のくぼ・なおき
1981年5月4日静岡県生まれ。演劇ユニット「ai-kata」の一員としても活動中。5月には主演の舞台「劇団たいしゅう小説家 Present's ー使い走り、明日に向かって走れ!ー『Messenger Blues』」が予定されている。オフィシャルサイト:http://nokubonaoki.com/
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『Natural Mind』野久保直樹/三才ブックス

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「今まで生きてきたことのすべてが伝わる本」――俳優・野久保直樹が初のフォト&エッセイ『Natural Mind』(三才ブックス)を上梓した。『クイズ!ヘキサゴンII』から生まれたユニット「羞恥心」で大ブレイクしたものの、突然の休業を発表したのが今から4年前。そのとき彼は何を考えていたのか? 休業を伝えたとき、プロデューサー・島田紳助からどのような言葉をかけられたのか? 野久保直樹の素顔に迫るロングインタビューの後編をお送りする。

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人気の中での葛藤と島田紳助の一言

――本の中で「人気が一人歩きしてるような感覚」に陥ったとありましたが、それはいつ頃から感じるようになりましたか?
野久保 『ヘキサゴン』に出たら、知らない間にワーワー言われるようになりまして(笑)。一番違和感を覚えたのは俳優の仕事をしたときですね。有名になったことで俳優の仕事をいただけるようになったのはいいんですけど、まだ自分の力がまったくない状態で。自分でも満足な演技ができないうちに、ドラマや舞台のお仕事をいただいて慌てちゃう。ドラマを撮って、オンエアを観て、ヘコむ毎日でした。
――まともに演技できていない部分が辛かった?
野久保 今でもまだそういう部分はありますけど、当時は酷かったので。完成したドラマを観ていても「これでいいのかな?」と思うことがいっぱいあったんですよ。現場でOKは出ているんだけど、「あ、僕はこれぐらいしかできない役者だと思われてOKを出されているんだな」ということがわかるんです。実力と知名度の違和感を覚えていたんだと思います。
――そういう思いが湧いてきて、結果的には全部辞めてしまいます。それって野球を辞めたときの話と同じですね。
野久保 そうなんですよ! ただ、違うところは、野球は自分の限界が見えて辞めたんですけど、このときは「今からが勝負」と思ってバラエティーを卒業したんです。正直、この世界ってすごく特殊な職業だと思います。ちょっとテレビに出なければすぐに「消えた」と言われますよね。じゃ、実力のない状態でバラエティーをずっと続けて、いつか「最近見ないね」と言われるより、みんなが見てくださっているときに退いたほうが少しでも印象には残るかな、と思いました。
――とはいえ、バラエティーを辞めるときは野久保さんに大勢の人が関わっていたわけですよね。その部分で葛藤はありませんでしたか?
野久保 僕が辞めることですごく迷惑をかけることになった人が大勢いると思うんですけど、じゃ、その人たちが一生僕のことをこの位置でキープしてくれるかというと、絶対に違うじゃないですか。だったら、人に人生を預けるよりも、自分でちゃんと歩いていきたかった。自分しかできないポジションを作ることができたら、それはすごく素敵なことだな、って思ったんです。人間生きていけば、誰かに迷惑をかけることだってあるでしょうし……。いつか俳優という場所にしっかりと立てるようになれば、それが恩返しになるのかな、と思います。僕に声援を送ってくれていた人が、何年後か、何十年後かわからないですけど、また僕を見たときに「やっぱり自分の見る目は間違っていなかった」と思えるような存在になっていたいですね。
――ところで、バラエティーを辞めるとき、島田紳助さんに相談はされました?
野久保 はい、しました。紳助さんには止められました。
――どんな風に止められたんですか?
野久保 「こういう世界やし、必要としてくれる人もいっぱいいるんだから、(辞めるより)必要とされているときに(芸能界に)いたほうが自分のためにもなる」と。ただ、最後には「でも、決めるのはお前やから。自分の人生歩んだらええんちゃう?」と言ってくれました。「それはやめとけ」と強く言われることはありませんでしたね。
――では、野久保さんの中で、羞恥心やバラエティーへの出演を辞めること、事務所を離れることに対する不安や迷いはなかったんですね? 
野久保 はい。何かを得るためには、何かを手離さなければならないと思っているんです。僕の思う“本物”になることができるのであれば、そんなに気にならなくなるかな、と。それがいつ来るかわからないですけどね。

やっちゃったことをチマチマ考えてもしょうがない!

