服部潤、バラエティナレーター界に抱く危機感と期待 『水曜日のダウンタウン』を低トーンで読む理由
●テレビのナレーションが「楽しくて!」
注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、『水曜日のダウンタウン』(TBS)、『あざとくて何が悪いの?』(テレビ朝日)など、数々のバラエティ番組でナレーターを務める服部潤だ。
各局を股にかけ、その声を耳にしない日はないほどの活躍だが、四半世紀にわたりバラエティを内側から、かつ完成した番組を最初に見続けてきた中で、どのような変化を感じているのか。そして、今や名刺代わりになっているという『水曜日のダウンタウン』において、独特の低いトーンで読むようになった理由とは――。
○運命を決めた佐野元春コンサート
――当連載に前回登場した『新しいカギ』『FNS27時間テレビ』のフジテレビ田中良樹さんが『関ジャニ∞クロニクルF』でご一緒されていた服部さんについて、「ナレーターさんはいちばん近くでいちばん客観的に番組を見てる方だと思うんです。いちばん面白い位置で、番組もテレビマンもよく見ていて、潤さんに褒められたらめっちゃうれしいんです(笑)」とおっしゃっており、「『27時間テレビ』の感想を伺っていないので、ぜひ聞いてください(笑)」と言っていました。
ぶっちゃけ良樹が総合演出をやっているのは知らなかったんですけど、面白かったですね。古き良きフジテレビを思い起こさせてくれるみたいな作りだったと思います。言いたいことがあるとすれば、「何で俺を使わなかったんだ」ってことくらいですね(笑)
――本当にバラエティ番組で服部さんの声を聞かない日はないくらいのご活躍ですが、どのような経緯でナレーターになられたのですか?
中学生ぐらいの時に、将来はお芝居の仕事をしたいなとおぼろげながら思い始めたんです。高校の時はバンドを組んでボーカルやってたりして、基本、人を楽しませるのが好きだったんですよ。小学生から父の仕事の関係で転校族だったので、どうしても自分からアピールしていかないと友達ができないじゃないですか。それで、サービス精神みたいなものが身についてしまったのかもしれないですね。
――ただ、最初はホテルマンになられたんですよね。
お芝居は誰でもなれる仕事でもないので、年を重ねていくうちに夢を追っているばかりではダメだなと思って。でもお客さんに楽しんで帰ってもらう仕事ということで接客が好きで、アルバイトもずっと接客をやっていたんですが、その究極がホテルマンだと思って、母の知り合いのつてをお借りして、新宿のセンチュリーハイアット(現・ハイアット リージェンシー東京)に就職したんです。
そこで楽しく仕事していたんですけど、どんどん責任を持たされる立場になってきて、いわゆる接客だけじゃなくて裏のこともやらないといけない。「やりたいことじゃないな…」って思い始めた頃に、友達に誘われて佐野元春さんのコンサートに行ったんですよ。そこで佐野さんが大勢の観衆を一つにまとめ上げている姿を見たときに、「俺やっぱり、ホテルマンのままじゃいけない」と思って。
それから家に帰ったんだけど、興奮してるから寝れないんですよ。それで夜中にテレビをつけたら、TBSの『ドキュメントDD』っていう番組で、ディスクジョッキー事務所の女社長のドキュメンタリーをやってたんです。その女社長は、バイクの後ろに所属のDJを乗せて、J-WAVEからTOKYO FMに送ったりしてたんですけど、DJがブースの中でしゃべってる姿も映っていて、「僕はDJになるんだ!」と思ったんです。
――佐野元春さんを見たその夜に! 運命ですね。
本当に運命なんですよ。それでもう次の日にTBSに電話したんです。
――TBSに?
当時はパソコンもなくて検索もできなかったので、TBSに電話して「昨日の深夜のドキュメンタリーでやってた事務所を教えてください」って問い合わせたら教えてくれてたので速攻で行って、「私もDJになりたいんです!」とお願いしました(笑)。そしたらあの女社長が「うちの養成機関があるから、ホテルマンをやりながら通ってみたらどうですか?」と言ってくれて通い始めたのがスタートですね。そこで、サンディという事務所に所属しました。
――そこからどんな仕事をされていくんのですか?
初めてお金をもらったのは、コンピューターショーでパソコンを紹介するMCだったと思います。そういったイベントのMCとか、渋谷にあったタイトーのゲームセンターにDJブースがあって、そこのお客さんのリクエストを募って曲をかけるなんてこともやってたんですけど、ある時、J-WAVEのオーディションに連れて行っていただいたら、全くうまくできなかったんです。プロデューサーさんに要求されていることをうまく表現できなくて、そこで自分は基本的にアドリブが効かない人だということに気づいたんです。
――そうなんですか!?
それはいまだにそうで、「春を題材にして3分間しゃべって」と言われてフリートークするのも超苦手で。それで、社長に「潤ちゃんはうちではちょっと預かれないかな」って言われちゃったんですよ。
その後日、クリスマスに東京タワーの下のブースでカップルに向けてリクエスト曲を募ってかけてあげたり、メッセージを読んであげたりする仕事があったんですけど、その時に一緒にやっていた女の子のDJがCSRっていうナレーター事務所の所属で、話を聞いているうちにナレーションに興味を持ちだしたんです。性格的に「こっちだ!」と思ったらすぐ行っちゃうんで(笑)、その女の子に社長を紹介してもらって、サンディを辞めてCSRに入りました。
CSRはCMのナレーションの仕事が中心なんですけど、面白がって僕を使ってもらって、たぶん2年で100社ぐらいやったと思いますね。そしたら、たまたまテレビ東京の深夜に『車天国らぶらぶドライブ』っていうテレ東の社員ですら知らない(笑)、新番組を立ち上げる制作会社のプロデューサーが、僕のサンプルCDを聞いてくださって指名してくれたんです。ここで、テレビのナレーションって面白いなあと思ったんですよ。
――どんなところが面白かったのですか?
