自分は違う、と思っていても、実は「老害」だと周囲から思われているかもしれません(写真:Luce / PIXTA)

「老害」というと無茶を通そうとしたり、時代錯誤な主張をしたり、高圧的な態度を取ったりする高齢者を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかしまだ働き盛りの中高年でも、若い部下や後輩から老害と思われていないか、ちょっと心配になっている人もいるのでは。

「『老害』とは特定の年齢を過ぎると起こるというものではない」というのは、1万人以上の脳を診断した医師・加藤俊徳さん。加藤さんの著書『老害脳 最新の脳科学でわかった「老害」になる人 ならない人』から一部を抜粋し、誰にでも起こりうる「老害」について考えていきましょう。

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あなたの周りにいるやっかいな「老害」者たち

あなたの身近にこんな人はいませんか?

・他人の意見を聞き入れようともせず、一方的に意見を主張し続ける人

・SNSで自分の価値観を押しつけたコメントをする人

・「こんなものくだらない」「どうせダメだ」など、自分の知らないことや、新しいものに否定的な態度を取る人

・店員にやっかいなクレームを付けたり、突然大声でキレだす客

・飲み会で長々とお説教や昔の武勇伝を語る先輩社員

「いるいる! そんな人」と共感する方も多いのではないかと思います。あるいは、具体的な顔が思い浮かび、嫌な記憶が蘇った方もいるかもしれません。

これらは、いわゆる「老害」行為と呼ばれるもので、主に年長者から年下相手に繰り広げられます。

理不尽に、大声で怒鳴りつける、自分の考えが絶対とばかりに押しつけてくる、他人の意見には耳を貸そうとしない……。

このような「老害」エピソードは、さまざまな場所で頻繁に発生し、日々の生活だけでなく、ときにはニュースになったり、ネットを騒がせたりしています。

このように、よく話題になる「老害」ですが、定義はあるのでしょうか? 言葉をよく目にする割には、はっきりとした答えはわかりにくいものです。

辞書で「老害」を調べると、次のように定義されています。

「年をとった人間が上層部にいすわって、元気な若い人の活動のじゃまになること」(『三省堂国語辞典』第七版)

つまり、「老害」とは、年をとった人が若い人の自由な活動を妨げることを指します。若者の行動を阻害したり、その行動を無意味だと文句をつけ批判をしたりするのも、彼らの自由を制限する行為に当たります。

一見流行語、新造語のようにも思えますが、新聞記事などをさかのぼって調べてみると、少なくとも80年代には「老害」という言葉が全国紙に登場していたそうです。ということは、日本社会ですでに40年以上生き残っている単語であり、また現象だと考えられます。

では、「老い」の「害」と書く「老害」とは、具体的に何歳頃からそう呼ばれるのでしょうか? 「老害」という言葉はメディアやSNSでよく見かけますが、実際には、年齢に関する明確な定義は存在しません。当たり前ですが、これは政府や公的機関が定めたものではないからです。

したがって、「老害」とは特定の年齢を過ぎると起こるというものではありません。たとえば大学サークルのOBやOGが現役生に口出しをするような場合、その人たちが20代であっても、相手が迷惑だと感じるならば、それは「老害」行為と見なされるでしょう。

とはいえ、一般的には日本の企業において管理職や役員となる50〜60代、さらに上の一般的に「高齢者」と呼ばれる年齢層に対して使われるケースが多いのではないでしょうか。

要するに、年上の人が自分の立場を利用して、若い人の活動の自由を妨げる行為を「老害行為」と称し、そのような行為をする人を「老害」と呼ぶのです。

組織や社会にまで影響を及ぼす「老害」

そして、「老害」は決して個人間だけでの問題ではないと言えます。実は組織や社会全体にも大きな影響を及ぼすのです。

たとえば、職場における「老害」は、年下の社員の意欲を削ぎ、組織全体の活力を失わせる原因となります。

上司からの一方的な叱責や批判が続くと、部下は萎縮し、のびのびと働いたり、意見を言ったりすることが難しくなり、自由な発想や、新しいアイデアは生まれにくくなります。結果として、組織は停滞し、競争力を失う危険性が高まります。

また、「老害」がまん延している組織では、たとえ内部で悪事が行われていても、誰にも問題視されずに見過ごされてしまうことがあります。長年の慣習や暗黙のルールが優先され、内部での指摘が困難な環境では、外部からの報道で初めて問題が明るみに出ることも少なくありません。

古い体質の企業では、経営陣が問題を隠蔽し続け、最終的に大規模なスキャンダルに発展するケースもあります。不正や偽装、賄賂など、挙げ出したらキリがありません。

さらに、「老害」は社会全体の発展を妨げる要因にもなり得ます。年功序列や古い価値観が色濃く残る環境では、新しいアイデアは浮かびにくく、改革が進みにくくなり、社会全体が停滞し、変革が進まない状況が続くことになります。

