クライマックスシリーズ、日本シリーズと続きプロ野球は盛り上がるが……(画像:tabibito / PIXTA)

「青少年の刑法犯罪は増加の一途」
「生活保護費の不正受給が蔓延し財政が逼迫」

もっともらしく聞こえますが、これらはフェイクです。気がつけば、日本の政治や社会を考えるための基本認識に、大中小のフェイクとデマがあふれかえっています。

「『世界は狂っている』という大雑把で切り分けの足りないペシミズムに陥らないことが大切」と述べるのは、政治学者の岡田憲治氏。大中小のフェイクについて考えることをスイッチにして、この世界を1ミリでも改善するための言葉を共有する道を探そうと企んで執筆したのが『半径5メートルのフェイク論「これ、全部フェイクです」』。今回は、日本の野球にまつわるフェイクについて考えてみたい。

最古のプロスポーツがマイナーになる可能性


日本に定着して100年を超えるベースボールが、2500万人を超える観客動員数(2023年)の水面下の川底に、未来の衰退兆候を見せています。尋常ならざるベースボール・ファンである私には、そう見えます。

サッカーに続いてバスケットボールや卓球がプロ化して、ラグビーも世界水準の選手がたくさんトップ・リーグにやってきて、もはや最古のプロスポーツは、国民的娯楽(national pastime)ではなく、数あるスポーツ競技のひとつとして、将来的にマイナーとなる可能性もあります。

サッカーは1993年のプロ化以降、紆余曲折はありましたが、確実に地域社会に根をはり、10チームから始まったJリーグのチーム数は、今日下位リーグを含めて60になりました。

成功の理由は、全国統一の指導のコーチング・ライセンス制度が確立していること、リーグに加盟するために必ず「地域スポーツ振興活動」と「ユース育成システム」をもつなど、厳しい運営基準が義務づけられたことなどです。今や、小・中学校レベルから「経験したことのあるスポーツ」として、ベースボールを凌駕しています。

スーパーエリートの集団「プロ野球」

とは言え、のべ数でも国民の4人に1人をスタジアムに呼び込むプロ野球の華やかさは失われていません。緑の芝生でプレーする選手たちは文字通り「超人」です。

そして、それをつくり出すノウハウも確立しています。小中学生レベルからリトル、シニア、ボーイズなどの各種リーグがあり(いずれも硬式ボール)、激しい競争を勝ち抜いた天才少年たちが最も甲子園大会に出場しやすい環境を基準に、郷土の代表という建前とは無関係に地方に散り、春と夏の約2週間に大メディアの関心を受けるために全国大会への出場を目指します。

卒業後は大学や企業、そしてスーパーエリートがわずか百数十人だけプロ野球に入団できます。このエリート調達システムは、相当完成されたものであり、それゆえ日本のベースボールの水準は世界に引けを取りません。

しかし、この超人たちのリクルート・システムは、高校以後は地域密着とどんどん縁が遠くなっていきます。青森県の甲子園の代表校の選手のうち、青森県内の中学校出身者はわずかしかいません(2023年夏)。

元メジャーリーガーの楽天の田中将大選手は駒大苫小牧高でしたが、もともとは兵庫県の宝塚ボーイズの出身です。ダルビッシュ有選手も大阪のボーイズリーグでは伝説的天才選手でしたが、東北高校へ行き、甲子園でノーヒッターとなりました。

大谷の活躍で競技者は激増したか

しかし、全部で800人ほどしかなれないプロ野球選手のリクルートメントだけで、ベースボールはスポーツ文化として社会に磐石の基盤をもてません。もちろん超人的プレーが、この競技を知らない人たちに衝撃を与え、それを契機に人気が高まるということは考えられます。

それでは、二刀流メジャーリーガーとなった大谷翔平選手の圧巻の活躍があって、新たにベースボールを始めようとする子どもは激増したでしょうか? していません。

あるスポーツ競技を支える人たちとは、やはり小中高という子どもの時代に部活や地域のクラブで自分が競技者としてプレーしてきた人たちであり、それが超人たちを支える裾野なのです。

その点で言えば、小中学校の競技人口において野球はサッカーに逆転され、高校でも部員数は減り、野球離れは顕著となっています。中高の野球部員が減っているのは、そもそも少子化だから当然だと楽観視する野球関係者もいますが、中体連や高野連の調査に見られる部員数の減少は、少子化の数倍のスピードで進んでいます。原因は少子化だけではないのです。

実際、私の子どもは中学の野球部員ですが、常に他校との合同チームになる心配と戦っています。小学校高学年のとき、クラスの男子で野球のルールを知っていた者は、数名に過ぎませんでした。ひとクラスに「背番号3」が5人もいた私の時代には考えられないことです。

野球の裾野が枯野になっている

部員減少のひとつの理由は、専門チャンネル以外でのベースボール・コンテンツが激減してしまったことでしょう。現在、スカパー!(CS)やDAZN(ネット)以外で、試合中継は何試合やっているでしょうか? 実に少なくなってしまいました。

すると「どうして地上波は野球放送をしなくなったのか?」と問われます。それを「つまらないオワコンだから」とすると、理由は「子どもが小さい頃から野球をやらなくなったからだ」になります。つまり堂々めぐりです。でも、すべてをテレビ局のせいにはできません。