CMのナレーションはセンテンスが短いんですよ。その中で表現する面白さもあるんですけど、テレビは原稿がいっぱいあるので、その頃の自分は表現力も何もなかったですけど、読むのが楽しくて楽しくて! それで、テレビ番組のナレーターになろうと思ったんですが、そのためにはCSRにいたらダメだと思い、大きい事務所を探して、今の青二プロダクションにお世話になることになりました。
●朝の情報番組がターニングポイントに
――そこからいよいよ、テレビ番組のナレーターとして本格的にスタートするんですね。ターニングポイントになった番組は何ですか?
99年の3月29日に、TBSで朝6時から8時半までの『エクスプレス』っていう番組が始まるんです。女性をターゲットにして、エンタメに特化した柔らかめの情報番組で、スポーツコーナーのナレーターを探しているということで、オーディションに行ったんですよ。だけど、生ナレーションで毎日朝5時入りなんで、全然やる気なかったんです。原稿渡されてしゃべってもカミカミで、25人くらい来てたのでこれは落ちるだろうなと思ったら、受かっちゃった(笑)
それで月曜から金曜まで毎日、緊張と寝不足で、3か月経った頃に顎関節症になってしまって。豆腐も噛めないくらいの痛みなんだけど何とかしゃべれるので、他の仕事は控えてこの朝の番組だけに集中してやっていたんです。そうするうちに症状が少しずつ良くなってきて、きっと慣れてきたんでしょうね、緊張も解けてきて。そしたらプロデューサーから「服部さんにエンタメもニュースも全部やってもらいたい」と言われまして、そこからちょっと大変になったんですけど、生放送で原稿の下読みもできない中でいろんなことをやらされて、あの現場で今の服部潤が少し形作られたのかなと思います。
――相当鍛えられたんですね。誰かに指導を受けたということはあったのですか?
それが全く受けてないんです。いろんな方のナレーションを聞いて勉強していた時期もありましたけど、朝の番組をやりだしてからは、そのOAが勉強の場みたいな感じでしたね。生放送だから「ちょっとこんなことを試してみようかな」って、やったもん勝ちでできちゃうんですよ。後で怒られたこともありますけど(笑)
――生放送が終わったら、後でチェックして。
そうですね。全部VHSテープに撮って聞いてました。
――『エクスプレス』は2002年に終了しますが、それからバラエティに進出という流れですか?
実は、『エクスプレス』と同じタイミングで、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)もやるようになったんです。最初は野猿のドキュメンタリーで呼んでもらったんですけど、初めての収録が終わったらディレクターさんに「今、いろんなナレーターさんで試してるんで、来週は服部さんじゃないかもしれないです」って言われて。でも、1回でもとんねるずに携われたからすごくうれしかったんですね。そしたら、次の週から20年弱やることになりました。最初は表現力が全くなかったので、がむしゃらになって読むのに必死でしたね。
――そこから徐々にバラエティが広がっていた感じですか?
当時のマネージャーが僕のことをすごく買ってくれて、『エクスプレス』が終わったらすぐに『王様のブランチ』(TBS)が決まりました。
――佐久間宣行さんの番組も多いですが、出会いは『ゴッドタン』(テレビ東京、05年〜)ですか?
そうです。『大人のコンソメ』という前身番組は、青二の大ベテランの銀河万丈さんがやっていたのですが、『ゴッドタン』になるときにナレーターも代えるということになって、そこから大変お世話になってます。
○『水曜日のダウンタウン』初回OAを見て「がく然とした」
――そして、2014年に『水曜日のダウンタウン』(TBS)が始まります。
今ではもう名刺代わりの番組になってますね。小学校時代は大阪に住んでいて吉本新喜劇で育ったのでダウンタウンさんも大好きで、いつかやりたいなと思ってたんですけど、当時はとんねるずさんの『みなさん』をやっていたので、何となくダウンタウンさんの番組では使ってくれない空気があったんですよ。でも、藤井健太郎(『水曜日のダウンタウン』演出)はそんなの関係ない人なんで。
――『水曜日』を始めるきっかけは何だったのですか?
青木真一というマネージャーが、いつか藤井健太郎と服部潤で一緒に仕事をさせたいってずっと思ってたらしいんですよ。なかなか機会がなかったんですけど、千原ジュニアさんの国技館ライブで流すVTRを藤井健太郎が作るというのを聞いた青木がチャンスだと思って、僕を藤井のところに連れてっいたんです。それが『水曜日のダウンタウン』が始まるちょっと前でしたね。だから本当に、うちのマネージャーたちには頭が上がらないです。
――『水曜日』は、『みなさん』や『ゴッドタン』など他の番組に比べて、独特の低いトーンで読まれていますよね。
最初は、藤井から何も指示がなかったから、他の番組と同じようなテンションでしゃべってたんですよ。それで1回目のOAを見たときにがく然としたんです。VTRがこんなに面白いのに、俺のナレーションが邪魔だと思ったんですよ。音楽も原稿の言葉のセンスも面白いじゃないですか。それで藤井に「ちょっと(トーンを)落としていい?」と言って、今の形になったんです。そしたら、やっぱりVTRが面白く際立って良かったなと思いますね。
――本当に絶妙なワードチョイスですよね。
担当ディレクターが書いた原稿を藤井が直すんですけど、1回それを見たら赤(=修正)がすごいんです。やっぱり藤井が直したほうが面白くなるんですよね。あの番組は、ナレーション中に笑っちゃってしゃべれなくなることもあって、本当に読めなくなったときは、「これはもう無理!」って休ませてもらいます(笑)。後にも先にも、そんな番組は『水曜日』だけですね。
しかも、あの低いトーンで読まなきゃいけないので、ちょっと顔が笑っただけで、分かっちゃうんですよ。そしたら藤井が「今笑ってたんでもう1回お願いします」って。もう無理ですよ(笑)
――笑っちゃって読めなくなてしまった回で特に印象に残るのは、何ですか?
