「報道をご覧になった方のなかには、〈引退したばかりなのに、なぜ?〉と疑問に思った方もいたかもしれません」(撮影:木村直軌)

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「いつでも夢を」「恋のメキシカン・ロック」……昭和の歌謡史に残る数々のヒット曲を世に送り出してきた橋幸夫さん。デビューから63年の2023年に歌手活動から引退しました。ところがその1年後、引退を撤回。その間には、大学生活や脳梗塞も経験し……。80代の橋さんの今を取材しました(構成=中嶌直子 撮影=木村直軌)

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人生で初めて自分で決断した

2023年5月3日、80歳の誕生日をもって、僕は63年間の歌手活動に終止符を打ちました。歌手を引退すると宣言したのは、21年10月。《卒業》の日まで、僕はコンサートツアーで全国119ヵ所を回り、長年ファンとして応援してくださった方々に感謝の気持ちを伝えました。

実は引退宣言と同時期に、京都芸術大学の通信課程に入学したため、ツアーのかたわら大学生としてレポートや課題に追われる日々。

忙しくも新たな人生のスタートを切り、今まで味わったことのない普通の生活を楽しんでいたのです。引退の寂しさを感じることもなく……。

ところがそれから1年も経ず、今年の4月に引退を撤回する会見を行ったものですから、皆さんを驚かせてしまいました。報道をご覧になった方のなかには、「引退したばかりなのに、なぜ?」と疑問に思った方もいたかもしれません。

僕は性格的に、思いついたことはすぐ、行動に移してしまうタイプ。性格がはっきりしているの(笑)。引退も、引退撤回も、こうと決めたら即実行。そんな生き方ゆえ、皆さんをたびたびお騒がせすることになってしまったのです。

僕は17歳でデビューして以来、60年以上、歌手としてステージに立ってきました。しかし80歳を迎える数年前から、自分の「やめどき」を考えるようになって。体力の衰えや、声の出しにくさを感じることが増えていました。

年齢が年齢ですし、僕も老いには逆らえないということ。この状態でいつまでも人前に立ち続けるのはどうなのか、どこかでケジメをつけなければならないねと、妻には話していました。

振り返ると、先輩歌手のなかには、いつのまにか表舞台から消えてしまった方が結構多いんです。現役時代は大スターであっても、ふと気付いたらいなくなっている。最近あの人、全然見ないね、と楽屋で話題になったりして……。

僕はそういうフェードアウトの仕方は性に合わないし、嫌だなと思っていました。自分の終わりくらいは自分で決めたかった。

だって、17歳での歌手デビューも、そこから始まった歌手としての活動も、自分自身で決めたことは何一つないんだもの。だから先の引退は、僕の人生で初めての、僕自身による決断でした。

でも、このとき、僕はとても大事なことを忘れていたんですよね。僕がたくさんの人々に支えられている歌手だ、ってことを。

ファンの方からお叱りをいただいて

引退宣言後にファンの方からまずいただいたのは、「勝手に辞めちゃうなんて!」というお叱りの言葉でした。何十年も応援してくださっている方々からしたら、「私たちを放っておいて、自分だけ辞めてしまうなんてどういうこと!?」と感じたのでしょう。事務所にたくさんお電話をいただきました。

僕は今、大学で書画を学んでいるんですが、その個展に来てくださったファンの方々から直接ご意見をいただいたときは、さすがにこたえましたね。「私たちファンクラブの会員に事前に知らせず突然発表するなんて。何十年も応援してきたのに」とか。

「これまでいくらお金を使ってきたと思っているの」というお声も(笑)。今まで一生懸命に尽くしてくださった方が、「悲しくて、もう橋さんの個展にも行きたくない」とまでおっしゃる。

僕のファンクラブのなかにはいくつかのグループがあって、コンサートに一緒に来てくれたり、その後、お茶をしたりする交流をとても楽しんでいらっしゃるようでした。

その方たちが、「橋さんを応援するために、みんなで行動するのが楽しみだったんですよ。行く場所がなくなってしまって、寂しい」「グループがバラバラになってしまった」「幸夫ロスです!」と言っていると聞いて、さすがに僕もしばらく落ち込んでしまいました。

僕だけのことではなく、ファンの方一人一人にとっても一大事だったんですよね。それだけ大きいことだったんだなと実感するとともに、ありがたさも痛感しました。ごめん、だったら僕、戻るよ。引退撤回の決断も、早いんです(笑)。そういう性格なんでね。

一方、妻は、男に二言はないだろうと信じていたようです。引退を惜しむ声があるとはいえ、一度宣言してしまったのだから、と。

僕が舞台に立ち続けられるよう、風邪を引かせちゃいけない、体調を万全に保たなきゃいけない、と妻は毎日すごく気を使ってくれていた。苦労してきた分、カムバックなんて絶対にやめてという気持ちもあったと思います。

「また歌いたい」と思った

ところが、引退撤回のもう一つのきっかけを作ったのも、妻だったんです。車の運転中はいつも、妻が音楽の選曲をしています。引退以前は常に僕の曲をかけていたのだけど、引退後は気を使ってくれて、クラシックなんかを聴いていました。

引退して半年くらい経った頃かな。久しぶりに僕の歌がかかったんです。スマートスピーカーに、「アレクサ、橋幸夫の曲を流して」と頼んだとかで、延々と僕の歌が流れてくる。何せ僕の歌は数百曲もあるから(笑)。

妻は、そのうち僕が「もう消してくれ」と言うかなと思っていたらしいのですが、僕は黙って、じーっと聴いていた。そして、「……いい曲だな」と言ってしまった。(笑)

最近歌っていなかった昔の曲のなかには、こんなのあったかなと思うほどいい歌がたくさんあることに改めて気がついたんです。現役で歌っているときとは違って、引退したからこそ客観的に感じるところがあったんでしょう。正直に、「また歌いたい」と思いました。

そのときに、考えたんです。歌の力って、すごいなと。僕のような歌手にとってだけじゃなく、聴いてくれる人にとって、そして歌作りに携わる人にとっても同じです。

一つの歌が世に出るまでには、作詞・作曲の先生が、一生懸命に作品を作ってくださって、それをレコーディングして、レコード会社の皆さんと一緒に頭を悩ませながらレコード(CD)を完成させます。一曲一曲にものすごく強い思いが込められているんです。

そしてファンの方がまた、その曲を大事に受け取って、コンサート会場では目を輝かせて応援してくれる。そんなことを何十年もやってきていたのに、今になってそのありがたさを実感しました。

だから、僕の意思だけで勝手にポンッと辞めるなんてことは、やっぱりよくない。口幅ったい言い方ですが、いわゆるスターと呼ばれる人間は、自分勝手に行動してはいけない職業なんですね。

今回、歌うことが僕の使命だと悟りました。これからは声が出なくなるまで歌わせていただきたい。すいぶん反省もしました。だから引退撤回の発表は、《復帰》会見ではなく、《謝罪》会見としたのです。

後編につづく