超人たちを800人集めるシステムが継続しても、数十年後にスタジアムに足を運ぶ人たちが今と同じ数だけ確保できる見通しはありません。裾野が枯野になっているからです。

そして、そのことに気がついて、危機感をもっているプロチームも出てきました。チームは年間に143試合でも、「子供野球教室」を県内で数百回やっているチームもありますし、親に連れてきてもらったスタジアムで、ホームチームのユニフォームをプレゼントしたり、各種イベントで現役スタープレーヤーが直接ファンに触れ合ったりする回数も増えつつあります。

興行にとどまる限り「流行り廃り」に左右

そしてそのとき、本腰を入れている球団が常に意識しているのが、球団が「地域とともにある」というコンセプトです。
これはプロ野球関係者がようやくサッカーやバスケットボールの成功を理解して、「リーグ全体の利益のためにこそ地域ごとにファンを大切にする」努力をしているということです。その意味でも、あらゆるスポーツにおいて、競技の水準が急激に上がるミドルティーンくらいの子どもたちにとっても、この「地域密着」運営は非常に重要です。

スポーツが娯楽としての「興行」にとどまっているとき、それは文化となり得ません。なぜならば興行として飽きられて見限られたら、その競技そのものが終わってしまう可能性が高いからです。

大企業の福利厚生経費で運営されている競技は、不景気になれば真っ先に廃部にされて、「お金がないからなくなる」、つまりそれは「流行り廃り」の興行にとどまります。

たとえば、なかなかプロ化が進まない、それでいてたくさんの競技人口を抱え、長い伝統を誇るバレーボールを運営していたVリーグ(セミプロリーグ、2018〜2024年)で、大企業の福利厚生費ではなく、地域に支えられた密着運営をしているのが、男子は「堺ブレイザーズ」と女子は「岡山シーガルズ」です。2024年10月から始まる新しいバレーボールのリーグ、SVリーグもまだセミプロです。

スポーツが地域「文化」となる

ある競技が、「目の前で超人たちが奇跡を見せてくれる」喜びを享受する、地域の人々による広い裾野で支えられたとき、それは人々の生活や人生とシンクロし始め、「甲子園には出られなかったしドラフトにもかからなかったけれど、地域リーグ(四国アイランドリーグなど)や地元クラブチームで野球を続けられる」ことになり、「この街はスポーツをスイッチにして、経済も社会交流も教育もみんな連動している」というシビック・プライドを生み出し、それはすなわち、スポーツが地域「文化」となることを意味します。

地域密着の競技運営が「その競技のスポーツ・キャピタル(競技資本)」という基盤づくりを積み上げていき、それが興行ではなく「文化」として継承されるのです。

競技名をいろいろ入れ替えてみれば、地域密着してプロ化に成功した競技、それに向けて発展中の競技、そしてどうしてもそこへ着地できない競技などがわかります。

そして、まさにプロ野球という長い歴史を誇る競技団体の中においても、さまざまなコントラストが浮上します。

地元の地方テレビ局の利益を守るために、ネット放送コンテンツと契約をあえて結ばず、選手の年俸は抑え気味ではあっても、若手選手を育成から丁寧につくり上げ、地域のファンとともにその成長を見守る球団があります。「親会社」はなく、長年支え続けてきた地元企業の経営者個人が大株主です。

その地元企業の業績が悪化すれば、その株は市民がシェアすることになるでしょう。ベースボールはなくなりません。なぜならば地域に根づいているからです。

20世紀のビジネスモデルとしての野球

他方、地域属性が曖昧で、親会社を自称する大企業の「宣伝広告費」を税制慣習上特例的に援用して、スーパースターばかりを大金で連れてくるような20世紀的やり方は、裾野も基盤も軽視して、超人たちだけで行われる興行モデルからの離脱がなされていないように思われます(個々の選手には何ら責任はありません)。

伝統的に、日本の職業野球団の運営は、マス・メディアを中心になされてきました。購読者数を増やすためです。夏の高校野球は朝日新聞、春のセンバツと社会人都市対抗は毎日新聞、そしてプロ野球は読売新聞です。まさに20世紀ビジネスモデルです。

亜熱帯の「亜」が取れてしまった灼熱の極東の島国で、日本で2番目の発行部数を誇る全国紙が、郷土の誇りなど希薄になった、身体を削って行われる酷暑の全国大会を今もなお延々と続けています。未来を考える球児はもう最初から海外でのプレーを考え始めています。

悪意のないプチ・フェイク

もし、ベースボールを主導する人たちが、自チームの利益にとどまらないスポーツ全体の未来への視点をもつなら、自らの歴史的役割(ベースボールの魅力を全国規模に広げたこと)の転換点を自覚し、加速化する裾野の枯野化を防ぐ、真の意味でスポーツが地域に根ざすものとして文化になる、21世紀コンテンツをつくり上げるべきだと思います。まだお客さんがたくさん来てくれる今がチャンスです。

トップ800人のリクルート・システムを整備しつつ、いつの日か「今日は比較的お客さんが入りましたね。9000人です」などとアナウンスされる日が来てしまうのでしょうか? 長い年月に引きずられた「野球こそ国民的娯楽の王様」という「悪意のないプチ・フェイク」に気づき、ベースボールを残してくれた先人たちの尽力に恩返しをしたいという気持ちです。

(岡田 憲治 : 政治学者/専修大学法学部教授)