不安だらけ、でも元気をくれる施川ユウキの世界
施川ユウキのマンガ『オンノジ』は、風邪などで寝込んでいたりする時に初読してはいけない。
不安で悲しくて辛くなるからだ。できれば、リラックスした環境で読んで欲しい。
二回目以降は、体が弱っている時や心が弱っているとき、風邪で寝込んでいる時に読むといい。
不安に対しての処方箋になるからだ。
このマンガは「ギャグマンガ」です。まごうかたなく。
施川ユウキという作家は、言葉遊びや、視点切り替えびっくりネタを多様する作家。4コマ形式で軽快に進んでいくので、笑えます。
ただ、その面白さを「不安」に変え、大きな問いを産んだのがこの作品です。
小学生くらいと思われる少女ミヤコ。
彼女が住んでいた街は、ある日から突然、だれも人間がいなくなってしまいます。
人間だけではありません、動物も、虫も、いなくなります。植物はかろうじてある様子。
電気は通っています。水もでます。インターネットもつながります。
お店に入れば食べ物はあります。生きていくことは何の不便もありません。
落書きや貼り紙があるのが、逆に寂しい。
そもそも、ミヤコには記憶がありません。
割りとミヤコは楽天的な性格で、前半の登場人物は一人のまま、世界にツッコミを入れながら街を彷徨います。
タイトルの「オンノジ」というのも、何かとおもいきや、「ゴーストタウン」を「御ーストタウン」って書けばありがたさが出るから、という極めてくだらない話から生まれたもの。
でも、「ありがたさ」から「御の字」という発想、それ面白いし優しい。
何にでも「御」をつけたら面白いじゃないか。
確かに得体のしれないものかもしれない。御ばけかもしれないし、御犬かもしれない。でも、何もいないこの世界ではミヤコにとってそれはありがたいもの。
それを彼女は「オンノジ」と呼ぶことに決めます。
もう一人(?)の登場人物は、フラミンゴ。
元々は男子中学生でしたが、彼もまたなぜか、フラミンゴになってこの世界にいます。
真面目で、内向的で、今まで一人ぼっちだった彼は、街中を駆けまわるミヤコに出くわします。
ミヤコは彼のことを「オンノジ」と名付け、一人と一匹の、誰もいない世界での生活が始まります。
非常に寂しい世界の話です。
ミヤコは前向きで、なんでも楽しめる思考の持ち主なので、面白くないことすら笑います。
逆にオンノジは内向きなので、いろんなことを心配しますが、ミヤコに誘発されて視点を切り替えるようになります。
絶望的なんですよ。
いつまでたってもだれも出てこない。どこに行っても誰もいない。
この世の中が急にこんなふうになるのなら、明日何が起きるかだってわからない。
ミヤコとオンノジは出会えたから良かったけど、明日オンノジが死んだらどうすればいいのだろう。
ミヤコが去って行ったらどうすればいいのだろう。
ぼくも幼い時、怖い夢をよく見たものです。
この世界は、実は全てつくりもので、みんながぼくにウソをついているのではないか。
朝起きたら、だれもいないままひとりきりになったらどうしよう。
映画『トゥルーマンショー』はまさにそれでしたが、『オンノジ』は世界の謎は一切明かされず、ただそこに生きる二人の姿のみが描かれます。
明るいテンションですが、どうしようもなく耐え難い世界なのです。
自分がこの環境に置かれたら耐えられるのだろうか?
