「私が最初に持ち込んだのは、愛用の台所用品です。急なことだったのでもとの家は残し、私は横浜と氷見の二拠点生活という形になりました。」(撮影:宮崎貢司)

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2024年10月15日放送の『徹子の部屋』に紺野美沙子さんが登場。元テレビディレクターの夫が富山県氷見市の副市長になり、神奈川と富山の2拠点生活になった紺野さん。4年が過ぎ、ますます今の生活を楽しんでいるそうで――。暮らしの変化について語った『婦人公論』2023年1月号のインタビュー記事を再配信します。******子育てを卒業し、親を看取るなど、この数年で家族の形に変化があった紺野美沙子さん。思いがけず始まった神奈川と富山の往復生活で、暮らしはどう変わったのでしょうか。(構成=上田恵子 撮影=宮崎貢司)

【写真】『まずい棒』のTシャツを着てキレよく踊る紺野さん

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想定外の新生活

いま、横浜と富山県氷見市で二拠点生活をしています。始まりは2年前の夫からのLINEでした。「このたび、富山県氷見市の副市長を拝命しました」という突然の報告に、「ええっ?」と頭の中には100個くらいのクエスチョンマーク。ビックリする絵文字で返したことを覚えています。

夫はテレビ局勤務のプロデューサーで、報道やドキュメンタリー番組を担当していましたが、「映画を撮りたい」と言って2016年に早期退職。もともと地方創生に興味を持っていた人でしたから、地方での暮らしは向いているだろうなとは思っていましたが、まさか縁もゆかりもない土地で副市長の職をいただくとは。青天の霹靂とはこのことです。

コロナ前に息子が独立し、子育ては一段落。時間的余裕ができたところに、早期退職した夫が家を事務所としても使っていたので在宅時間が増えていました。夫婦としてはいわゆる倦怠期。長い時間一緒にいればストレスも溜まりますよね(笑)。たぶん夫も私と同じように息苦しさを抱えていたでしょうし、彼なりに仕事環境を見直す必要性を感じていたのだと思います。

折しも夫が撮った映画『シンプル・ギフト はじまりの歌声』が無事公開となり、仕事の上でも一区切りついた時期でした。そんなタイミングで氷見市の副市長公募にエントリーして、ご縁をいただいたのです。夫が皆さんのお役に立てるならば、と思いましたし、そこからの展開はあっという間。

話が決まったのが20年の2月で、3月末には夫の身の回りのものと、必要最低限の家電・家具を新居に運び込みました。私が最初に持ち込んだのは、愛用の台所用品です。急なことだったのでもとの家は残し、私は横浜と氷見の二拠点生活という形になりました。

富山は私たちにとって未知の土地でした。でも、地方に嫁いだ姉が「どこに住んでもやることは一緒よ」とよく言っていて。実際に暮らしてみると確かにそうだなと実感。買い物するお店が違うくらいで、家事はどこで暮らそうが同じですね。(笑)

新鮮でおいしいものに囲まれた生活

60代になってからの二拠点生活は、不安よりワクワク感がありました。一番大きく変わったことと言えば、食生活。氷見は漁師町なので、とにかく魚介類が新鮮で安く手に入る。地元の方に「あそこのスーパーの魚がいいよ」「この魚はこう調理するとおいしい」などと教えていただいたりして。

いままで見たことのない魚や新鮮な野菜が手に入るのも、地方暮らしならではの贅沢です。東京からお客様が来るときには、お料理自慢の民宿を紹介したり、夫が腕を振るってくれたりします。

なかでも私が好きなのは、イカ。スルメイカ、ヤリイカ、アオリイカなど、季節ごとにさまざまなイカを堪能しています。獲れたてのものは身の色が違いますし、ものすごくおいしい。普通のスーパーでも、たっぷり盛られたゲソが1パック100円で売っているのですからたまりません。大喜びで買って、もりもり食べています。(笑)

私が不在のとき、夫は自炊。最近は地元の魚を使った料理にハマっているようです。「今日はアクアパッツァを作ったよ」などとよく連絡してくるんですよ。彼はジャーナリスト時代に一人暮らしが長かったので、家事もお手のもの。自立した人で本当に良かったです。

