セリエA・インテルのサイドバックとして、5月にはコッパ・イタリア優勝に大きく貢献した長友佑都。名門インテル初の日本人選手となった今年、長友は周囲の期待を上回る活躍をみせ、はやくもタイトルを獲得した。

だが、長友がミッドフィルダーからディフェンダーにコンバートされたのは、明治大学時代の2006年。実質4年強で世界トップレベルのディフェンダーへと成長していることになる。

5日深夜、TBS「S1」番組内「ターニングポイント」のコーナーでは、そんな長友の“ターニングポイント”を紹介。明治大学の入学直後に椎間板ヘルニアとなり、スタンドからチームを応援する日々が続いていた長友は、大学二年の秋に大学サッカー部、神川明彦監督の一言により、まさに人生を変えることになったサイドバック転向を果たす。

「ディフェンスするのが嫌で、小学校の時はフォワードだったんですよ。中学校、高校とどんどん下がっていって、大学でディフェンスになった。やっぱ、攻撃したいじゃないですか? だから、サイドバックは嫌だったんすけどね」。番組のカメラにそう語った長友だが、Jリーグ・デビューから僅か二ヶ月でのA代表入り、その後、僅か二年でセリエA移籍を果たすなど、今後もスピード出世を続けてくれそうだ。