「急性骨髄性白血病」の闘病生活について発信する鹿児島県在住のしんたろさん(いずれも提供写真)

写真拡大

風邪かと思っていたら、白血病と診断された―。自身の闘病生活についてSNSで発信する男性がいる。妻と幼い娘と暮らす会社員男性(35)。今年1月、40度超の発熱が何日も続き、病院で風邪と診断された。一向によくならず、病院を数軒巡った末、診断されたのは「急性骨髄性白血病」だった。医師はこう言ったという。「あと1週間遅かったら亡くなっていましたよ」

【写真】「おっぱいが大きい人の聴診は嬉しいですか?」小学生みたいな質問への医師の回答が「マジですごい分かる」と反響

3軒目の耳鼻科でようやく採血

鹿児島県在住のインスタグラム名・しんたろ。さん(@shintaro_tv)。今年1月末、喉の調子が悪くなって発熱し、地元のクリニックを受診した。PCR検査などを受けたが、インフルエンザも新型コロナウイルスも陰性。医師は「風邪」と診断し、抗生剤を処方した。数日経っても頭痛や悪寒が増すばかり。同じクリニックで再度検査を行ったが、陰性。喉の奥を診てもらったが、「よく分からないね。風邪だと思うんだけど…」と医師。別の病院紹介を依頼すると電話をかけてくれたが、どこも繋がらず。「週明けの月曜日に来てください」と言われて帰宅した。

日曜日も熱は下がらず、月曜日に再度、クリニックへ。この日も医師が別の病院に電話をかけてくれたが繋がらず、「近くの耳鼻科にする?」と言われた。一方、妻が電話した病院と連絡が繋がり、別の病院へ。そこでは「上咽頭炎」と診断され、自宅で療養を続けることになった。

発熱から10日。体調は改善しなかった。近所の耳鼻科を受診すると、医師は熱心に話を聞いてくれ、採血を行うことに。2日後には病院から電話があり、「白血球に異常があります」と大学病院を紹介され、白血病が発覚した。

急性骨髄性白血病は、白血球になる前の未熟な細胞「骨髄芽球」に異常が起こり、がん化した白血病細胞が主に骨髄で無制限に増える病気。5年生存率は20%という。

家族を残して逝くわけにはいかない

「診断を受けた瞬間、死を覚悟しました。人生終わるんだなって。頭の中が真っ白になって、妻に何度も謝りました」としんたろ。さん。ただ、娘は当時3歳。「家族を残して絶対に逝けないので。『頑張るしかない』と自分に言い聞かせて。妻とは、『娘の前では絶対に泣かない』と約束しました」

治療は2月5日から始まった。抗がん剤を3クールした後、放射線を経て、骨髄移植手術。初めての抗がん剤では吐き気が続き、ご飯が食べられなかった。69キロあった体重は56キロに。髪は抜け落ち、ニット帽を被るようになった。一番つらかったのが、放射線治療の後だ。口内炎で口の粘膜が剥がれ、口を動かすこと自体が痛く、1カ月間はほとんど絶食状態。味覚もない。喉も腫れて息がしづらかった。

ドナー提供者は、血液の型が半合致した弟。完全に一致していないため、移植後は毎日、「ハプロ熱」と呼ばれる40度超の高熱にうなされた。頭痛や吐き気もひどい。放射線の影響で膀胱炎も発症し、トイレに行く回数が増えるのに、排尿時は激痛だった。

隔離されたクリーンルームは孤独で、全身が限界に達しているように感じた。それでも、家族とのLINE電話が癒しになった。「娘とこんなことをしたよ!」と報告する妻。「パパ―」と笑顔を見せる娘…。「乗り越えれば家族とまた普通の日常を過ごせる」と思うと、耐えられた。

ただ普通の生活がとても幸せ

8月に退院したしんたろ。さんは現在、Youtubeなどで自身の闘病生活を発信している。「自分が白血病と診断された時、ネットで病名を何度も検索したんです。ただ闘病記って多くなくて。病状に個人差はありますが、経験を共有することで誰かの役に立てればと思って。あと、白血病でも元気に生きている人がいるのを知ってもらいたいですね」と話す。

そして、「今、ただ普通の生活がとても幸せ」とも語る。免疫が完全ではないため気を付けることも多く、再発の可能性もあるため油断はできない。そんな中で、家族でマクドナルドに行ったり、一緒にベッドで眠ったり…。家族と過ごし、笑い合う。当たり前を楽しむことが、何よりの宝物だと感じているという。

最後に、今後やりたいことを聞いてみた。「娘はプリンセスが好きなのでディズニーランドやUSJにも連れて行ってあげたいし、治療期間に一度だけ家族で行けた長崎のハウステンボスにももう一度行きたいですね。バイクでツーリングにも行きたいし、娘の成人式までは絶対に生きたいし…」。小さな幸せが、まだまだ先に広がっていた。

(まいどなニュース・山脇 未菜美)