このように、「老害」は個人だけでなく、組織や社会全体に影響を及ぼす大きな問題にもつながりかねないことから、見過ごすことはできないのです。

「老害」には誰しもが陥る ─ 「老害脳」という概念

人や組織、社会にまでさまざまな影響を及ぼすと言える「老害」ですが、脳科学の研究者としてお答えするなら、「老害」は誰にでも起きることです。決して特定の人だけに問題があるわけではなく、「よくあること」です。

「老害」をもたらすような人は、もともとそのような性格だったと考えられがちですが、実はそうではありません。脳の働きが原因なのです。先に述べた「老害」的な行動の数々は、多くの場合、脳機能の変化によって引き起こされていると考えられます。

私は「老害」的な特徴のある脳を「老害脳」と称しています。ただし、「老害脳」は医学的な専門用語ではないことも付け加えておきます。

「老害」が脳によって引き起こされている以上、「老害」は誰にでも起きる可能性があります。今は「老害」の被害者側の人であっても、加齢とともにやがては「老害脳」化し、加害者側にも十分なり得るのです。当然、加害者側と被害者側の両方に同時になり得る時期も存在します。

「そんな! あんな風にはなりたくない」「自分は大丈夫だろうか……」と思っている方もいるかもしれません。

たとえば、最近このようなことを感じることはありませんか?

・時々、部下たちが話している話題についていけなくなった

・他人の発言にイライラしてしまうことがある

・新しいことを始めるのがおっくうになってきた

こうした兆候がある場合、実はすでに「老害脳」化が始まっているかもしれません。

もしかして気づかないうちに自分の振る舞いが、昔「あんな風にはなりたくない」と思っていた「老害」の姿そのものになっているとしたら? よかれと思ってやったことが、実は相手から「老害」だと思われてしまっていたら?

もし仮に、自分の行動の99%に「老害」感がなくても、残りの1%で「老害」が感じられたら、それは相手に強烈な印象を残してしまうかもしれません。そうすると、他の全ての言動も、その言動をした自分自身までも「老害」と思われてしまうのでは?

実は、私自身は医師として、生まれたばかりの赤ちゃんから、ビジネスパーソン、さらには100歳を超えた超高齢者まで、どんな年齢層の人とも気さくに話せることを特技としてきました。

しかし、決して若い人に偉ぶらないように、十分気をつけているつもりでも、知らないうちに余計なことを口走り、嫌な思いをさせてしまっているかもしれない──。こう考え始めると、何とも悲しく、いたたまれない思いになってしまうのです。

「老害」には誰もが陥る可能性があります。年齢を重ねるうちに、知らず知らずのうちに脳の機能が変化し、なってしまうものなのです。

そう考えると、「老害」と呼ばれる人の中には、心から他人の役に立ちたいと思って行動している人もいるかもしれません。

若い人のために尽力したいと願っているのに、「老害」として忌み嫌われる存在になっている可能性があるなんて……。それがもし自分のことだったらと思うと、たまりません。

そんなことを考えてしまいます。

脳の仕組みを理解し、「老害脳」を克服すれば、社会全体が豊かになる
「老害」の被害に苦しんでいる人と、心から人の役に立ちたいと思っているのに「老害」と見なされてしまう人(もちろん、その両方の側面をもつ人もいるでしょう)の思いを、うまく汲み取って関係を調和できないものでしょうか?

超高齢化社会の日本で「老害」が増える背景

ただでさえ、日本は超高齢化社会です。年齢に関わりなく、働きたい人ができるだけいい仕事をし、他人の役に立ちながら、充実したいい人生を送れるかどうかは、日本全体の課題と言えるでしょう。

もしも「老害」という問題が、そうした理想を阻んでいるのであれば、また「老害」が、若い世代の活動を萎縮させ、中年以降の人々の脳の老化を加速させていくだけなのだとしたら、これはぜひ、脳科学者としてなんとかしなければならないと思うのです。

また、もしかすると「老害」とは、日本における年功序列的な文化が背景にある現象なのかもしれません。


日本社会では、年齢や肩書きを重んじる傾向が強いために、言っていることの正しさや議論の大切さよりも、集団の秩序を重視するあまり、遠慮や忖度、そして「出る杭を打つ」行為がまん延しかねません。ここに、「老害脳」を放置し、悪化させてしまう温床があるのかもしれません。

ただし、自分の「老害脳」化を過剰に恐れたり、一方的に他人の「老害脳」を批判したりすることはやめましょう。誰もがそのリスクを抱えているのですから。

それよりも、人が「老害」になってしまう脳の仕組みを理解し、より良いコミュニケーションと、知識や経験の共有が行われることで、みんなが協力し合い、社会が豊かになれる方法を見つけられればと思います。

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(加藤 俊徳 : 医学博士/「脳の学校」代表)