おかげで食費や生活費は確実に安くあがるようになりました。生活は二拠点になってしまいましたが、都会に比べて、多くを求めずとも豊かに暮らせると感じました。

氷見市から夫に大切なお役目を頂戴したことをきっかけに、私も文化の違う地域で新しい経験ができるのは本当にありがたいことだと感謝しています。氷見の家は、海のそばということもあって、景色が本当にきれい。夕暮れどき、沈む夕陽をうっとりと眺めながらの散歩を楽しんでいます。

家族の形が変わるとお金のことも変わる

そもそも2年ほど前は、横浜での生活を見直す時期にさしかかっていました。ここ数年は、家族の別れが続いた時期でもあったのです。息子が独立して家を出て、16年には自宅で介護していた母を看取りました。さらに、最近になって愛犬を16歳で見送って。

寂しさはもちろんありますが、そういう年齢になったということですね。愛犬もふくめて家族の人数が減りましたから、それまでの暮らしと比べ、出費もおのずと減ります。

息子が家を出るときには、「社会に迷惑をかけないこと」、そして「親より長生きしてね」という2点だけを伝えて送り出しました。もともと浪費はしない子なので、経済面での心配はしていません。

母が亡くなったときは相続の手続きに苦労しましたが、自分でハウツー本を読みながらなんとかやりきって。お金のことは、大人になっても、いざというときに戸惑ってしまいますね。わが家のお金は私が管理していますが、まだ何の準備もしていなくて。今後の計画など、そろそろ考えておいたほうがいいのかもしれません。

結婚後、三世代で暮らした家で自然と物が増えていましたから、氷見への引っ越しもあり、生活を小さくしようと結構な量の断捨離をしました。

最初に処分したのは、私が出ている雑誌記事の切り抜きやポスターです。大切にとってありましたが、息子にとってはただのゴミ。迷惑になるものは早めに処分しようと、思い切って捨てました。

家族のアルバムの一部は、写真をデジタル化するサービスを利用。まだたくさんあるので引き続き整理しなくてはと思っています。

物を捨てる際に参考にしたのは、近藤麻理恵さんの著書『人生がときめく片づけの魔法』のメソッド。「ときめき」という言葉に導かれて大量の物を処分したため、近所に住む妹からは「美沙子ちゃんの家って何もないね。これなら死んでも困ることはないだろうけど、そんなに捨ててどうするの?」と呆れられています。(笑)

一方で、どれだけ断捨離しても手放せないものもあって。たとえば、結婚のお祝いに料理の先生からいただいた台所用具一式。そのセットにはお饅頭を蒸すせいろがあるのですが、2〜3回しか使っていないんです。それでも先生の思いがこもっているものなので捨てられません。

中学生の頃に読んでいたマンガも捨てられないですね。『週刊セブンティーン』で連載なさっていた津雲むつみさんの大ファンで、彼女が描くカップルに憧れていました(笑)。当時のコミックスは、いまも大切にとってあります。

そういえば、処分を最後まで悩んだのが、知り合いから分けてもらったぬか床。20年近く大事に育ててきましたが、残念ながらひとつかみを残して処分しました。かき混ぜるたびに家中にものすごい香りが広がり、家族から苦情が出るほどになっていたので。いまは冷蔵庫で保管できる、新たなぬか床を愛用しています。

ずっと気にはなっていたものの手をつけられなかった、横浜の家のメンテナンスもしました。人も呼べないくらい傷んでいたフローリングの床をリフォームし、台風が来たら外れそうだった雨どいを修理。タワシでこすっても取れなかった外壁の汚れも、高圧洗浄機でガーッときれいにしました。おかげで家中スッキリです。

モノではなくコトにお金を遣いたい

もともと物欲もさほどないほうです。今日持参したリュックも、3年ほど前に買って以来、毎日使っているもの。また夫がもの持ちのいい人で、私が「このクタクタになったTシャツ、いい加減に捨てようよ」とか「洗濯機が古くなったから買い替えましょう」と言っても、「まだ使えるからいいよ」と納得しない。結局、壊れるまで使っています。

仕事で大きなホテルに立ち寄ったときなど、「たまには館内の高級ブティックを覗いてみよう」と思うものの、実際に私がワクワクするのはブティックではなく、「道の駅」。食べることが大好きなので、「ここの名産品は××なのね」とか「この野菜はどう料理するんだろう」と、地方を訪れるたびに足を運んでは、未知の食材との出会いを楽しんでいます。

