すべてを忘れたわけではない。「認知症の人が見ている世界」からわかること

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残りわずかとなったNHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』。ドラマは女性の社会進出だけでなく、様々な社会のモヤモヤや見捨てられがちな想いにフォーカスが当てられた。原爆裁判など大きなテーマの片隅で、後半描かれていたのが「老い」の問題だった。

主人公・寅子(伊藤沙莉)の夫の継母、星百合(余貴美子)の認知症は少しずつ、進行し、本人も家族もなんとも言い様がない疲弊を生んでいった。

朝、お米を炊くのを忘れたことを孫のせいにして必死に取り繕う姿、財布がなくなったと騒ぎ、夕食に作ったシチューを「腐っている」と流しに捨てるといった姿が描かれた。そして、こういった物忘れが始まり出した当初、百合本人が「忘れてしまうこと」に戸惑い人に見えないように困惑の表情を見せていた。

SNSでは、余貴美子の見事な演技への賞賛とともに、「認知症になったらすべてがわからないわけではないんだなと、百合さんをみて改めて感じた」「亡くなった母の認知症に疲れ果てたときもあったけれど、百合さんのように母は母で色々考えていたのかもしれない」など、認知症について改めて考えたという声も多かった。

高齢者の5人に1人がなると言われる認知症だが、未だに、「認知症になったら何もわからなくなる」 「認知症になったら人生は終わり」といった偏見は少なくない。でも、果たして本当にそうなのだろうか? 百合さんの姿のように、本人にも様々な思いや葛藤、苦しみがあるに違いない。

そんな認知症になった人たちが見ている世界は一体どんなものなのかーー。著書『マンガでわかる! 認知症の人が見ている世界』(全3巻/文響社)は、漫画でわかりやすく、認知症の人が見ている世界や思考について解説している。認知症の「なぜ?」「どうして?」がわかることで、介護の視点や心理的ストレスも軽減されると、介護者にも評判の一冊だ。前編では、監修の認知症専門医の遠藤英俊さんと著者でもある理学療法士の川畑智さんのお話と、漫画(画/浅田アーサーさん)を一部抜粋、再編集でお届けする。

2025年、「5人に1人は認知症」に

長年認知症研究を続ける専門医の聖路加国際大学臨床教授・遠藤英俊さんは著書のまえがきでこう記している。

認知症は誰にとっても身近なものになっていくと予想されています

認知症は、長年、誤解され、偏見にさらされてきた病気といえます。

歴史をひも解くと、 認知症は、「痴呆(ちほう)」「呆け(ぼけ)」などと呼ばれていた時代には、認知症の人を身体拘束したり、拘束したり、閉じ込めたりすることがありました。現在ではそうした状態はかなり改善されたもの、依然として「認知症になったら何もわからなくなる」 「認知症になったら人生は終わり」と考える人は少なくありません。 「本人は何もわからなくなるから、らくなもの。苦しむのは家族だ」といわれることあります。

確かに、脳の働きが低下して認知症になると、記憶障害をはじめ、理解力や判断力が低下し、生活にさまざまな不便が生じます。しかし、認知症になったからといって、何もかもわからなくなるわけではありません。適切なサポートがあれば、病状が進んでも自立した生活を送ることができます。

最近は認知症の当事者の会が数多く発足し、認知症の人が講演や手記を通じ、自身の心の内や体験を発信するようになりました。そうした活動を通し、認知症の人が、将来への不安や孤独、周囲の無理解に苦しみながらも、豊かな感情を持って生きていることが知られるようになってきています。こうした当事者のみなさまからのメッセージは、極めて重要なものです。

現在、高齢化とともに日本の認知症の患者数は右肩上がりに増加しています。厚生労働省の発表によれば、その数は2025年には700万人にも達し、65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症になるといわれています。このまま増えていけば、2050年には患者数が1000万人を超えることが予想されています。