最近だと、怪しい話をする東ブクロさんにひょうろくさんが指切りをして約束するところで「成人があまり取らない手法」とか(※1)、あぁ〜しらきさんが角刈りのカツラを外して角刈りの髪型が現れたところで「角刈りのヅラを外し……角刈りになったところで」とか(※2)、THE 虎舞竜の「ロード」のMVで高橋ジョージさんが白い息を吐いてるところで「やかんのような吐息」とか(※3)、こんなの読めませんよ(笑)。とにかく藤井健太郎の言葉のチョイスにやられます。
(※1)…「怪しい高額報酬バイト、引き受けたが最後どんなに犯罪の匂いがする闇バイト風だったとしてももう引き返せない説」
(※2)…「楽屋の弁当持って帰り王決定戦」
(※3)…「曲のサビでちょうど涙は難しい説」
――TVerで過去の傑作選が配信されることがあるじゃないですか。それを見ると、初期の頃は、今より若干テンポが速いですよね。
そうなんです。『水曜日』もそうですが、全ての番組において原稿量はさほど変わってないと思うんですけど、きっと“緩急”や“間”をうまく使えるようになったのかなと思います。それでゆっくりに聞こえるんじゃないかと思うんです。
●下読みなしで本番「1回見ちゃうと、ダメなんです」
――最初の頃は表現力がなかったというお話がありましたが、やはり長年にわたって現場の経験を重ねることで身についてきたものなのでしょうか。
そうですね。何十年もやらないと、表現力は身にはつかないとは思うんですけど、とにかくいろんな方のナレーションを聞きまくって“聞くチカラ”を付けることですね。テレビを片っ端から見ることが大切かと思います。テクニック的には原稿を頂いたら文脈を確認し、どの文言がどこにかかっているのか考える。そして“緩急”や“間”を大切にし、視聴者のことを常に考えながら読む。そうすれば自ずと付いてくると思います。
最初の頃はもう本当にがむしゃらに文字を追うだけで、間も抑揚も高低差も強弱もない、ずっと一定のトーンで読み続けていて、さっき言った『車天国らぶらぶドライブ』なんて今見返すと本当に下手くそですよ(笑)。そこからいろんなディレクターに育ててもらって、今の服部潤が存在しているんです。
――毎回収録前には、いろいろ準備されるのですか?
僕の場合、今は原稿と映像を頂いても何もチェックしないんです。下読みもしないで状態でブースに入って録りだします。それは、視聴者の皆さんと一緒に、初めてVTRを見る感覚をナレーションに乗せたいんですよ。
こんなことは駆け出しの頃にはできないですけど、僕はたまたま『エクスプレス』で生ナレーションを4年やらせていただいたので、一発で尺にはめて読むという作業ができるようになっていたんです。あとは見た感覚をナレーションに乗せるという作業をしているんだと思います。
――下読みなしの一発録りでOKを出すというのは、まさに職人技ですね。
1回見ちゃうと、なんかダメなんですよね。2回目に同じことができたいというか。前に『NHKスペシャル』をやらせていただいたときに、リハーサルで最初から最後まで全部VTRを流して読んだんですけど、その後に本番をやったら「服部さん、リハのほうが良かったので、リハの時みたいにお願いします」って言われて、「やっぱりな」と確信しました。
○「ちょっとやりすぎです」と言われるように
――先ほど藤井健太郎さんのお話もありましたが、ほかに印象に残る制作者を挙げるとすると、どなたになりますか?
この連載に出てる人たちはみんなそうですね。マイアミ啓太(元フジテレビ、『人生のパイセンTV』『とんねるずのみなさんのおかげでした』など)も元気なやつで、型破りというか。ああいう勢いのあるディレクターは大事ですよね。マッコイ斉藤(『とんねるずのみなさんのおかげでした』など)もそうですけど、いい意味で“奇人”じゃないですか(笑)。ああいうディレクターがいないと、テレビは衰退していくんじゃないかと思います。今はコンプライアンス的に難しいことがあるかもしれないけど、マイアミにしてもマッコイにしても、楽しいものをお届けしようという気持ちが強いなと思いますね。
――そういうディレクターの方との仕事は、やはりナレーションもノッてきますか?
そうですね、本当楽しかったですよ。だから、最近の若いナレーターの人は型にはまったナレーションしかさせてもらってないだろうから、かわいそうだなと思うんです。昔は、いろいろ好き勝手やれたので、収録に臨む時にディレクターの想像を超えてやろうと思ってやるんですよ。ちょっとやりすぎのところがあってもOKになる時代だったのですが、今はそれをやっちゃうと「服部さん、ちょっとやりすぎです」って言われちゃう。昔は全然OKだったんだけどね。
――やりすぎると、視聴者からクレームが来てしまうのでしょうか?
どうなんでしょう。でも、こっちとしては、番組が楽しいとナレーションもテンション上げたいじゃないすか。そうすると「もうちょっと落としてください」と言われるし、変な癖とか抑揚をつけてみると、「いや、普通でいいです」ってなっちゃうんです。
――それでも、新しい番組を始める時に「ディレクターの想像を超えてやろう」という気持ちでやっていくんですね。
はい。ディレクターが面白がってくれたら、そこで成功だと思うので、ギリギリのラインでやってます。オファーしてきたディレクターは、イメージしてた「服部潤」でいいんですよ。でもそれじゃつまらないじゃないですか。結局、「そこまでやらなくていいです」って言われちゃうんですけど(笑)、そこのさじ加減が難しいですね。
――その傾向は、ゴールデン・深夜を問わずですか?