普段スーパーに行く際は、買いすぎを防ぐために買うものをメモしてから出かけます。ちょっと値が張るものは、事前にネットで適正価格をチェックするのも忘れません。フリマサイトのメルカリも利用します。よく購入するのは、足に貼るひんやりシートなどの消耗品ですね。

買い物でたまるポイントも活用します。同じ買うならと、「ポイント10倍デー」といったキャンペーンの開催を待つことも。電車のチケットは、JR東日本の「大人の休日倶楽部」への入会でおトクに購入しています。二拠点生活では、新幹線に割引価格で乗れるのは大きいですから。

また、わが家は夫婦のお財布が別々なので、たまに温泉旅行などに行く際は、「今日は私が払っておくわね!」と、費用を持つこともあります。


「私はおいしいものがちょっとだけ買えたらもう十分で、あとは自分がやりたいことのためにお金を使いたいなと思っています。」

今回、二拠点生活を経験してみていちばん感じたのは、これまでとの食費の違い。氷見は魚が安いのはもちろんですが、野菜などもとても安く、東京や横浜とは比べものになりません。

ときには魚屋さんで野菜をいただいたり、ご近所の方からお米をいただいたりすることもあります。自然の恵みと地元の皆さんのあたたかさに感謝ですね。

このところ、コロナの状況も変わってきたので、私の東京での仕事も増えてきました。氷見のシンプルな生活があるおかげで、横浜の家で過ごす一人時間も充実した気がします。

たとえば朝。家族と暮らしていた頃はただただ慌ただしく過ごしていましたが、いまは丁寧に出汁をとった具だくさんのお味噌汁を作る余裕があってうれしい。

ゆったりした気持ちで炊き立てのご飯とお漬物と一緒にいただくと、しみじみとおいしく、幸せを感じます。あとはお酒が好きなので、一日の終わりに「今日もお疲れさまでした」と晩酌をするのも楽しみの一つ。

よく「モノ消費・コト消費」と言いますね。私はおいしいものがちょっとだけ買えたらもう十分で、あとは自分がやりたいことのためにお金を使いたいなと思っています。

当たり前の日常が、いちばん大切

人生の節目はいくつかありますが、私の場合、50歳を機に、「自分の根っこになるような活動がしたい」と思い、「朗読座」を旗揚げしました。朗読に音楽や映像といったアートを組み合わせたパフォーマンスを、日本各地をまわってお見せしているのですが、公演で初めての土地に行けるのが本当に楽しみで。いまや私の大切なライフワークです。

日頃お子さんの世話やご家族の介護などで頑張っている方が、「今日は紺野美沙子の朗読を聞きに行くから」と時間をやりくりして来てくださる。なかには開場前から並んでくださる方もいます。主婦の方にも家事の合間に来て良かったと喜んでもらいたい。楽しみにしてくれている皆さんの期待に応えたい――。そんな思いで活動を続けています。

コロナ禍もあっていまの時代、大変な思いをなさっている方もいらっしゃる。私は気持ちが落ち込んだときは、新美南吉さんの「でんでんむしの かなしみ」という物語の一節を思い出すのです。

「かなしみは だれでも もっているのだ。わたしばかりでは ないのだ。わたしは わたしの かなしみを こらえて いかなきゃ ならない」

というものですが、私はこの文章が大好き。読むたびに不思議と元気が出るのです。老いを感じてガックリきたときも、「老いは誰にでもやってくるのだ。私ばかりではないのだ」と自分に言い聞かせながら、前向きに立ち上がっています。

茨木のり子さんの詩も、私に力を与えてくれました。茨木さんは「倚りかからず」という詩のなかで、「倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」とお書きになっているのですが、これも私への言葉だなと。何ものにもよりかからず、姿勢もなるべくよくして、自分の足でしっかりと立つ。そんなふうに生きていけたら理想的ですよね。

毎朝元気に目が覚めて、コーヒーを淹れて、おいしく朝ごはんを食べて、仕事をして……。そういう当たり前の日常が、実は何より大切なのかもしれません。このさき年齢を重ねても、できるだけ自立して、機嫌よく暮らしていけたら幸せです。