「ブックオフ」をノベライズする
テキスト系妄想メディア「ワラパッパ (WARAPAPPA )」より
読み終わった本をお売り下さい。本来なら捨てられてしまう本が、他の誰かを楽しませることができるとしたら、それって素敵なことじゃないですか?
頭上から流れる無個性で明るい女の声は、概ねそのような内容を述べている。
店内は昼間から白々しい蛍光灯の灯りに照らされ、生乾きの雑巾に似た匂いが籠もっている。すべての価値を均一化された105円コーナーには文豪の名作やら、かつてのベストセラーやら、もう誰も覚えてないタレントのエッセイ集が、ランダムに背表紙を並べている。その中の一冊に、梶井基次郎の「檸檬」を見つけた。
「檸檬」をはじめて読んだのは中学生の頃か。教科書で読んだのかもしれないし、図書館で読んだのかもしれなかった。十ページにも満たないその短編で、肺を病んだ主人公の男は丸善という本屋を訪れる。男は積み上げた本の上に買ったばかりのレモンを置く。その色鮮やかな紡錘形の果実は、男にとって唯一の実存であり、救済であった。店を出た男はそのレモンが丸善ごと爆発する妄想に酔いしれる。物語はそこで終わる。
たったそれだけの話だが、圧倒的に濃密な文体で書かれた作者の心情は、挫折と自慰を繰り返していた思春期の俺に、鋭く刺さった。
懐かしさからつい背表紙に指を掛けたが、思い止まった。返り討ちは明らかだった。
店内アナウンスはいつの間にか終わり、発情期の猫を思わせるビジュアル系バンドの歌に変わっていた。
なにを求めるわけでもなく、書架の迷路をさまよう。
床に置いたランドセルに座りマンガを読み耽る小学生、抑揚のない早口で友人とアニメ談義を交わす女子高生、どう見てもリストラを家族に告げられずここで時間を潰しているとしか思えない中年サラリーマン。平日昼下がりのブックオフには105円均一の人間がたむろしている。無論、俺を含めて。
店内は入り口付近から売れ筋順に人気の少年コミック、話題の文芸書、青年コミック、文庫本、実用本、写真集とつづく。そして誰も近寄らぬ最深部に、成人マンガとマニア向けコミックの棚がある。淀んだ空気と、棚全体から漂う囚人じみたオーラに怖気を震い、踵を返そうとしたときだった。
見覚えのある背表紙が視界をよぎった。自著だった。
十数年前マンガ家としてデビューしたものの鳴かず飛ばすで、以後さまざまなイラスト、雑文、ゴースタライターなどをこなすうち、俺は業界のなんでも屋に成り下がっていた。著作はここ数年出していない。「めんそーれ☆東京」と題されたその短編マンガ集は俺がはじめて出した単行本だった。
互いの恥部をことごとく晒し合った挙げ句、泥沼の悲喜劇の末別れた女と、場末のピンクサロンで再会する。そんな気分になった。
冷たい戦慄に全身が総毛立つと同時に、ある種の自虐的ともいえる好奇心がこみ上げて来た。気持ちとは裏腹に震える指先が、目の前の忌まわしい背表紙へと向かっていった。
俺は自著を手に取った。心が妙に静まった。
表紙には南国の砂浜をバックに、パンダにまたがりダブルピースをしている落ち武者が描かれていた。意味などない。タイトルもただ語呂の響きを重視した思いつきだった。「めんそーれ☆東京」はデビュー以降、さまざまなマイナー雑誌やエロ本に描いたショートギャグを無理矢理一冊にまとめたものだった。怖ろしく売れない本だった。
とくに内容を追うでもなく指に掛けたページをパラパラとめくってゆく。カビ臭い微風が頬を撫でた。目を覆いたくなるような稚拙な絵と氷点下のギャグが視界を通り過ぎる。しかし居たたまれない恥辱に折れる一方で、下手糞な線に込められたもがくような情熱が、当時の記憶を蘇らせた。
風呂無しアパートの一室でマンガにしがみついていたその頃の俺は、自意識がとぐろを巻いた糞だった。何度も没になったネームを徹夜で描き直しながら本気で世間を呪った。それでもやっと閃いたくだらないギャグに自分を天才だと思い込み、その直後深く落ち込んだりした。
画力はさらにひどかった。自転車一台満足に描けず、修正液が乾くのが待てなかった。金がないのでスクリーントーンはどんな切れっ端も貼り合わせて使った。
やっと出来た原稿を早く誰かに見せたくて、真夜中に自転車で女の部屋まで行った。行きつけの弁当屋でバイトしていた彼女は眠い目を擦りながら原稿を読んでくれた。俺が感想を求めるとにっこり笑って「面白かったよ」と言ってくれた。
その女とはとうの昔に別れた。俺のマンガはまったくウケなかったが、なぜか一部のモノ好きや業界人から評価され、そのツテで掴んだ仕事を元になんとかいまの生計を立てている。あの頃のことは思い出したくない。
思い出しただけで、泣けてくる。
定期的に流れる店内アナウンスがまた流れ始めた。
読み終わった本をお売り下さい。本来なら捨てられてしまう本が、他の誰かを楽しませることができるとしたら、それって素敵なことじゃないですか?