そうですね。
――最初に言った、バラエティ番組のナレーションを服部さんが席巻しているイメージがあるのは、服部さんが印象に残るナレーションを入れようと奮闘されているからなのかもしれませんね。
今の若い子たちはみんな上手で器用なんですよ。だけど、誰だか分からないんです。ベテランなら、真地勇志さん、窪田等さん、奥田民義さん、垂木勉さん、平野義和さん、木村匡也さんとか、名前があって個性的なナレーターがたくさんいるじゃないですか。でも、若い子たちでなかなかそういう人が出てこないのは、ディレクターに抑えられちゃって「これやっちゃうとマズいかな…」という気持ちでやっている部分があるのかもしれない。このままじゃみんな成長していかないですから、そこは危機感を持っています。
――今注目している若いナレーターさんを伺おうと思っていたのですが…
本当に分からないんですよ(笑)。『鬼滅の刃』がヒットしてから声優さんがナレーションをすることも多くなってきたじゃないですか。SNSがバズるし、TVerが回るというのもあると思うんですけど、そうなるとますます若いナレーターにチャンスがないんですよね。
――『27時間テレビ』は若い視聴者を中心に大きな盛り上がりを見せましたが、ナレーターは70代の銀河万丈さんでしたし。
そういう世界なんですよ(笑)
――番組の制作側も、新しい世代のナレーターさんを発掘して育てるという意識が必要になってきそうですね。
それは制作サイドも分かっていると思うんですけど、安定志向で服部潤や、銀河さん、垂木勉さん、立木文彦さんを使ったり、目先のバズりでヒットアニメの声優さんを頼るんでしょうね。
●『オドハラ』演出陣は精いっぱい頑張っていた
――ナレーターという立場から見て、四半世紀でのバラエティの変化というのは、どのように感じていますか?
これはコンプラに尽きますよね。本当に大人しくなってきちゃって、「ナレーションで遊んであげないと、面白くならないんじゃないかな?」っていう番組もありますから。
――自分が最後の手段として盛り上げようと。
おこがましいですけどね。でも、僕を呼んでくれるのであれば、やっぱりディレクターの上をいかないといけないなと思ってやっています。
それと、どこのチャンネルをつけても同じ演者さんが出てるじゃないですか。売れっ子ばかりを使うからスケジュールが取れなくて、時間の制約がある中で作らなきゃいけない。『オドオド×ハラハラ』(フジテレビ、9月終了)もそうだったんじゃないかと思います。タレントに時間もない、各局そうですがここ数年制作費も削られている。そんな中で佐久間(宣行)たち演出陣は精いっぱい頑張っていたと思いますけどね。
――最近はバラエティ番組を新しく立ち上げても、定着するのがなかなか難しくなってきています。
でも田中良樹とか、一生懸命視点を変えて面白いものを作ろうというディレクターも増えてきていると思います。それに、藤井健太郎を見て育ってきたディレクターたちがこれから出てくるじゃないですか。もちろん、藤井健太郎みたいにはできないと思うんですけど。
――「テレビもここまでやっていいんだ」と萎縮しない制作者がどんどん出てくるかもしれないですね。
そういう期待もあります。ただ、局にもよると思います。藤井健太郎の番組なんて、合田(隆信、TBSテレビ専務)さんみたいな、ちょっと普通じゃない上層部に守られているからできるんだと思いますから(笑)。だから、藤井はTBSで良かったなと思いますね。
――『有吉の壁』(日本テレビ)や『ヒューマングルメンタリー オモウマい店』(中京テレビ)など、ナレーションがほとんどない番組もありますが、どのように見ていますか?
僕が大好きな『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビ)もナレーションがないんですよ。見ていると「しかし!」とか「そこで!」とか「この後!」とか入れたくなっちゃうんですけど、なくても成立してるので素晴らしいなと思いますね。
それと、昔に比べたらナレーションの量が減ってきているかもしれないです。「テロップに書いてあるから」って、必要のない言葉を削ることもありますから。僕も説明過多だと思って「これ、見れば分かるからいらないよね」って言ったりします。さっき『水曜日のダウンタウン』の初期の読みのテンポが速かったという話がありましたけど、ゆっくりになってきたのは、この傾向もあるかもしれないですね。
――思い返すと、昔の『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)とか『ガチンコ!』(TBS)とか、ナレーションでめちゃくちゃ説明してましたよね(笑)
今あれを見ると疲れちゃいますよ(笑)。そのあたりは一周して落ち着いてきたのかもしれないですね。
○『電波少年』の衝撃「あんなナレーション、なかった」
――バラエティが主戦場ですが、実はこんな番組のナレーションをやってみたいというものはありますか?
『Nスペ』もやって、TBSのスポーツでも世界陸上とかオリンピックとか、去年の大みそかのWBC特番も7時間生放送をやりましたから、もうオールジャンルやらせていただいていると思うんですよ。だから、服部潤を飽きずに使っていただければ、それでいいかなと思っています。
――ご自身が影響を受けた番組を挙げるとすると、何になりますか?
