(撮影:尾形文繁)

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誕生から40周年を迎えてリニューアルをしたポーターの人気ライン「タンカー」(撮影:尾形文繁)

企業を取り巻く環境が激変する中、経営の大きなよりどころとなるのが、その企業の個性や独自性といった、いわゆる「らしさ」です。ただ、その企業の「らしさ」は感覚的に養われていることが多く、社員でも言葉にして説明するのが難しいケースがあります。

いったい「らしさ」とは何なのか、それをどうやって担保しているのか。ブランドビジネスに精通するジャーナリストの川島蓉子さんが迫る連載、第19回は、吉田カバンを取り上げます。

リニューアルで価格が約2倍に

出張で大阪に向かおうと品川駅を歩いていたら、エキナカにある「PORTER(ポーター)」のショップに目が留まった。こっくりしたアイアンブルーのカバンは、見たことがないラインナップ。聞いてみると、人気シリーズの1つ「TANKER(タンカー)」の新商品で、100%植物由来のナイロンを使ったものだという。

【写真】ホテルを彷彿とさせるポーター表参道店。店内を入ると、すぐにタンカーがずらりと並べられている。創業者の写真や修理コーナーも(19枚

今やポーターは国内外で広く認知され、多くのファンがついているブランド。シリーズの1つであるタンカーは、アメリカ空軍のフライトジャケット「MA-1」をモチーフとして1983年に生まれたものだ。

ナイロン素材の間にポリエステル綿が入っていて、軽くて丈夫な機能性を持ち、見た目にも使い心地にもハード過ぎない優しさがある。裏地は鮮やかなオレンジ色で、ブランドのアイコン的存在にもなっている。

タンカーは今年5月に、従来使っていたナイロンの使用をやめ、植物由来のナイロンに替えたのに加え、細部にわたるリニューアルを行った。価格が約2倍になったものの、従来のお客に加え、新しい層の獲得も含め、予想を上回る成果を上げているという。

見た目で100%植物由来のナイロンとわかるわけではない。が、石油由来ではない素材開発に挑戦し、世界で初めて量産化に成功したというストーリーが伝わり、確かな成果を生み出しているのだ。

吉田カバンらしさは、そこにどう働いていたのかーー。4代目社長を務める吉田幸裕さんの話を聞いた。


タンカーの人気モデルの1つである「2WAY DOCUMENT BAG」。価格は7万1500円(写真:尾形文繁)

「変わることで前に進む」

タンカーのリニューアルプロジェクトは、コロナ禍の2021年頃からスタートし、シリーズ40周年を前にし本質的な価値を考えようというところから始まった。「変わらずにいれば、いずれ衰退していく。変わることで前に進んでいくことを忘れてはいけないと思うのです」(吉田さん)。

過去においても、タンカーは、その時代が求めるものを取り入れ、仕様を変えてきた経緯があった。しかし今回は、コロナ禍による危機感が背中を押したところもあり、抜本的な改変をはかったのだ。

立てたコンセプトは「ALL NEW TANKER―何も変わらず、何もかもが変わる」――「5年後、10年後に振り返った時、正しい道を選択したと思えるよう、慎重かつ大胆に判断し、進めようと考えたのです」(吉田さん)。

それまで使っていたナイロンは、サステナビリティが重視される時代が求める方向と道を違えている。他の素材に変えられないかとリサーチを重ねた。東レが開発途上にあるナイロンと出会い、それを製品化して量産し、新しいタンカーを生み出そうとなったのだ。

吉田さんは1984年生まれ、40歳という若い社長だ。祖父である吉田吉蔵さんが創業した吉田カバンは、2代目が叔父、3代目が父、そして4代目を吉田さんが受け継いで4年目を迎えたという。

ファミリービジネスの4代目だから、幼い頃から「継ぐ」ことを意識していたのかと聞いたところ、「まったくありませんでした」ときっぱり――。柔道が好きで、何らかのかたちでスポーツにまつわる仕事に就こうと考えていた。

しかし就職活動の過程で、自分の辿ってきた道を振り返ってみると、吉田カバンという企業とのかかわりが色濃いことに気づかされた。創業者である祖父の家は仕事場とつながっていて、吉田さんが訪れると、祖父が「よく来たな」と迎えてくれた姿や、夜行で訪れる地方の取引先に祖母が朝ご飯を出している様子、誕生日に祖父から手縫いのカバンをプレゼントしてもらったことなど、「人生の思い出に吉田カバンがあったのです」。