ミヤコが、帰ってこないオンノジに不安を感じて、怯えます。実は全部妄想なんじゃないか。
ここで、オンノジとミヤコは結婚することになります。
といっても、手続きとかのない、二人の幼い約束ですから、ごっこ遊びです。
二人の新婚旅行は、空を飛ばない国際便。中に入って、二人で毛布をかぶって、じっと夜の空を見ている。
まるでいっぱいうめつくされた席の客は毛布にくるまって寝ていて、自分達二人だけ、恋する少年少女で、高度一万メートルを飛んでいるかのような、そんな想像遊び。
ありえない世界。だからこそ、切ないシーンです。
でも、不思議とそこに幸せはあります。
だれもいない世界で、ただお互いがいることを心の支えにし、世界や神様を恨まず、生きて笑う二人。
作者は、この作品が震災を挟んだ時期で、「変わってしまった世界を受け入れつつ、どう未来を志向するのか」を描いたとあとがきで述べています。
直接的に震災にかかわるシーンはありません。しかし「世界の謎を解くとか、以前の世界を取り戻すとか、そういう話ではなく」と述べているように、二人は子供ですから世界の謎に挑んだりしません。過去に戻りたいと苦しむこともないです。
だれもいない世界は、ずっと作中何も変わりません。
逆に、二人が出会ったことで、二人の中の考え方が変わっていくのが描かれていきます。
もちろん二人だってこれでいいわけではない。前向きなミヤコが泣くシーンが何度か描かれます。
どう考えたって、言葉にはしないけど絶望的なんです。
どうしようもなく不安に満ちているシーンも多く、同じような妄想に襲われた経験がある人もいるかもしれません。
人の持つ「明日、こうだったらどうしよう」という感覚。しかし「明日」どうなるかなんてだれもわかりません。
大地震がまたやってくるかもしれない。交通事故で死ぬかもしれない。宇宙人が来ないとも限らない。
明日起きたら、だれもいないかもしれない。
だから、人の不安に切り込んできて、引き金を引く作品でもあります。
しかし、その世界の謎を解くこと無く、生きていく二人の姿が切なく、甘く、力強い。
最後まで読めば、この不安だらけの作品が、元気を与えてくれることに気づくはずです。
一巻完結で、ラストシーンが極めてよく練られているので、是非読んでいただきたい。
今までギャグとして語られていたものが積み上がって、ひとつの答えを産みます。
そして注目したいのは背表紙。オンノジの下に、凛々しく立つミヤコの姿は、本編を読み終わった後だとグッと来ます。
辛いことも多いこんな世界かもしれないけど。
ちょっと幸せがあったら、それは御の字だ、と思おう。
施川ユウキ 『オンノジ』
(たまごまご)
不安で悲しくて辛くなるからだ。できれば、リラックスした環境で読んで欲しい。
二回目以降は、体が弱っている時や心が弱っているとき、風邪で寝込んでいる時に読むといい。
不安に対しての処方箋になるからだ。
このマンガは「ギャグマンガ」です。まごうかたなく。
施川ユウキという作家は、言葉遊びや、視点切り替えびっくりネタを多様する作家。4コマ形式で軽快に進んでいくので、笑えます。
ただ、その面白さを「不安」に変え、大きな問いを産んだのがこの作品です。
彼女が住んでいた街は、ある日から突然、だれも人間がいなくなってしまいます。
人間だけではありません、動物も、虫も、いなくなります。植物はかろうじてある様子。
電気は通っています。水もでます。インターネットもつながります。
お店に入れば食べ物はあります。生きていくことは何の不便もありません。
落書きや貼り紙があるのが、逆に寂しい。
そもそも、ミヤコには記憶がありません。
割りとミヤコは楽天的な性格で、前半の登場人物は一人のまま、世界にツッコミを入れながら街を彷徨います。
タイトルの「オンノジ」というのも、何かとおもいきや、「ゴーストタウン」を「御ーストタウン」って書けばありがたさが出るから、という極めてくだらない話から生まれたもの。
でも、「ありがたさ」から「御の字」という発想、それ面白いし優しい。
何にでも「御」をつけたら面白いじゃないか。
確かに得体のしれないものかもしれない。御ばけかもしれないし、御犬かもしれない。でも、何もいないこの世界ではミヤコにとってそれはありがたいもの。