全然素敵じゃない。
本を戻し、腐ったレモンと化した俺は、その場で、静かに、自爆した。
NOVELIZE OR DIE 第二十四回
読み終わった本をお売り下さい。本来なら捨てられてしまう本が、他の誰かを楽しませることができるとしたら、それって素敵なことじゃないですか?
頭上から流れる無個性で明るい女の声は、概ねそのような内容を述べている。
店内は昼間から白々しい蛍光灯の灯りに照らされ、生乾きの雑巾に似た匂いが籠もっている。すべての価値を均一化された105円コーナーには文豪の名作やら、かつてのベストセラーやら、もう誰も覚えてないタレントのエッセイ集が、ランダムに背表紙を並べている。その中の一冊に、梶井基次郎の「檸檬」を見つけた。
たったそれだけの話だが、圧倒的に濃密な文体で書かれた作者の心情は、挫折と自慰を繰り返していた思春期の俺に、鋭く刺さった。
懐かしさからつい背表紙に指を掛けたが、思い止まった。返り討ちは明らかだった。
店内アナウンスはいつの間にか終わり、発情期の猫を思わせるビジュアル系バンドの歌に変わっていた。
なにを求めるわけでもなく、書架の迷路をさまよう。
床に置いたランドセルに座りマンガを読み耽る小学生、抑揚のない早口で友人とアニメ談義を交わす女子高生、どう見てもリストラを家族に告げられずここで時間を潰しているとしか思えない中年サラリーマン。平日昼下がりのブックオフには105円均一の人間がたむろしている。無論、俺を含めて。
店内は入り口付近から売れ筋順に人気の少年コミック、話題の文芸書、青年コミック、文庫本、実用本、写真集とつづく。そして誰も近寄らぬ最深部に、成人マンガとマニア向けコミックの棚がある。淀んだ空気と、棚全体から漂う囚人じみたオーラに怖気を震い、踵を返そうとしたときだった。
見覚えのある背表紙が視界をよぎった。自著だった。
十数年前マンガ家としてデビューしたものの鳴かず飛ばすで、以後さまざまなイラスト、雑文、ゴースタライターなどをこなすうち、俺は業界のなんでも屋に成り下がっていた。著作はここ数年出していない。「めんそーれ☆東京」と題されたその短編マンガ集は俺がはじめて出した単行本だった。
互いの恥部をことごとく晒し合った挙げ句、泥沼の悲喜劇の末別れた女と、場末のピンクサロンで再会する。そんな気分になった。
冷たい戦慄に全身が総毛立つと同時に、ある種の自虐的ともいえる好奇心がこみ上げて来た。気持ちとは裏腹に震える指先が、目の前の忌まわしい背表紙へと向かっていった。
俺は自著を手に取った。心が妙に静まった。
表紙には南国の砂浜をバックに、パンダにまたがりダブルピースをしている落ち武者が描かれていた。意味などない。タイトルもただ語呂の響きを重視した思いつきだった。「めんそーれ☆東京」はデビュー以降、さまざまなマイナー雑誌やエロ本に描いたショートギャグを無理矢理一冊にまとめたものだった。怖ろしく売れない本だった。
とくに内容を追うでもなく指に掛けたページをパラパラとめくってゆく。カビ臭い微風が頬を撫でた。目を覆いたくなるような稚拙な絵と氷点下のギャグが視界を通り過ぎる。しかし居たたまれない恥辱に折れる一方で、下手糞な線に込められたもがくような情熱が、当時の記憶を蘇らせた。
風呂無しアパートの一室でマンガにしがみついていたその頃の俺は、自意識がとぐろを巻いた糞だった。何度も没になったネームを徹夜で描き直しながら本気で世間を呪った。それでもやっと閃いたくだらないギャグに自分を天才だと思い込み、その直後深く落ち込んだりした。
画力はさらにひどかった。自転車一台満足に描けず、修正液が乾くのが待てなかった。金がないのでスクリーントーンはどんな切れっ端も貼り合わせて使った。
やっと出来た原稿を早く誰かに見せたくて、真夜中に自転車で女の部屋まで行った。行きつけの弁当屋でバイトしていた彼女は眠い目を擦りながら原稿を読んでくれた。俺が感想を求めるとにっこり笑って「面白かったよ」と言ってくれた。
その女とはとうの昔に別れた。俺のマンガはまったくウケなかったが、なぜか一部のモノ好きや業界人から評価され、そのツテで掴んだ仕事を元になんとかいまの生計を立てている。あの頃のことは思い出したくない。
思い出しただけで、泣けてくる。
定期的に流れる店内アナウンスがまた流れ始めた。
読み終わった本をお売り下さい。本来なら捨てられてしまう本が、他の誰かを楽しませることができるとしたら、それって素敵なことじゃないですか?
全然素敵じゃない。
本を戻し、腐ったレモンと化した俺は、その場で、静かに、自爆した。
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