1954年の米国の水爆実験で「死の灰」を浴びた第五福竜丸(2022年7月1日、東京都江東区で)

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 米国の水爆実験で被曝(ひばく)したマグロ漁船「第五福竜丸」の元船長、筒井久吉(つつい・きゅうきち)さんが死去していたことがわかった。

 92歳だった。葬儀は近親者で済ませた。親族によると、6月4日に名古屋市の自宅で老衰のため亡くなったという。

 筒井さんは、愛知県出身。1954年1月に第五福竜丸に乗って静岡県の焼津港を出港し、急病になった船長の代わりを務めた。同年3月1日、米国が太平洋・ビキニ環礁で行った水爆実験で、筒井さんを含む乗組員23人全員が被曝。1人が半年後に死亡した。

 筒井さんの長女・加藤千里さん(65)によると、筒井さんは、「第五福竜丸事件」の後、愛知県内の水産試験場に勤めていた。加藤さんは「調査船に乗って海外に行くなど、とにかく海に関わる人だった」と振り返り、「晩年は釣りを楽しんでいた。普通の父親で、福竜丸のことを私に語ることはなかった」と話した。