それを彼女は「オンノジ」と呼ぶことに決めます。
もう一人(?)の登場人物は、フラミンゴ。
元々は男子中学生でしたが、彼もまたなぜか、フラミンゴになってこの世界にいます。
真面目で、内向的で、今まで一人ぼっちだった彼は、街中を駆けまわるミヤコに出くわします。
ミヤコは彼のことを「オンノジ」と名付け、一人と一匹の、誰もいない世界での生活が始まります。
非常に寂しい世界の話です。
ミヤコは前向きで、なんでも楽しめる思考の持ち主なので、面白くないことすら笑います。
逆にオンノジは内向きなので、いろんなことを心配しますが、ミヤコに誘発されて視点を切り替えるようになります。
絶望的なんですよ。
いつまでたってもだれも出てこない。どこに行っても誰もいない。
この世の中が急にこんなふうになるのなら、明日何が起きるかだってわからない。
ミヤコとオンノジは出会えたから良かったけど、明日オンノジが死んだらどうすればいいのだろう。
ミヤコが去って行ったらどうすればいいのだろう。
ぼくも幼い時、怖い夢をよく見たものです。
この世界は、実は全てつくりもので、みんながぼくにウソをついているのではないか。
朝起きたら、だれもいないままひとりきりになったらどうしよう。
映画『トゥルーマンショー』はまさにそれでしたが、『オンノジ』は世界の謎は一切明かされず、ただそこに生きる二人の姿のみが描かれます。
明るいテンションですが、どうしようもなく耐え難い世界なのです。
自分がこの環境に置かれたら耐えられるのだろうか?
ミヤコが、帰ってこないオンノジに不安を感じて、怯えます。実は全部妄想なんじゃないか。
ここで、オンノジとミヤコは結婚することになります。
といっても、手続きとかのない、二人の幼い約束ですから、ごっこ遊びです。
二人の新婚旅行は、空を飛ばない国際便。中に入って、二人で毛布をかぶって、じっと夜の空を見ている。
まるでいっぱいうめつくされた席の客は毛布にくるまって寝ていて、自分達二人だけ、恋する少年少女で、高度一万メートルを飛んでいるかのような、そんな想像遊び。
ありえない世界。だからこそ、切ないシーンです。
でも、不思議とそこに幸せはあります。
だれもいない世界で、ただお互いがいることを心の支えにし、世界や神様を恨まず、生きて笑う二人。
作者は、この作品が震災を挟んだ時期で、「変わってしまった世界を受け入れつつ、どう未来を志向するのか」を描いたとあとがきで述べています。
直接的に震災にかかわるシーンはありません。しかし「世界の謎を解くとか、以前の世界を取り戻すとか、そういう話ではなく」と述べているように、二人は子供ですから世界の謎に挑んだりしません。過去に戻りたいと苦しむこともないです。
だれもいない世界は、ずっと作中何も変わりません。
逆に、二人が出会ったことで、二人の中の考え方が変わっていくのが描かれていきます。
もちろん二人だってこれでいいわけではない。前向きなミヤコが泣くシーンが何度か描かれます。
どう考えたって、言葉にはしないけど絶望的なんです。
どうしようもなく不安に満ちているシーンも多く、同じような妄想に襲われた経験がある人もいるかもしれません。
人の持つ「明日、こうだったらどうしよう」という感覚。しかし「明日」どうなるかなんてだれもわかりません。
大地震がまたやってくるかもしれない。交通事故で死ぬかもしれない。宇宙人が来ないとも限らない。
明日起きたら、だれもいないかもしれない。
だから、人の不安に切り込んできて、引き金を引く作品でもあります。
しかし、その世界の謎を解くこと無く、生きていく二人の姿が切なく、甘く、力強い。
最後まで読めば、この不安だらけの作品が、元気を与えてくれることに気づくはずです。
一巻完結で、ラストシーンが極めてよく練られているので、是非読んでいただきたい。
今までギャグとして語られていたものが積み上がって、ひとつの答えを産みます。
そして注目したいのは背表紙。オンノジの下に、凛々しく立つミヤコの姿は、本編を読み終わった後だとグッと来ます。
辛いことも多いこんな世界かもしれないけど。
ちょっと幸せがあったら、それは御の字だ、と思おう。
施川ユウキ 『オンノジ』
(たまごまご)