便利な「無料AI翻訳」なぜ仕事で使うとヤバいのか
便利な無料のAI翻訳サービスを使っている人は多いだろう。しかし、ビジネスで活用するにはリスクが大きいという(写真:tadamichi/PIXTA)
グローバル化が進みAIの活用が叫ばれる中、AI翻訳サービスを利用して仕事をするビジネスパーソンが増えている。
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「われわれの2022年調査では、定期的に仕事で外国語の読み書きが必要だと回答したビジネスパーソンは25〜30%ほど、そのうちAI翻訳を使っている人はほぼ100%に達していました。ここまでビジネスの場に浸透しているAIサービスは、過去に例がないと言えるでしょう」
そう語るのは、みらい翻訳CRO(Chief Revenue Officer)兼翻訳DXチーフエバンジェリストの瀬川憲一氏だ。
機械翻訳は1950年代から研究が進められてきたが、長らく実用レベルには至らなかった。それがAIの進化に伴い急速に精度が上がり、さらにはニューラル機械翻訳という手法の登場によって、2019年頃からAI翻訳は一気にビジネスシーンに浸透したという。
「現在のニューラル機械翻訳の主流はトランスフォーマーというモデル。皆さんが翻訳をするときにお使いになっているAI翻訳サービスのほぼすべてに、この仕組みが使われています」と、瀬川氏は説明する。
「無料AI翻訳サービス」の思わぬ落とし穴
AI翻訳サービスには、無料のものと有料のものがある。実は翻訳の品質に関してはあまり差がないが、セキュリティ面で大きな差があるという。「サービスを無料で提供する側の目的は、広告収入や課金への誘導だけではない」と瀬川氏は指摘する。
無料サービスでまず注意したいのは、情報漏洩リスクだ。翻訳のために投入された文章が、AIの学習に二次利用されているという。
瀬川 憲一(せがわ けんいち)/みらい翻訳 CRO 兼 翻訳DXチーフエバンジェリスト。ベネッセコーポレーションにてキャリアをスタート。経営企画、新規事業開発を経て退職した後、2社のSaaSスタートアップの執行役員を経て、2020年11月よりみらい翻訳にジョイン。セールス・マーケティング領域を統括する一方、AI自動翻訳の理解促進、社会実装を推進する翻訳DXチーフエバンジェリストも兼任。AI自動翻訳の利用実態調査・分析、企業の翻訳環境整備のためのアセスメント、それら活動から得られた知見をシェアするウェビナーヘの登壇等、広報活動も行う(写真:みらい翻訳提供)
「無料のAI翻訳サービスを提供する企業の多くが、ネット上にある情報を徹底的にクロール(収集)してAIに学習させる方法を採っていますが、それだけでは学習量が足りないので、翻訳の精度を上げるために皆さんが投入した文章を取り込んでいます。利用規約を読めばわかることですが、無料と引き換えにこちらの情報を企業に渡しているのです。今のところ、無料サービスの利用によって被害を被ったという事例は確認されていませんが、だからといってみだりに情報を入力してはいけません」
自分はたいした情報を扱っているわけではないからと気軽に無料サービスを使っている人も多いかもしれないが、実際には重要な情報を入力してしまっている場合がある。例えばメール文の翻訳は注意が必要だ。同社の2023年調査では、自社名や取引先名、オンライン会議のURLやパスワードなどを含めたままメールの内容を入力してしまっているケースが散見されたという。
「無料サービスを提供する企業が、取得した情報を故意に外部へ漏らすことは決してないでしょう。情報は貴重だからです。もっと言うと、企業の内部ではどのように情報が利用されているのかはわからないということ。サービス提供者は情報を見ようと思えば見ることができ、二次利用のリスクは排除できないのです。そのため、とくに製造業のように世界中が欲しがる機密情報を持っている企業や、そうした企業と取引のある企業は、無料AI翻訳サービスを利用するリスクは非常に高いと言えます」
83%が無料AI翻訳サービスを使っていた
また、二次利用のリスクのほか、AI翻訳では「湧き出し」という問題がある。投入した原文とは無関係の言葉が翻訳結果に表れてくる現象だ。「社内の情報が、誰かの翻訳結果として出てきてしまう可能性がある」と、瀬川氏は警鐘を鳴らす。
こうしたセキュリティリスクがあるにもかかわらず、無料サービスはよく利用されている。同社が従業員500名以上の製造業を対象に行った2023年調査によれば、業務でAI翻訳サービスを利用すると回答した155名のうち83%がデータの二次利用の恐れがある無料サービスを使っていたという。