――仕事を一度全部辞めた後、ニューヨークへ行っていた頃の写真も本に入っているんですが、いい笑顔しているんですよね。このときは、どんな気持ちでしたか?
野久保 めっっっっちゃ嬉しかったんですよ! 仕事をしていたときより嬉しかったと思います。それまでは忙しいことが嬉しいと思っていたんですけど、それを全部辞めてニューヨークへ行ったときの気分ったらなかったですね。本当にやりたいことを吸収したいと思ってニューヨークへ行ったので、その嬉しさだったと思います。
――2009年から2010年にかけて、みんなが「どうしちゃったんだろう?」と心配していた時期に本人は満面の笑みでニューヨークを満喫していたという(笑)。
野久保 このときはモヤモヤとか一切なかったですね。
――「もったいないことした!」とは思わなかったですか?
野久保 別に……。あの人気だって、すぐに消えちゃうものだと思っていたので。
――野球を辞めるときの話を聞いたときも感じたのですが、野久保さんって穏やかな反面、案外ドライですよね?
野久保 かもしれないです。やっぱり白か黒、オンかオフしかない人間なんです。だからドライなんだと思いますね。
――割り切りがいいですよね。
野久保 やっちゃったことをチマチマ考えていてもしょうがないでしょ!(笑) 前に進むことしか考えないですね。たとえば2日悩んだとして、前を向いていたらその2日で何ができました? って話じゃないですか。野球やっていた頃から、それがもったいなくて。年を重ねるにつれて時が経つのが早く感じるから、悩んでいる暇がもったいないんです。
――本に書いてあるんですよ。「目の前のことに凹みすぎず、毎日を楽天的に生きてると、きっと良いことがある」。
野久保 マイナスのことを考えるなら、自分にとってプラスのことを考えたほうが人生楽しいんじゃないかな。
――とはいえ、今まで積み上げてきた地位とかキャリアとか人気とかお金とかを捨てるのって、やっぱり怖いと思うんですよ。
野久保 そうなんですか?(微笑)
――そうなんですよ!(笑) すごい感覚だなぁ。
野久保 僕、わかんないんですよ(笑)。

やっぱり努力は嘘をつかない

――でも、役者としての経験は捨てようと思っても捨てられないですよね。今は舞台に賭けている感じですか?
野久保 ……上手くなりたいですもん、芝居。舞台って、やっぱり一番芝居が伸びる場所だと思うんです。やり続けることによって自分の芝居がどんどん磨かれるということもありますし、お客さんとのライブ感も好きだし、緊張感もたまらないし。
――特に2012年は舞台の数が多かったですね。
野久保 7本だったかな? もうちょっとやりたいですよね。だいたい稽古と本番で1ヵ月ぐらいですからね。年間10本はやれますよ(笑)。
――目指している役者像とかあるんですか?
野久保 ないです(即答)。欲しがりなんですよ、僕。何でもできる人になりたいんです。野球でいえばオールラウンドプレイヤー。ピッチャーもキャッチャーも内野も外野も補欠もできる(笑)。役者に必要なことって、どんな役でもできることだと思っているんです。これだけいろいろな種類の演劇やドラマや映画がある中で、芝居のできる範囲が広ければ広いほど需要も高くなってくると思っているので。だから、どんな役者になりたい、っていうのは以前からないんですよね。演技に関しては、地道にやるのが一番の上達への近道。やっぱり努力は嘘をつかないんですよ。それは野球のときにわかっています。ただ、この世界って努力したから必ず成功するわけではないですよね。でも、芝居に関しては努力がなければ絶対に上達はしないんですよ。売れる、売れない、に関しては運かもしれませんが、芝居はやり続けないと上手くならないので絶対に続けますよ。
――「“夢なし”で人生を生きたことがこれまで一度もない」と本にありますが、今の野久保さんの夢は何でしょう?
野久保 最終的にはやっぱりいつかはブロードウェイの舞台に立ってみたいですね。あの舞台の華やかさとか、終わった後のスタンディングオベーションとか。演技だけじゃなくて、熱いものだったり、役者たちの連携であったり、舞台そのものをお客さんにぶつけてくるんですよ。あの中の一員に入りたい。ブロードウェイで『ライオンキング』を観たとき、主役のまわりにキリンやゾウや、木とか草とかいるんですよ。学芸会の木の役なんて、ものすごく地味じゃないですか。だけど、ブロードウェイまで行くと、その木の役の人じゃないと『ライオンキング』が『ライオンキング』じゃなくなってしまうんです。木でもオンリーワンの役者がいるんですよ。そういう人に僕もなりたいですね。
――では最後に、『Natural Mind』を通して、久しぶりに野久保さんに会う方も多いかもしれません。そんな方たちにメッセージをひとつ、お願いします。
野久保 あのときは27歳ぐらいで今は32歳なんですけど、この5年ぐらいの歳月をかけて探してきた、自分が本当にやりたかったこと、自分が本当に目指しているものをぜひ知ってほしいですね。5年経って、見た目も変わっていると思うんですよ。そういうところも含めて、変わった僕を見てほしいですね。
――いい男になって帰ってきた?
野久保 いやいやいや、そんな風に上から言えないんですよ(笑)。でも、ホントにすべては顔つきに出ていると思います。5年で役者らしい顔つきになったかな、って自分でも少しは思うので。そうでなければ、やってきた意味もないと思います。この本で過去のこともわかりますし、なにより今の野久保直樹を知ってください。
(大山くまお)

元「羞恥心」の野久保直樹が語る。甲子園の夢閉ざされてから、ヘキサゴン出演まで(前編)