ナレーションというものを意識し始めたのは、やっぱり『電波少年』(日本テレビ)ですね。(木村)匡也さんはちょっと衝撃でした。あんなナレーション、なかったですもんね。
あとは『情熱大陸』(MBS)ですね。窪田等さんは怪物ですよ(笑)。淡々としたしゃべりの中に意志がきちんとあって、見るものを飽きさせない。あれはちょっと真似できないですね。だって、声がズルいじゃないですか(笑)。一緒にメシに行ったことがあるんですけど、車の話とくだらない話しかしてないのに、ずっと『情熱大陸』を見てるようで全く飽きなかったんですよ。
――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”を伺いたいのですが…
制作会社のイーストに小宮泰也という若いディレクターがいるんですけど、ちょっと最近すごいです。『たけしのニッポンのミカタ!』(テレビ東京)という番組にADで入ってきたのが出会いで、そんなに才能があるように見えなかったんですけど(笑)、『オドハラ』の後に始まる東野(幸治)さんとSnow Manの渡辺(翔太)くんの『この世界は1ダフル』という番組で演出をやるので、楽しみですね。
次回の“テレビ屋”は…
『この世界は1ダフル』イースト・小宮泰也氏
注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、『水曜日のダウンタウン』(TBS)、『あざとくて何が悪いの?』(テレビ朝日)など、数々のバラエティ番組でナレーターを務める服部潤だ。
○運命を決めた佐野元春コンサート
――当連載に前回登場した『新しいカギ』『FNS27時間テレビ』のフジテレビ田中良樹さんが『関ジャニ∞クロニクルF』でご一緒されていた服部さんについて、「ナレーターさんはいちばん近くでいちばん客観的に番組を見てる方だと思うんです。いちばん面白い位置で、番組もテレビマンもよく見ていて、潤さんに褒められたらめっちゃうれしいんです(笑)」とおっしゃっており、「『27時間テレビ』の感想を伺っていないので、ぜひ聞いてください(笑)」と言っていました。
ぶっちゃけ良樹が総合演出をやっているのは知らなかったんですけど、面白かったですね。古き良きフジテレビを思い起こさせてくれるみたいな作りだったと思います。言いたいことがあるとすれば、「何で俺を使わなかったんだ」ってことくらいですね(笑)
――本当にバラエティ番組で服部さんの声を聞かない日はないくらいのご活躍ですが、どのような経緯でナレーターになられたのですか?
中学生ぐらいの時に、将来はお芝居の仕事をしたいなとおぼろげながら思い始めたんです。高校の時はバンドを組んでボーカルやってたりして、基本、人を楽しませるのが好きだったんですよ。小学生から父の仕事の関係で転校族だったので、どうしても自分からアピールしていかないと友達ができないじゃないですか。それで、サービス精神みたいなものが身についてしまったのかもしれないですね。
――ただ、最初はホテルマンになられたんですよね。
お芝居は誰でもなれる仕事でもないので、年を重ねていくうちに夢を追っているばかりではダメだなと思って。でもお客さんに楽しんで帰ってもらう仕事ということで接客が好きで、アルバイトもずっと接客をやっていたんですが、その究極がホテルマンだと思って、母の知り合いのつてをお借りして、新宿のセンチュリーハイアット(現・ハイアット リージェンシー東京)に就職したんです。
そこで楽しく仕事していたんですけど、どんどん責任を持たされる立場になってきて、いわゆる接客だけじゃなくて裏のこともやらないといけない。「やりたいことじゃないな…」って思い始めた頃に、友達に誘われて佐野元春さんのコンサートに行ったんですよ。そこで佐野さんが大勢の観衆を一つにまとめ上げている姿を見たときに、「俺やっぱり、ホテルマンのままじゃいけない」と思って。
それから家に帰ったんだけど、興奮してるから寝れないんですよ。それで夜中にテレビをつけたら、TBSの『ドキュメントDD』っていう番組で、ディスクジョッキー事務所の女社長のドキュメンタリーをやってたんです。その女社長は、バイクの後ろに所属のDJを乗せて、J-WAVEからTOKYO FMに送ったりしてたんですけど、DJがブースの中でしゃべってる姿も映っていて、「僕はDJになるんだ!」と思ったんです。
――佐野元春さんを見たその夜に! 運命ですね。
本当に運命なんですよ。それでもう次の日にTBSに電話したんです。
――TBSに?
当時はパソコンもなくて検索もできなかったので、TBSに電話して「昨日の深夜のドキュメンタリーでやってた事務所を教えてください」って問い合わせたら教えてくれてたので速攻で行って、「私もDJになりたいんです!」とお願いしました(笑)。そしたらあの女社長が「うちの養成機関があるから、ホテルマンをやりながら通ってみたらどうですか?」と言ってくれて通い始めたのがスタートですね。そこで、サンディという事務所に所属しました。
――そこからどんな仕事をされていくんのですか?
初めてお金をもらったのは、コンピューターショーでパソコンを紹介するMCだったと思います。そういったイベントのMCとか、渋谷にあったタイトーのゲームセンターにDJブースがあって、そこのお客さんのリクエストを募って曲をかけるなんてこともやってたんですけど、ある時、J-WAVEのオーディションに連れて行っていただいたら、全くうまくできなかったんです。プロデューサーさんに要求されていることをうまく表現できなくて、そこで自分は基本的にアドリブが効かない人だということに気づいたんです。
――そうなんですか!?
それはいまだにそうで、「春を題材にして3分間しゃべって」と言われてフリートークするのも超苦手で。それで、社長に「潤ちゃんはうちではちょっと預かれないかな」って言われちゃったんですよ。
その後日、クリスマスに東京タワーの下のブースでカップルに向けてリクエスト曲を募ってかけてあげたり、メッセージを読んであげたりする仕事があったんですけど、その時に一緒にやっていた女の子のDJがCSRっていうナレーター事務所の所属で、話を聞いているうちにナレーションに興味を持ちだしたんです。性格的に「こっちだ!」と思ったらすぐ行っちゃうんで(笑)、その女の子に社長を紹介してもらって、サンディを辞めてCSRに入りました。
CSRはCMのナレーションの仕事が中心なんですけど、面白がって僕を使ってもらって、たぶん2年で100社ぐらいやったと思いますね。そしたら、たまたまテレビ東京の深夜に『車天国らぶらぶドライブ』っていうテレ東の社員ですら知らない(笑)、新番組を立ち上げる制作会社のプロデューサーが、僕のサンプルCDを聞いてくださって指名してくれたんです。ここで、テレビのナレーションって面白いなあと思ったんですよ。
――どんなところが面白かったのですか?