入社を決心し、父である社長に話したところ、最初は反対された。家業だからという軽い気持ちで入るのはよくない――真剣に話し合って真意を理解してもらい、イタリアの専門学校に通ってから現地で働き、29歳で帰国して入社した。品質管理から始まり、さまざまな部署で経験を積んだ後、36歳で社長の任に就いたのだ。


36歳にして4代目社長となった吉田幸裕さん(写真:尾形文繁)

初代は29歳で吉田鞄製作所を設立

吉田カバンは1935年創業というから、90年近くにわたり、カバン一筋で歩んできた老舗企業。創業者である吉田吉蔵氏は、12歳でカバン職人を目指したが、17歳の時に関東大震災に遭遇する。

ものを運び出している人々の様子を見て、「カバンは、荷物を運ぶ道具としての役割をしっかり果たすものでなければならない」と、29歳で吉田鞄製作所を設立した。使うほどに馴染み、永く愛用してもらえるカバンを人々に提供することを標榜した。


ポーター表参道店には、創業者である吉田吉蔵氏のポートレートも(写真:尾形文繁)

ポーターが登場したのは1962年。このネーミングは、お客のカバンを預かるポーターは、本当のカバンのよさを知っていることに由来している。当時、日本のメーカーがオリジナルでブランドを作ることが珍しい時代だったが、「どういう会社が思いを持って作ったのかを伝える必要がある」という意図から、あえて自社ブランドを作ったという。

吉田カバンが初めて手がけ、その後、世の中に広まっていったものは少なくない。マチの部分にファスナーをつけ、マチを拡張させ、鞄の開閉によって容量を変えられる構造や、黒いナイロン地だけでカバンを作ったこと、面ファスナーを起用したこと、光を受けて反射する素材を用いたことなど――進取のことに果敢に挑戦してきた。「遊び心というか、冒険心を持ちながら、よりよい、使いやすいカバンを作ってきたのです」(吉田さん)。

耐性や質感を担保しながら量産も可能に

真髄にある吉田カバン“らしさ”とは何なのか。「社内だけでなく、携わっている工場や職人さんも含め、誠実に愚直に、よりよいもの作りを目ざしていく。そこに尽きると思います」。

当たり前のことと思ってしまうが、そうではない。例えば100%植物由来のナイロン素材についても、吉田カバンとしての耐性や質感を担保しながら、量産しても安定したクオリティになるよう、工場と一体となって試行錯誤を繰り返した。

あるいはジッパーの引き手に少し角度を付けると、負荷が減って開け閉めしやすくなると考え、細かい工夫を何度も重ね、満足のいくものを作り上げた。

“誠実で愚直”を土台としながら、進化するための労を惜しまない――その姿勢こそが、吉田カバンらしさなのだろう。しかもそこには、かかわる人への尊敬と感謝、仕事への誇りが感じ取れる。「お天道様が見てるから」という日本人の道徳観のようなものが見え隠れもしている。

吉田さんはまた「長く使ってもらうことで、思いがたくさん詰まっていく。そんなカバンを目指しています」という。自身も20代でイタリアに渡った時に使っていたタンカーに、その頃の嬉しさや悔しさといった記憶が宿っていて、今も愛用している。

長く使ってもらうために、製品の修理を受けているが、縫い目を丁寧にほどき、傷んだところを直し、再び縫い合わせる。新しいものを作るより手間がかかるケースもあるそうだが、欠かせない役割として続けている。「PORTER OMOTESANDO」のショップの一隅には、修理コーナーが設けられていて、職人さんが修理している様子を目の当たりにできる。

「一針入魂」は吉田カバンの社是ーー文言の通り「ひと針ひと針、魂を込めて縫わなくてはいけない」ということだが、その精神が、新製品から修理品までに行き渡っていることが伝わってくる。


表参道のショップの一角にある修理コーナー(写真:尾形文繁)

つないできたバトンを未来に渡していく

「僕は、恐らく、創業者の姿を目の当たりにした最後の社長なので、そもそもの志や、さまざまなエピソードを伝えていくのが、役割の1つととらえています」(吉田さん)。自分が体験したことにとどまらず、長い付き合いのある工場の職人さんや、取引先で耳にしたエピソードも含め、社内に伝えることを心がけている。

「吉田カバンとかかわってきた人がつないできたバトンを、未来に向けて渡していくことも、僕が担う大事な役割の1つととらえているのです」

ただ、歴史あるブランドを取材してつくづく感じるのは、創業時の志にはじまり、歴史の中で紡がれてきた挑戦の数々を知ると、そのブランドの奥行きを改めて知り、価値を感じるということ。逆に言えば、そこが伝わりきれていないブランドは無数にある。吉田カバンの未来へのバトンは力強いものになっていくだろうか。

(川島 蓉子 : ジャーナリスト)