭さ」を証明するように、数々の名作を残した。たとえば、「お困りでしょうが」という自前のカテゴリーに分類された、この句などいかがだろう。
「尻から入る雨の玄関」
お尻から玄関に入りながら、傘をすぼめる人の姿がありありと思い浮かぶのではないだろうか。「傘」という言葉など一言も入っていないのにねえ。同じく「お困りでしょうが」に分類されたなかにはこんなのもある。
「値段を三度書き換える冬」
短歌でいえば下の句しか存在しない分、その上の句になるような前提として何があったのか、想像をかきたてられる。たとえば、原油価格の高騰で、灯油の値段が三度も変わったのかな? などとあれこれ考えてしまう。
ここまであげた土屋のコピーも、回文をはじめとする言葉遊びから生まれた作品も、いかにも何の苦労もなく、さらりと出てきたものという印象を受ける。だが彼は、その著書『コピーライターの発想』(『ことばの遊びと考え』に抄録)のなかで、コピーとはひらめきではなく、《もうすこし小刻みに攻めていく方が、正しい》とはっきり書いている。
《それは、積立貯金のやり方に似ている。コツコツである。地道である。どことなく聞こえの悪い型である。颯爽ともしていない。もちろん、ひらめきでもない。青い空の下で美しい色の旗がはためくような、見るからに胸のすくような風景とは、程遠い。むしろ、人から覗かれたら、そっと懐にかくしたくなるような仕事である。(中略)
結局、それしかないんだ、と思う。自分が大天才じゃない限りはね》
私が『土屋耕一のことばの遊び場。』を読んでいて感じたのは、土屋耕一という人は、「人から覗かれたら、そっと懐にかくしたくなる」という、その隠し方がものすごくうまかった人なんじゃないか、ということだ。隠すばかりか、いかにも楽しげにやってのける。それこそが彼の魅力だったのではないか。
そうした魅力は、趣味を通して培われたところも大きいのかもしれない。土屋は、言葉遊びにとどまらず、じつに多彩な趣味の持ち主であった。それは、「頭にも運動靴をはかせようじゃないか」というエッセイ(『ことばの遊びと考え』所収)からもあきらかだ。ここでは、彼がある夏、仕事以外に取り組んだことが以下のように記録されている。
《バジリコの、研究と呼ぶのもおこがましいけれど、その栽培をしていましてね、葉っぱを収獲し、スパイスに仕上げ、そんなことがらをノートに書きとめたりした。
言葉あそびの、尻とりの、変わったのを一連つくった。
読んだ本は、探偵小説の、昔のを二、三。
それから、空とぶ円盤を見つけるには、ポラロイド製のサングラスをして夜空を見るのがいいのではないか、という着想と、その実行と、そして、みじめな失敗と。
あ、そうだ、カクテルをひとつ発明しました。名前も、ちゃんと付けたよ。「ハワイアン・ウェディング・ソング」というんだが、これは名前がいいでしょう。口あたりが軽いから、女性にうけておりますが》
いやはや、手広いうえにどれも凝り方が半端ではない。これら趣味(土屋は「雑学」という言葉を用いている)について、彼は同じエッセイで、仕事に直接的に表れるようなものではないが、《ひとりの人間の生き方、それを太らせるコヤシなのですね》と述べている。
趣味により培われたものが、ストレートにではないものの、いつしかじんわりと仕事に表れる。しかもそこには苦労をみじんも感じさせない。土屋耕一という人は、まさにそんな美学を貫きとおした人であった。(近藤正高)
「力士手で塩なめなおして出て仕切り」
はて、これら文章は一体何か? 後者は五七五になっているが、季語はなさそうだから俳句とはいえないし、川柳にしては風刺もひねりもなさすぎる。
まだおわかりにならないというあなたのために、ヒントとして、カナで書いてみよう。これならわかりませんか?
