一時代を築いたジャイアント白田がフードファイター引退を決めた理由“戦友”との秘話も
フードファイターとして一時代を築いたジャイアント白田がこのほど、よろず~ニュースのインタビューに応じた。2007年に引退後は大阪で串カツ店「串カツ しろたや」を経営しながら、タレント活動も行っている。2000年代前半に巻き起こった大食いブーム、当時の〝戦友〟との思い出を語った。
大学生時代に友人に誘われ、回転ずし店のチャレンジ企画「1時間以内に50皿食べたら賞金1万円」を楽々とクリアしたことが、フードファイターになるきっかけだった。その後もチャレンジメニューを出す店を巡るうちに、その名も知られるようになった。当時は大食いブームでテレビでも企画番組が盛りだくさん。2001年のテレビ東京系「TVチャンピオン全国大食い選手権」でデビューを果たした。
惜しくも準優勝に終わったが、信じられない体験をした。食べる限界を超えてきつくなり、決勝辞退を申し入れたが、プロデューサーに説得されて出場。「始まる前からおなかの中は7割みたいなノリだったんですけど、なんぼ食べても7割なんですよ」。食べても食べても状態は変わらない。「胃が伸びるんですよ。前日の1回戦、2回戦、3回戦でかなり胃が深く伸びていて」。戦いの中で胃袋が大きく伸びるようになっていた。
試行錯誤しながら、独自で鍛え方を考案した。「本当に極限まで、とにかく食べてみたり、飲んでみたりとかやって。今でこそトレーニング法は確立していますけど、食べた物で胃壁を外に向けて圧力をかけて行くようなイメージです」。普通の成人男性の胃の容量は最大で2リットルだが、ピーク時は13リットルに膨らんだ。5カ月後には同じく「TVチャンピオン」、続くTBS系「フードバトルクラブ」で優勝を果たし、その後も数々のタイトルを手にした。
多くのライバルと死闘を繰り広げた。“魔女菅原”の異名を取った菅原初代さんには、2009年に「串カツ しろたや」1号店の新装開店イベントの串カツ大食いバトルに出演してもらったこともあった。「普段はものすごく温厚ですてきな方。ライバルとしては本当に怖い、強い人。人によっては食材に対して『これそんな好きじゃないから』『これ食べにくいよ』とか言い訳をするんですけど、菅原さんはそういうことは一切言わず、真摯な気持ちで食材と向き合っていました」。自身と重なる部分が多かった。
菅原さんは大腸がんのため、2023年3月に59歳で亡くなった。「僕は『ちょっと体調が悪くなって入院して、もう私、大食いできなくなっちゃったのよね』ぐらいしか聞いてなくて。それにしても残念でしたね」。改めてライバルを悼んだ。
「ホットドッグ早食い王」として米国でも人気のフードファイターで今年9月に引退を表明した小林尊は、デビュー同期で現在でも連絡を取り合ったり、食事をしたりする間柄。渡米してフードファイターになる夢を聞いたときは「正直、何を言っているのか」と思ったという。「彼は自分の夢に対して、雑念がなくて一直線に突き進んでいくんですよ。フードファイターで生きるっていうことを唯一、体現した、まさに正真正銘のフードファイターです」。有言実行した姿を尊敬している。
小林はバラエティー番組のオファーを全て断っていたという。「競技の公平性がないと。料理のグラムとかも、例えば1杯500グラムのラーメンでは、誤差は1パーセント以内とか。それぐらい厳密にやってくれないと、数グラム差で勝った負けたとかの試合もあるので。僕も当時は感化されて2人でいろんな大会に行っては、ごちゃごちゃ口うるさく言っていました」。紙一重の差で勝敗が決まる場合もあるだけに、厳格なルールが必要となっている。
アスリートと同様、トレーニングは普段の積み重ねが大事。「急には無理ですね。試合に向けて今の胃の容量から、いくら増やさなきゃならないとなったら、逆算していかないとダメですし。ブランクが長ければ長くなるほど、戻るのも戻らなくなってくる」。2002年に中学生が給食時間中に早食いで亡くなる事件があり、その影響で大食いに関する番組やイベントが激減する時期があった。
2005年ごろから大食い番組も再開され、2007年テレビ東京系「元祖!大食い王決定戦」を最後に引退した。「僕はめちゃくちゃトレーニングに時間がかかっちゃうんですよね。体にも負担がかかるし、飲食店オープンに向けて準備するような心理状態でもなくなるし…。なので、競技者をやりながら、飲食店というのはしんどいから、もう競技はやめようと思って」。今後を考えて第一線から退くことを決めた。
現在の胃の容量は推定4リットルとピーク時の3分の1となった。「量を食べる大学生のお兄ちゃんくらいしか、もう無理なんですよ」。よく食べる若者と変わらない程度に落ち着いた。
引退直後にはプロレスラーの川田利明と大食いやプロレスで対戦。バラエティー番組の出演もオファーがあれば、できる範囲で続けた。最近はTBS系「水曜日のダウンタウン」の大食い企画で食べられない姿が注目された。柔道の1本と海苔巻きの1本でどっちが何本取れるか、流れる曲に合わせて歌詞に出てくる食べ物が出てきて食べる…など、さまざまな企画が登場。「やっている方もめちゃくちゃ面白いんですよ。本当によく考えているなと」。楽しんで出演している。
フードファイターとして血が騒ぐことはある。「大会の解説で呼ばれて、ガチの試合を見ている時は気持ちがメラメラして、2、3日は続くんですけど…」。しばらくすると冷静に考えてしまう。「やっぱりトレーニングにかかる時間や体への負担を考えると年齢的にもやりたくないですね。家族もいますから」。復帰については否定した。
◆ジャイアント白田(本名・白田信幸=しろた・のぶゆき)1979年4月20日生まれ、45歳。栃木県出身。フードファイターとしてテレビの大食い番組などに数多く出演。2007年9月にフードファイター引退後もタレントとして活動。現在は実業家として大阪で串カツ専門店「串カツ しろたや」を経営している。
(よろず~ニュース・中江 寿)