認知症は、誰にとっても身近なものになっていくと予想されています。

そうした中、政府は、2019年に認知症対策の指針をまとめた「認知症施策推進大綱」を発表しました。この指針では、認知症になっても、住み慣れた地域で安心して暮らせる「共生」と、認知症の発症や進行を遅らせる「予防」の2つを柱としています。

そこで現在、認知症の人を支えるサポーターの養成や高齢者の通いの場の設置のほか、病院・介護施設・生活支援サービスなどが緊密に連携して認知症の人の生活を支える「地域包括ケアシステム」が構築されつつあります。認知症であっても社会参加ができ、住み慣れた地域で生活できるしくみ作りが進められているのです。

「認知症になったら人生が終わり」は過去のものに

私はこれからの社会に向け、医師や専門職だけでなく、家族や地域の方にも、認知症に対する正しい知識を身につけてほしいと願っています。不安や孤独に苦しむ認知症の患者さんにとって、ともに寄り添い、必要なときに手を差し伸べてくれる人がいれば、どれほど幸せでしょうか。身近な人が支えとなれば、認知症の人でも希望と尊厳を持って、生涯、幸せに生活することができるのです。実際、若年性認知症の当事者の中には、サポートを受けながら仕事を続けている人もいます。

2017年には、我が国の認知症研究の第一人者である長谷川和夫先生(※1)が、認知症を発症したことを公表しました。長谷川先生は、認知症診断に広く用いられる「長谷川式簡易知能評価スケール」の開発者で、私が認知症専門医になってからは、いっしょに学会運営をしたり共著を出したりしたこともありました。長谷川先生が認知症を発症したことは、私自身、とてもショックでしたが、長谷川先生は認知症になったあとでも、著書やテレビ番組を通じてご自身の状態や体験を当事者の言葉として発信しつづけています。

「認知症になったら人生が終わり」という考えは、今や過去のものにすべきなのです。

本書は、認知症の人とともに生活できる地域作りの事業にたずさわる著者が、理学療法士として長年、介護現場で認知症の人に接してきた知見をもとに、認知症の人の心理や考え、感じ方について解説したものです。認知症の人への接し方や、ともに生きるための有用なヒントが得られるでしょう。

認知症の人と、そのご家族にとって、本書が希望ある未来の一助になることを願っています。

※1:長谷川和夫氏は、2021年11月13日に老衰のため92歳で他界された。

認知症の人は、「懸命に考えている」

著者の「株式会社Re学」代表取締役、理学療法士の川畑智さんはこうプロローグにこう書いている。

認知症になると、「ご飯を食べたばかりなのに『ご飯はまだか』という」「真夏なのにコートを重ね着する」「ささいなことで突然、怒り出す」「家にいるのに『自宅に帰る』といい出す」など、一見、不可解な言動が目立つようになります。大切な家族(親)がこうした言動を取れば、イライラしたり、悲嘆に暮れたりしてしまうのは無理もありません。

認知症介護では、ご本人の心が見えずに思い悩み、中には憎しみを募らせるほど思いつめたり、虐待のような痛ましい事件につながったりしてしまうことさえあります。

認知症の人は、理由もなく不可解な行動や言動を取るのではありません。むしろ、認知症の人は懸命に考えているのです。その心の内が見えれば、不可解な言動にも理由や意味があることがわかります。理由がわかれば、ケアをする側の心理的な負担が軽減され、認知症の人が愛しく思えるようになり、優しく接することができるのです。

本書では、認知症の人が見ている世界や、私が経験した良好なケアができたケースについて、マンガ形式で紹介していきます。認知症の人の心はどうなっているのでしょうか。

認知症でない私たちが、認知症の人が見ている世界に思いを馳せることが、認知症の人の不安を取り除き、質の高いケアにつながる第一歩になるでしょう。

◇後編『「すぐに忘れる」「お金を盗んだ騒ぐ」にも理由が。認知症の人はこんな世界が見える』では、認知症の具体的な症状を実例に、マンガで認知症の人が見ている世界の解説と、その対策についてお伝えする。

「すぐに忘れる」「お金を盗んだ騒ぐ」にも理由が。認知症の人はこんな世界が見える