「カーレーサーの草分け」とも呼ばれる古我信生さんの暮らしていた「古我邸」(鎌倉市提供)

 日本のモータースポーツの草創期に「カーレーサーの草分け」として世界で活躍した古我信生さんが生前に暮らし、鎌倉三大洋館の一つに数えられる「古我邸」(神奈川県鎌倉市扇ガ谷)について、市はこのほど「景観重要建築物等」に指定したと発表した。

 景観重要建築物は市都市景観条例に基づき、修繕費などを助成し、後世への保存を図る。古我邸と同じ三大洋館の鎌倉文学館(同市長谷)や旧華頂宮邸(同市浄明寺)なども指定され、古我邸で38カ所目となった。

 古我邸は木造2階建て(延べ床面積約500平方メートル)で1916年に実業家荘清次郎が別邸として建築。簡素な装飾が特徴の19世紀後半の米国建築様式による別荘建築は珍しく、関東大震災の被害も免れて残る貴重な建築物という。

 戦前には当時の浜口雄幸首相も別荘として使い、戦後は実業家だった古我さんの父が取得。引き継いだ古我さんも2005年に亡くなるまで常住の住まいとした。古我さんは1965年に西ドイツで開催された世界大会で優勝するなど、日本のレーサーのパイオニアとして活躍した。

 市は2006年ごろ、古我さんの親族に景観重要建築物等の指定を働きかけたが、個人所有の邸宅のため見送られた。古我さんの死後も暮らしていた妻も亡くなり、15年にフレンチレストランとして改修。地権者から昨年、市に保存に向けた相談があり、十数年越しに指定が実現した。