「カルイキビンナコネコナンビキイルカ」
「リキシテデシオナメナオシテテデシキリ」
資生堂宣伝部の嘱託からこの仕事を始めただけに、その後広告制作会社のライトパブリシティを経てフリーになって以降も化粧品会社の広告の仕事は多く、「君のひとみは10000ボルト」「A面で恋をして」「サクセス、サクセス、」「ピーチパイ」「サラダガール」などは、CMソングのタイトルや歌詞にも使われ記憶されている。短いフレーズにメッセージを凝縮し、感覚的に訴えかけるコピーこそ彼の真骨頂だった。
土屋は本業で大きな足跡を残す一方で、回文をはじめさまざまな言葉遊びでも知られた。その集大成ともいうべき本が、没後4年を経て刊行された。『土屋耕一のことばの遊び場。』がそれである。和田誠編『回文の愉しみ』と、糸井重里編『ことばの遊びと考え』の2冊で1セット(函入り)のこの本には、土屋の生前の雑誌連載や著作が再録され、彼の言葉遊びとその背景となる考えがうかがえる構成となっている。
回文については土屋の自作集のほか、「回文実技講座」という、雑誌「話の特集」での連載エッセイが収められ(『回文の愉しみ』)、「回文は真ン中からではなく、まず上と下を固めるところから始める」などという具合に、つくり方のコツが余すことなく語られている。連載中には、「中に充つ……積荷かな」「中州にて……テニスかな」の真ン中を埋めるよう例題を出し、それに対し寄せられた読者投稿に対し、土屋がアドバイスをするということも行なわれた。そのやりとりがまた楽しくて、ためになる。まあ、コツを覚えても、それでスルリと回文が思いつくというものでもないわけですが。
「話の特集」誌ではこのあとも、「替え句入門」「土屋耕一の遊び場」といったエッセイを連載し、じつにさまざまな言葉遊びを提案している(『回文の愉しみ』所収)。「替え句」というのは、ある言葉の文字を入れ替え、べつの言葉にするというもの。英語ではアナグラムと呼ばれます。
初回であげられた作例からして、芭蕉の俳句「古池や蛙とびこむ水の音」を「お岩跳び ずずと毛残る闇深む」などと入れ替えるなど、かなり高度なレベルなのだけれども、土屋はさらに新たなバリエーションとして「替え句掛け解き」なるものを提案している。これは、一組の替え句を「しばし、かつがれ――知れ四月馬鹿」というふうに、上で掛けて、下で解くという形にしたもの。その内容も、「高く買えない――田中角栄」と人名を用い、かつ風刺を効かせたものやら、はたまた「(掛)一般の性感帯を書くぞ/(解)おっぱい、陰核、肩の線沿い」と、ちょっと卑猥な句(バレ句という)まで幅広い。
私が舌を巻いたのは、映画のタイトルを替え句にするという回において、「オリエント急行殺人事件」がカナにするとちょうど17文字で、うまく並べ替えれば五七五の句になることを発見し、実際につくってしまったこと。これは『回文の愉しみ』の199〜200ページに収録されているので、ぜひ実際にその目で確認していただきたい。
土屋がハマった言葉遊びにはいまひとつ、「武玉川(むたまがわ)」というのがある。これは、五七五七七や五七五よりも短い七七の14音で詠むという雑俳の一種で、江戸時代に生まれたものの、長らく忘れ去られていた。しかしこれを土屋は《七七でまとめて、うまくいったときの、その鋭さは、五七五の比ではないと私は思う》と再評価、発掘したのである。彼自身、「その鋭さ」を証明するように、数々の名作を残した。たとえば、「お困りでしょうが」という自前のカテゴリーに分類された、この句などいかがだろう。
「尻から入る雨の玄関」
お尻から玄関に入りながら、傘をすぼめる人の姿がありありと思い浮かぶのではないだろうか。「傘」という言葉など一言も入っていないのにねえ。同じく「お困りでしょうが」に分類されたなかにはこんなのもある。
「値段を三度書き換える冬」
短歌でいえば下の句しか存在しない分、その上の句になるような前提として何があったのか、想像をかきたてられる。たとえば、原油価格の高騰で、灯油の値段が三度も変わったのかな? などとあれこれ考えてしまう。
ここまであげた土屋のコピーも、回文をはじめとする言葉遊びから生まれた作品も、いかにも何の苦労もなく、さらりと出てきたものという印象を受ける。だが彼は、その著書『コピーライターの発想』(『ことばの遊びと考え』に抄録)のなかで、コピーとはひらめきではなく、《もうすこし小刻みに攻めていく方が、正しい》とはっきり書いている。
《それは、積立貯金のやり方に似ている。コツコツである。地道である。どことなく聞こえの悪い型である。颯爽ともしていない。もちろん、ひらめきでもない。青い空の下で美しい色の旗がはためくような、見るからに胸のすくような風景とは、程遠い。むしろ、人から覗かれたら、そっと懐にかくしたくなるような仕事である。(中略)
結局、それしかないんだ、と思う。自分が大天才じゃない限りはね》
私が『土屋耕一のことばの遊び場。』を読んでいて感じたのは、土屋耕一という人は、「人から覗かれたら、そっと懐にかくしたくなる」という、その隠し方がものすごくうまかった人なんじゃないか、ということだ。隠すばかりか、いかにも楽しげにやってのける。それこそが彼の魅力だったのではないか。
そうした魅力は、趣味を通して培われたところも大きいのかもしれない。土屋は、言葉遊びにとどまらず、じつに多彩な趣味の持ち主であった。それは、「頭にも運動靴をはかせようじゃないか」というエッセイ(『ことばの遊びと考え』所収)からもあきらかだ。ここでは、彼がある夏、仕事以外に取り組んだことが以下のように記録されている。
《バジリコの、研究と呼ぶのもおこがましいけれど、その栽培をしていましてね、葉っぱを収獲し、スパイスに仕上げ、そんなことがらをノートに書きとめたりした。
言葉あそびの、尻とりの、変わったのを一連つくった。
読んだ本は、探偵小説の、昔のを二、三。
それから、空とぶ円盤を見つけるには、ポラロイド製のサングラスをして夜空を見るのがいいのではないか、という着想と、その実行と、そして、みじめな失敗と。
あ、そうだ、カクテルをひとつ発明しました。名前も、ちゃんと付けたよ。「ハワイアン・ウェディング・ソング」というんだが、これは名前がいいでしょう。口あたりが軽いから、女性にうけておりますが》
いやはや、手広いうえにどれも凝り方が半端ではない。これら趣味(土屋は「雑学」という言葉を用いている)について、彼は同じエッセイで、仕事に直接的に表れるようなものではないが、《ひとりの人間の生き方、それを太らせるコヤシなのですね》と述べている。
趣味により培われたものが、ストレートにではないものの、いつしかじんわりと仕事に表れる。しかもそこには苦労をみじんも感じさせない。土屋耕一という人は、まさにそんな美学を貫きとおした人であった。(近藤正高)