CMのナレーションはセンテンスが短いんですよ。その中で表現する面白さもあるんですけど、テレビは原稿がいっぱいあるので、その頃の自分は表現力も何もなかったですけど、読むのが楽しくて楽しくて! それで、テレビ番組のナレーターになろうと思ったんですが、そのためにはCSRにいたらダメだと思い、大きい事務所を探して、今の青二プロダクションにお世話になることになりました。
●朝の情報番組がターニングポイントに
――そこからいよいよ、テレビ番組のナレーターとして本格的にスタートするんですね。ターニングポイントになった番組は何ですか?
99年の3月29日に、TBSで朝6時から8時半までの『エクスプレス』っていう番組が始まるんです。女性をターゲットにして、エンタメに特化した柔らかめの情報番組で、スポーツコーナーのナレーターを探しているということで、オーディションに行ったんですよ。だけど、生ナレーションで毎日朝5時入りなんで、全然やる気なかったんです。原稿渡されてしゃべってもカミカミで、25人くらい来てたのでこれは落ちるだろうなと思ったら、受かっちゃった(笑)
それで月曜から金曜まで毎日、緊張と寝不足で、3か月経った頃に顎関節症になってしまって。豆腐も噛めないくらいの痛みなんだけど何とかしゃべれるので、他の仕事は控えてこの朝の番組だけに集中してやっていたんです。そうするうちに症状が少しずつ良くなってきて、きっと慣れてきたんでしょうね、緊張も解けてきて。そしたらプロデューサーから「服部さんにエンタメもニュースも全部やってもらいたい」と言われまして、そこからちょっと大変になったんですけど、生放送で原稿の下読みもできない中でいろんなことをやらされて、あの現場で今の服部潤が少し形作られたのかなと思います。
――相当鍛えられたんですね。誰かに指導を受けたということはあったのですか?
それが全く受けてないんです。いろんな方のナレーションを聞いて勉強していた時期もありましたけど、朝の番組をやりだしてからは、そのOAが勉強の場みたいな感じでしたね。生放送だから「ちょっとこんなことを試してみようかな」って、やったもん勝ちでできちゃうんですよ。後で怒られたこともありますけど(笑)
――生放送が終わったら、後でチェックして。
そうですね。全部VHSテープに撮って聞いてました。
――『エクスプレス』は2002年に終了しますが、それからバラエティに進出という流れですか?
実は、『エクスプレス』と同じタイミングで、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)もやるようになったんです。最初は野猿のドキュメンタリーで呼んでもらったんですけど、初めての収録が終わったらディレクターさんに「今、いろんなナレーターさんで試してるんで、来週は服部さんじゃないかもしれないです」って言われて。でも、1回でもとんねるずに携われたからすごくうれしかったんですね。そしたら、次の週から20年弱やることになりました。最初は表現力が全くなかったので、がむしゃらになって読むのに必死でしたね。
――そこから徐々にバラエティが広がっていた感じですか?
当時のマネージャーが僕のことをすごく買ってくれて、『エクスプレス』が終わったらすぐに『王様のブランチ』(TBS)が決まりました。
――佐久間宣行さんの番組も多いですが、出会いは『ゴッドタン』(テレビ東京、05年〜)ですか?
そうです。『大人のコンソメ』という前身番組は、青二の大ベテランの銀河万丈さんがやっていたのですが、『ゴッドタン』になるときにナレーターも代えるということになって、そこから大変お世話になってます。
○『水曜日のダウンタウン』初回OAを見て「がく然とした」
――そして、2014年に『水曜日のダウンタウン』(TBS)が始まります。
今ではもう名刺代わりの番組になってますね。小学校時代は大阪に住んでいて吉本新喜劇で育ったのでダウンタウンさんも大好きで、いつかやりたいなと思ってたんですけど、当時はとんねるずさんの『みなさん』をやっていたので、何となくダウンタウンさんの番組では使ってくれない空気があったんですよ。でも、藤井健太郎(『水曜日のダウンタウン』演出)はそんなの関係ない人なんで。
――『水曜日』を始めるきっかけは何だったのですか?
青木真一というマネージャーが、いつか藤井健太郎と服部潤で一緒に仕事をさせたいってずっと思ってたらしいんですよ。なかなか機会がなかったんですけど、千原ジュニアさんの国技館ライブで流すVTRを藤井健太郎が作るというのを聞いた青木がチャンスだと思って、僕を藤井のところに連れてっいたんです。それが『水曜日のダウンタウン』が始まるちょっと前でしたね。だから本当に、うちのマネージャーたちには頭が上がらないです。
――『水曜日』は、『みなさん』や『ゴッドタン』など他の番組に比べて、独特の低いトーンで読まれていますよね。
最初は、藤井から何も指示がなかったから、他の番組と同じようなテンションでしゃべってたんですよ。それで1回目のOAを見たときにがく然としたんです。VTRがこんなに面白いのに、俺のナレーションが邪魔だと思ったんですよ。音楽も原稿の言葉のセンスも面白いじゃないですか。それで藤井に「ちょっと(トーンを)落としていい?」と言って、今の形になったんです。そしたら、やっぱりVTRが面白く際立って良かったなと思いますね。
――本当に絶妙なワードチョイスですよね。
担当ディレクターが書いた原稿を藤井が直すんですけど、1回それを見たら赤(=修正)がすごいんです。やっぱり藤井が直したほうが面白くなるんですよね。あの番組は、ナレーション中に笑っちゃってしゃべれなくなることもあって、本当に読めなくなったときは、「これはもう無理!」って休ませてもらいます(笑)。後にも先にも、そんな番組は『水曜日』だけですね。
しかも、あの低いトーンで読まなきゃいけないので、ちょっと顔が笑っただけで、分かっちゃうんですよ。そしたら藤井が「今笑ってたんでもう1回お願いします」って。もう無理ですよ(笑)
――笑っちゃって読めなくなてしまった回で特に印象に残るのは、何ですか?