また、調査対象者が所属する企業の58%が、データが二次利用される可能性があるウェブサービスの利用に関して注意喚起が行われているという結果も出ており、利用に制限があったとしても無料のAI翻訳サービスが多く利用されている状況が浮き彫りになった。
「利用に制限を設けても完全に制限できるわけではありません。個人のスマホからアクセスするなど抜け道はたくさんあります。完全に制限する方法は、セキュアなツールを全員に与えること。安全に使えるものが手元にあれば、わざわざリスクを犯しませんよね。一部の部署にセキュアなツールを渡したところで、効率化はされてもセキュリティリスクは軽減しませんので、組織全体として導入することが重要です」
では、セキュアなツールは、どのように選べばよいのだろうか。
大前提となるのは、有料サービスであること。有料の場合、「ほとんどの企業は情報を二次利用しない。この点は安心していい」と瀬川氏は話す。そのため、機密情報に気を遣いながら入力しなくて済むので生産性が上がるし、とくに専門性が求められる内容については、安全かつ高い精度で利用できるという。
「例えば、契約書などはインターネット上に雛型はあっても実物は見つからないので、AIも学習することができず精度が上がりません。当社の場合、法律事務所と協力体制を取って、固有名詞や特殊条項などには触れないなど一定のルールの下、法務の学習データを集めています。非常に手間がかかるので、お金をいただいているわけです。このようにしっかりとしたセキュリティ対策が取られているのが、有料サービスだと考えてください」
有料のAIサービスを導入した後も要注意
また、どんなサーバーを使い、どう運用しているかを確認することも重要だ。とくに、利用しているAI翻訳サービスが国外のサーバーを使っているケースや、一部の処理で別会社のシステムを利用している場合などがあり、単純に日本法人だからといって確認を怠ると、守秘義務違反につながるケースもあるという。
「製造業などは軍事転用可能な技術を取り扱うケースもあり、海外のサーバーに置くことを禁じられている情報も少なくありません。取引先の情報を取り扱ううえでも、サーバーについて明らかにしていなかったり、連携している外部システムのセキュリティの確認に手間取ったりするAI翻訳サービス企業もありますので、きちんと確認しましょう」と瀬川氏は助言する。
ただ、求めるセキュリティの度合いは企業ごとに違うので、まずはセキュリティチェックシートなどを使い、導入を検討しているサービスが自社のレギュレーションを達成しているかどうかを確認したい。
「自社のセキュリティに関するレギュレーションを提示してやり取りをしてみて、対応に不満があれば採用しないほうがいいし、リスクが見えたとしてもそのリスクを許容できるなら採用すればいい。このあたりのことは、多くの企業の情報システム部は理解しているはずです」と、瀬川氏は言う。
問題は、セキュアなAI翻訳サービスを導入した後だ。セキュリティを厳しくし過ぎると、誰も使わないという。
「われわれの2021年調査でも、有料のAI翻訳サービスがあるのに8割の社員が無料のAI翻訳サービスを使っていたケースがありました。その理由は、有料サービスを使う場合、社内手続きが面倒なことにありました。社員が使いたいときに速やかにいくらでも使えるようにしておかないと、いくらルールをつくっても守られません」
無料のAI翻訳サービスは、セキュリティリスクを知っていたとしても、やはり簡単にアクセスできてすぐに結果も出してくれるので、その利便性には抗えないのだろう。そのためまずは、どれくらいの社員が無料のAI翻訳サービスを利用しているのかを把握することが重要だという。
「実際に調査してみて驚く企業は多いです。例えば、生成AIの導入後に新しいレギュレーションが守られているかを調査したところ、翻訳目的で外部のAI翻訳サービスにアクセスしている社員が多くいたことが判明した企業もあります。日常業務で翻訳機会のない社員が、ときどき必要に迫られて無料サービスを使ってしまうのでしょう。ここが最大のリスクですので、外国語利用の頻度が少ない社員でも自由に機嫌よく使える形で有料サービスを提供すべきです」
セキュリティリスクを勘案すれば、無料のAI翻訳サービスは使わないほうがいい。しかし、有料サービスがあっても、社員は気軽に使えなければ無料サービスに流れてしまう。セキュリティと生産性を両立できるバランスを取ることが重要だ。
(國貞 文隆 : ジャーナリスト)