(写真:Graphs/PIXTA)

高齢者専門の精神科医である和田秀樹さんは著書『脳と心が一瞬で整うシンプル習慣 60歳から頭はどんどんよくなる!』で、いくつになっても脳の働きを活性化させ、賢くなり続けられるのだと語っています。一生、最高の自分を更新し続けたい人に役立つ同書から一部抜粋・再構成してお届けします。

言語化力とは、難しい事柄をわかりやすく表現する力

頭がよい人の一つの要素として、話が上手だったり、話し方が魅力的であったり、といったものがあると思います。日本人はどちらかというと、ペーパーテストの点数がよかったり、読書家で豊富な知識を持っていたり、そういった人を頭がよいととらえる傾向がありますよね。けれど、多くの人に注目されたり、人を惹きつけたりするような人は、やっぱり言語化力に優れているのだと思うのです。

池上彰さんにしても、膨大な知識の量はさることながら、その知識をわかりやすく言語化する力が突出しているから、これだけ活躍し続けておられるのでしょう。私が思う言語化力とは、「わかりづらいことをわかりやすく表現する力」です。多くの人がなんとなく、難しい言葉をたくさん使える人を賢い人だと思いがちですよね。けれど、難しいことをわかりやすく話すことのほうが実はテクニックがいるもので、かつ必要とされることなのだと思います。

日本では一般書を書く人より、小難しい論文を書く人のほうが、どちらかというと権威があるようにとらえられています。一方アメリカなどでは、一般書を書いている人のほうが高い評価を得ていますし、また大学の教諭なども、「ティーチングスキル」といって、わかりやすい講義をする人が評価されているのです。

私自身の話をすると、日頃、医師としてさまざまな患者さんに接するなかで、医者は、説明が下手であると成り立たない職業だなとつくづく感じます。入り組んだ話、複雑な話も発生するなかで、それらをわかりやすく説明するのももちろんのこと、さまざまな知的レベルの方が来てくださいますから、一人ひとりに合った説明をすることが求められるわけです。そういったなかで、少しでも相手が理解しやすく話ができるよう、普段から心がけています。

難しい単語や概念を誇らしげに振りかざすのではなく、相手の理解度を丁寧に踏まえながら、わかりやすく話す。そういった高齢者こそ、品性と知性を感じさせるのではないでしょうか。

養老先生が、人間には「バカの壁」があるとおっしゃっていました。これは、話が通じないのは相手がバカだからなのではなく、人それぞれで認知の仕方が違うため、会話をした際、こちらの意図した通りには伝わらないことがあるのは仕方がないということです。そのことを前提としつつも、相手に理解してもらうための最適解を模索するということが大切なのだと思います。

話が上手な人の定義は、「まとめる力」があるかどうか

話が上手な人とそうでもない人を分ける最も重要なポイントは、得た情報や知識、自分の考えなどを「まとめる力」があるかどうかだと思います。わかりやすい話をするためには、まず自分なりにその内容を理解している必要があります。そこで重要になってくるのが、物事の大枠を理解する、つまりまとめるということなのです。

多くの学者は細かいことで議論を戦わせる傾向がありますが、大切なのはディテールではなく、要点や概略をつかむことだと思います。たとえば「仏教とキリスト教とユダヤ教とイスラム教の違い」や「仏教のなかでも、法華経と般若心経の違い」を説明したいと思ったときに、大雑把でもよいので、それぞれの全体像がわかっていれば、説明しやすくなるでしょう。

自分の考えを理路整然(りろせいぜん)と伝えるにしても、面白い話に発展させるにしても、もとになるのはまとめる力であり、この力が身につくことで、はじめて伝える力が発揮されるということです。誰かと会話をする際も、要約する力があれば、「つまり、この人の言いたいことはこういうことかな」と、ポイントをつかむことができます。そうやって相手の伝えたいことや意図していることを理解できたなら、ニーズを満たしてあげることができるでしょう。このように、まとめる力は、コミュニケーションにおいて非常に重要な能力です。

けれど残念なことに、日本の教育はこの「まとめる力」を伸ばすことにあまり重きを置いていません。外国では長い文章や論文を読み、その内容をまとめるという教育が行われているのに対し、日本では登場人物の心情理解をしたり、自分なりの感想を述べたりすることを求められます。なにもわざわざまとめる力を鍛えなくても、読解力は自然に身につくものと思われているのです。