最近だと、怪しい話をする東ブクロさんにひょうろくさんが指切りをして約束するところで「成人があまり取らない手法」とか(※1)、あぁ〜しらきさんが角刈りのカツラを外して角刈りの髪型が現れたところで「角刈りのヅラを外し……角刈りになったところで」とか(※2)、THE 虎舞竜の「ロード」のMVで高橋ジョージさんが白い息を吐いてるところで「やかんのような吐息」とか(※3)、こんなの読めませんよ(笑)。とにかく藤井健太郎の言葉のチョイスにやられます。
(※1)…「怪しい高額報酬バイト、引き受けたが最後どんなに犯罪の匂いがする闇バイト風だったとしてももう引き返せない説」
(※2)…「楽屋の弁当持って帰り王決定戦」
(※3)…「曲のサビでちょうど涙は難しい説」
――TVerで過去の傑作選が配信されることがあるじゃないですか。それを見ると、初期の頃は、今より若干テンポが速いですよね。
そうなんです。『水曜日』もそうですが、全ての番組において原稿量はさほど変わってないと思うんですけど、きっと“緩急”や“間”をうまく使えるようになったのかなと思います。それでゆっくりに聞こえるんじゃないかと思うんです。
●下読みなしで本番「1回見ちゃうと、ダメなんです」
――最初の頃は表現力がなかったというお話がありましたが、やはり長年にわたって現場の経験を重ねることで身についてきたものなのでしょうか。
そうですね。何十年もやらないと、表現力は身にはつかないとは思うんですけど、とにかくいろんな方のナレーションを聞きまくって“聞くチカラ”を付けることですね。テレビを片っ端から見ることが大切かと思います。テクニック的には原稿を頂いたら文脈を確認し、どの文言がどこにかかっているのか考える。そして“緩急”や“間”を大切にし、視聴者のことを常に考えながら読む。そうすれば自ずと付いてくると思います。
最初の頃はもう本当にがむしゃらに文字を追うだけで、間も抑揚も高低差も強弱もない、ずっと一定のトーンで読み続けていて、さっき言った『車天国らぶらぶドライブ』なんて今見返すと本当に下手くそですよ(笑)。そこからいろんなディレクターに育ててもらって、今の服部潤が存在しているんです。
――毎回収録前には、いろいろ準備されるのですか?
僕の場合、今は原稿と映像を頂いても何もチェックしないんです。下読みもしないで状態でブースに入って録りだします。それは、視聴者の皆さんと一緒に、初めてVTRを見る感覚をナレーションに乗せたいんですよ。
こんなことは駆け出しの頃にはできないですけど、僕はたまたま『エクスプレス』で生ナレーションを4年やらせていただいたので、一発で尺にはめて読むという作業ができるようになっていたんです。あとは見た感覚をナレーションに乗せるという作業をしているんだと思います。
――下読みなしの一発録りでOKを出すというのは、まさに職人技ですね。
1回見ちゃうと、なんかダメなんですよね。2回目に同じことができたいというか。前に『NHKスペシャル』をやらせていただいたときに、リハーサルで最初から最後まで全部VTRを流して読んだんですけど、その後に本番をやったら「服部さん、リハのほうが良かったので、リハの時みたいにお願いします」って言われて、「やっぱりな」と確信しました。
○「ちょっとやりすぎです」と言われるように
――先ほど藤井健太郎さんのお話もありましたが、ほかに印象に残る制作者を挙げるとすると、どなたになりますか?
この連載に出てる人たちはみんなそうですね。マイアミ啓太(元フジテレビ、『人生のパイセンTV』『とんねるずのみなさんのおかげでした』など)も元気なやつで、型破りというか。ああいう勢いのあるディレクターは大事ですよね。マッコイ斉藤(『とんねるずのみなさんのおかげでした』など)もそうですけど、いい意味で“奇人”じゃないですか(笑)。ああいうディレクターがいないと、テレビは衰退していくんじゃないかと思います。今はコンプライアンス的に難しいことがあるかもしれないけど、マイアミにしてもマッコイにしても、楽しいものをお届けしようという気持ちが強いなと思いますね。
――そういうディレクターの方との仕事は、やはりナレーションもノッてきますか?
そうですね、本当楽しかったですよ。だから、最近の若いナレーターの人は型にはまったナレーションしかさせてもらってないだろうから、かわいそうだなと思うんです。昔は、いろいろ好き勝手やれたので、収録に臨む時にディレクターの想像を超えてやろうと思ってやるんですよ。ちょっとやりすぎのところがあってもOKになる時代だったのですが、今はそれをやっちゃうと「服部さん、ちょっとやりすぎです」って言われちゃう。昔は全然OKだったんだけどね。
――やりすぎると、視聴者からクレームが来てしまうのでしょうか?
どうなんでしょう。でも、こっちとしては、番組が楽しいとナレーションもテンション上げたいじゃないすか。そうすると「もうちょっと落としてください」と言われるし、変な癖とか抑揚をつけてみると、「いや、普通でいいです」ってなっちゃうんです。
――それでも、新しい番組を始める時に「ディレクターの想像を超えてやろう」という気持ちでやっていくんですね。
はい。ディレクターが面白がってくれたら、そこで成功だと思うので、ギリギリのラインでやってます。オファーしてきたディレクターは、イメージしてた「服部潤」でいいんですよ。でもそれじゃつまらないじゃないですか。結局、「そこまでやらなくていいです」って言われちゃうんですけど(笑)、そこのさじ加減が難しいですね。
――その傾向は、ゴールデン・深夜を問わずですか?
そうですね。
――最初に言った、バラエティ番組のナレーションを服部さんが席巻しているイメージがあるのは、服部さんが印象に残るナレーションを入れようと奮闘されているからなのかもしれませんね。
今の若い子たちはみんな上手で器用なんですよ。だけど、誰だか分からないんです。ベテランなら、真地勇志さん、窪田等さん、奥田民義さん、垂木勉さん、平野義和さん、木村匡也さんとか、名前があって個性的なナレーターがたくさんいるじゃないですか。でも、若い子たちでなかなかそういう人が出てこないのは、ディレクターに抑えられちゃって「これやっちゃうとマズいかな…」という気持ちでやっている部分があるのかもしれない。このままじゃみんな成長していかないですから、そこは危機感を持っています。
――今注目している若いナレーターさんを伺おうと思っていたのですが…
本当に分からないんですよ(笑)。『鬼滅の刃』がヒットしてから声優さんがナレーションをすることも多くなってきたじゃないですか。SNSがバズるし、TVerが回るというのもあると思うんですけど、そうなるとますます若いナレーターにチャンスがないんですよね。
――『27時間テレビ』は若い視聴者を中心に大きな盛り上がりを見せましたが、ナレーターは70代の銀河万丈さんでしたし。
そういう世界なんですよ(笑)
――番組の制作側も、新しい世代のナレーターさんを発掘して育てるという意識が必要になってきそうですね。
それは制作サイドも分かっていると思うんですけど、安定志向で服部潤や、銀河さん、垂木勉さん、立木文彦さんを使ったり、目先のバズりでヒットアニメの声優さんを頼るんでしょうね。
●『オドハラ』演出陣は精いっぱい頑張っていた
――ナレーターという立場から見て、四半世紀でのバラエティの変化というのは、どのように感じていますか?
これはコンプラに尽きますよね。本当に大人しくなってきちゃって、「ナレーションで遊んであげないと、面白くならないんじゃないかな?」っていう番組もありますから。
――自分が最後の手段として盛り上げようと。
おこがましいですけどね。でも、僕を呼んでくれるのであれば、やっぱりディレクターの上をいかないといけないなと思ってやっています。
それと、どこのチャンネルをつけても同じ演者さんが出てるじゃないですか。売れっ子ばかりを使うからスケジュールが取れなくて、時間の制約がある中で作らなきゃいけない。『オドオド×ハラハラ』(フジテレビ、9月終了)もそうだったんじゃないかと思います。タレントに時間もない、各局そうですがここ数年制作費も削られている。そんな中で佐久間(宣行)たち演出陣は精いっぱい頑張っていたと思いますけどね。
――最近はバラエティ番組を新しく立ち上げても、定着するのがなかなか難しくなってきています。
でも田中良樹とか、一生懸命視点を変えて面白いものを作ろうというディレクターも増えてきていると思います。それに、藤井健太郎を見て育ってきたディレクターたちがこれから出てくるじゃないですか。もちろん、藤井健太郎みたいにはできないと思うんですけど。
――「テレビもここまでやっていいんだ」と萎縮しない制作者がどんどん出てくるかもしれないですね。
そういう期待もあります。ただ、局にもよると思います。藤井健太郎の番組なんて、合田(隆信、TBSテレビ専務)さんみたいな、ちょっと普通じゃない上層部に守られているからできるんだと思いますから(笑)。だから、藤井はTBSで良かったなと思いますね。
――『有吉の壁』(日本テレビ)や『ヒューマングルメンタリー オモウマい店』(中京テレビ)など、ナレーションがほとんどない番組もありますが、どのように見ていますか?
僕が大好きな『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビ)もナレーションがないんですよ。見ていると「しかし!」とか「そこで!」とか「この後!」とか入れたくなっちゃうんですけど、なくても成立してるので素晴らしいなと思いますね。
それと、昔に比べたらナレーションの量が減ってきているかもしれないです。「テロップに書いてあるから」って、必要のない言葉を削ることもありますから。僕も説明過多だと思って「これ、見れば分かるからいらないよね」って言ったりします。さっき『水曜日のダウンタウン』の初期の読みのテンポが速かったという話がありましたけど、ゆっくりになってきたのは、この傾向もあるかもしれないですね。
――思い返すと、昔の『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)とか『ガチンコ!』(TBS)とか、ナレーションでめちゃくちゃ説明してましたよね(笑)
今あれを見ると疲れちゃいますよ(笑)。そのあたりは一周して落ち着いてきたのかもしれないですね。
○『電波少年』の衝撃「あんなナレーション、なかった」
――バラエティが主戦場ですが、実はこんな番組のナレーションをやってみたいというものはありますか?
『Nスペ』もやって、TBSのスポーツでも世界陸上とかオリンピックとか、去年の大みそかのWBC特番も7時間生放送をやりましたから、もうオールジャンルやらせていただいていると思うんですよ。だから、服部潤を飽きずに使っていただければ、それでいいかなと思っています。
――ご自身が影響を受けた番組を挙げるとすると、何になりますか?
ナレーションというものを意識し始めたのは、やっぱり『電波少年』(日本テレビ)ですね。(木村)匡也さんはちょっと衝撃でした。あんなナレーション、なかったですもんね。
あとは『情熱大陸』(MBS)ですね。窪田等さんは怪物ですよ(笑)。淡々としたしゃべりの中に意志がきちんとあって、見るものを飽きさせない。あれはちょっと真似できないですね。だって、声がズルいじゃないですか(笑)。一緒にメシに行ったことがあるんですけど、車の話とくだらない話しかしてないのに、ずっと『情熱大陸』を見てるようで全く飽きなかったんですよ。
――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”を伺いたいのですが…
制作会社のイーストに小宮泰也という若いディレクターがいるんですけど、ちょっと最近すごいです。『たけしのニッポンのミカタ!』(テレビ東京)という番組にADで入ってきたのが出会いで、そんなに才能があるように見えなかったんですけど(笑)、『オドハラ』の後に始まる東野(幸治)さんとSnow Manの渡辺(翔太)くんの『この世界は1ダフル』という番組で演出をやるので、楽しみですね。
次回の“テレビ屋”は…
『この世界は1ダフル』イースト・小宮泰也氏