「自分にはまとめる力くらいあるよ」と思ったとしても、いざ話そうとするとうまく言葉にならない、言いたいことが整理できない、といった具合になるのであれば、それは結局のところ、まとめられていないということなのです。けれど、このまとめる力も、少し意識を変えてみたり、日々のなかでトレーニングをしてみたりすることで、たいていの人が身につけることができます。結局ここでも大切なのは、ちょっとした技術と意欲なのです。

わかった気になるのと、実際に理解して内容をまとめられるのとは別問題

まとめる力をつけるために効果があるのは、さまざまな情報に触れたときに、その内容を要約してみること。「なんとなくわかった」で終わらせないということです。本や文章を読んだり、人の話を聞いたりしたときなどに、頭ではわかった気になっても、仮に「では、今の内容をまとめてください」と言われたら、戸惑ってしまう方が多いのではないでしょうか。「わかった気になる」のと、「実際に内容をきちんと理解していてまとめられる」というのは、まったくの別物なのです。だからこそ、意識して要約する訓練を重ねていくことが大切です。説明作業を日々、怠らないということです。

要約しようとするときは、「一番大切なことは何か」を念頭に置くようにしましょう。「あれも言いたい、これも言いたい」となると、散漫になり、内容がまとまらなくなってしまいます。まず核となる部分を見極め、そのうえで肉付けをしていくのです。これは会話をするときにも重要です。最初に結論ありき、といった話し方をすることで、話の方向があっちこっちにブレるのを防ぐことができます。

何らかの目的を持って読書をする場合は、章単位でじっくり読むことをおすすめします。速読できるのが格好いいと思われる風潮がありますが、一冊全体を素早く通読できることが善というわけではありません。

むしろ、まとめる力を身につけようと思ったら、パラパラと読み流すのではなく、要所、要所で立ち止まり、「ここまでの部分をまとめてみよう」と振り返るような、「部分熟読」を目指してみてください。パートごとに立ち止まりながら、要約してみる。この繰り返しで、まとめる力がおのずとついていきます。

たとえ話をうまく使う人の話はわかりやすい

「たとえ話を効果的に使う」というのも、わかりやすく話をするためのポイントだと思います。たとえば行動経済学において、「人間は損か得かに反応する、特に損に反応する」という説があります。人はそれぞれ「参照点」と呼ばれる基準を持っています。これは損か得かを判断する基準点のことで、個人差があるものです。この参照点を説明するために、例を出してみましょう。


たとえば、100億円持っている人が1万円損をしたとします。一見、大した損害ではないのでは?と思いそうなものですが、その人の参照点は100億円ですから、そこから1万円の損失が出ると、ものすごく損をしたように感じてしまうのです。

一方、1000円しか持っていない人が、100円得をしたとします。この人は参照点が1000円ですから、そこから100円儲かっただけでも、とても幸せに感じるということです。

あるいは、若い頃にお金持ちだったり、異性にモテたり、出世街道をひた走ったりしていたような人は、仮に高齢になってさまざまなものを失ったりした場合、何でも持っていた昔と比較して、今の自分をみじめに感じてたまらなくなってしまうかもしれません。

一方、若かりし頃、ものすごく貧乏で、異性にもモテず、満足のいかない人生を送っていたような人が、高齢になって特別養護老人ホームに入ったとします。そうすると職員の人は親切にしてくれる、熱さ寒さも感じず快適な室温で過ごせる、それまでよりはるかに美味しい食事ができるといった感じで、人生の最後に大きな喜びを感じることができるわけです。つまり、高齢になるにつれ、参照点は下げていったほうが、幸せの基準が下がり、心は満ち足りていくということです。

ここでは「参照点」を説明するために、たとえ話を活用してみました。たとえば経済の話であれば難しい経済用語をふんだんに使って話すより、こういった例を効果的に使ったほうが、はるかに物事をわかりやすく伝えることができることでしょう。このような話術こそ、年齢を重ねた人に求められる力なのではないかと思います。わかりやすくたとえ話をする場合にも、土台となるのはまとめる力です。まず内容を自分で咀嚼し、骨組みをつかんでこそ、そこに肉付けをしていくことができるのです。

(和田 秀樹 : 精神科医)