ケンドーコバヤシ

令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(13)

越中詩郎デビュー45周年記念大会 前編

(連載12:ロード・ウォリアーズ再結成の豪華6人タッグ パワー・ウォリアーの空気の読まなさに「これぞ健介!」>>)

 子供の頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤシさんが、独自の目線で名勝負を語り尽す連載。第13回は、『アメト――ク!』などでその魅力を語り尽し、ケンコバさんと最も縁が深いレスラーと言ってもいい越中詩郎。ケンコバさんもゲストで登場した、8月24日に後楽園ホールで行なわれた全日本プロレスの「越中詩郎45周年記念大会」を振り返ってもらった。


越中詩郎(右)のデビュー45周年記念大会にゲストとして来場したケンドーコバヤシ photo by 東京スポーツ新聞社

【全日本での記念大会に感じた"運命"】

――この連載は基本、ケンコバさんが自由に選んだ名勝負について語っていただいているんですが、今回は編集部からレスラーを指定させていただきたく思います。よろしいでしょうか?

「ほぉ......なんの試合でしょうか?」

――ケンコバさんが愛してやまない越中詩郎選手です。今年でデビュー45周年を迎え、8月24日には、ケンコバさんもゲストとして来場された記念試合も行なわれたので、越中さんの名勝負をぜひ!

「そうですね。俺もこの連載で、いつかは越中さんについて語らなければいけないと思っていました。ちょうどいいタイミングですね」

――ありがとうございます!

「頭に浮かんだのは、越中さんにとってのいわば"禁断の試合"です。2試合あるんですが、それを語る前にデビュー45周年記念大会について振り返りましょうか。

まず俺が思ったのは、越中さんの記念大会が全日本で行なわれるのはすごいことだなぁ、ということです」

――越中さんは、高校卒業後の1978年にジャイアント馬場さんの全日本プロレスに入門。翌79年3月5日に千葉・館山市民センターでの園田一治(ハル薗田)戦でデビューしました。越中さんにとって全日本マットは"ふるさと"でもあります。

「そうなんです。でもここ数年は、越中さんと全日本のつながりは薄かったはず。そんななかで、デビュー45周年を迎えて全日本に招かれたのは、越中さんも感慨深いだろうなと思いましたね。

『これを"運命"と言うんだなぁ』と思いながら、全日本さんに用意していただいた席で試合を見ました。会場で全日本勢の試合を見るのは久々だったんですけど、いやぁ、全日本の選手はデカイですね。ジャイアント馬場さんの教え、イズムが脈々と生きているんだなぁと」

――身長2m9cmの馬場さんはプロレスラーに対して、観客を一瞬で引きつける体の大きさを求めていました。

「斉藤ブラザーズ(兄・斉藤ジュンと弟・斉藤レイ)や、安齊勇馬選手の体を見て、"馬場イズム"が生きていることに感動しましたよ。特に、デビュー2年目の安齊選手はかなり成長していますね。常に試合はフラフラになっている印象で、今年3月に三冠ヘビー級王座を奪取した時は『いくらなんでも戴冠は早すぎるやろ!』と思いましたが、チャンピオンになると、ここまで人は成長するものなんだなと感心しました」

――本当にそうですね。

「馬場さんのイズムを感じたのはデカさだけじゃありません。最近のプロレス界での『周年記念大会』は、主役のレスラーの必殺技を、ほかの選手がさまざまな試合で繰り出してメインイベントへつなげていく、という流れがあるんです。

 今回は越中さんの記念大会ですから、代名詞のヒップアタックが出るかなと予想してたんですが......あの日は出なかった。1試合おきくらいで出ていたのは、ビッグブーツ。馬場さんの16文キックを彷彿とさせるビッグブーツをさまざまな選手が繰り出しているのを見て、『なんだかんだ言っても、全日本は馬場さんが生み出した団体だなぁ』と強く思いましたよ」

【巻き込まれた場外乱闘の真相】

――そして迎えたメインの試合は8人タッグマッチ。越中さんは、三冠王者の青柳優馬選手、新日本の田口隆祐選手、2AWの真霜拳號(けんご)選手と組んで、諏訪魔(すわま)選手、芦野祥太郎選手、黒潮TOKYOジャパン選手、立花誠吾選手と対戦しました。この試合で衝撃的な事件が起こりましたね。

「ありましたね(笑)」

――試合序盤で、越中さんと諏訪魔選手が場外で乱闘。客席までなだれ込んだふたりは、ケンコバさんの目の前でやり合いました。次の瞬間、越中さんが諏訪魔選手を羽交い絞めにし、ケンコバさんがチョップ。会場は「ケンコバ!」コールの大合唱でしたが、あの乱闘の真相を教えてください。

「う〜ん......(しばし沈黙し)あの真相ですか? 真相はちょっと......」

――ぜひ、お願いします!

「......わかりました。読者のみなさんのために、話しておかないといけないでしょう。すべてを打ち明けます」

――ありがとうございます。

「まず、俺は全日本さんが用意した南側の客席で見ていました。メインイベント終了後に越中さんの記念セレモニーがあったので、その準備のために、団体の方から『セミファイナルの段階でバックステージに移動してスタンバイをお願いします』と言われていたんです。

 ところが、全日本の社長さんがいらっしゃって『ギリギリまでご覧になってください』と言うんですよ。それでメインイベントが始まったので、社長に『スタンバイします』と伝えてバックステージへ移動しようとしたら、謎のひと言が返ってきたんです」

――そのひと言とは?

「『まだ大丈夫です』と」

――まだ大丈夫......ですか。

「急な予定変更です。『なんでだろう......』と一瞬戸惑いましたが、そもそも後楽園ホールは、スタンバイといってもすぐにバックステージに移動できますからね。『まだ余裕があるんだな』と納得して越中さんのファイトを堪能していたんです。そうしたら、越中さんと諏訪魔選手の場外乱闘が始まり、ふたりが南側の客席になだれ込んできて、俺の目の前で乱闘が繰り広げられたんです」

――そして、チョップのシーンの流れになったと。

「俺は、『素人の自分が試合に介入するなんてありえない』と思っていたんですけど、越中さんが諏訪魔選手を羽交い絞めにして『ケンコバ、来い!』と言うので、いかざるを得ないと意を決してチョップさせていただきました」

――越中さんに言われたら、行くしかないですね!

「社長が『まだ大丈夫です』と言ったのはこのためだったのかと、謎が解けました(笑)。それにしても諏訪魔選手の体はぶ厚くて、俺のチョップは跳ね返されました。さすがはトップレスラー。大会終了後に、バックステージで諏訪魔選手と出くわしたんですが、その時は無言でニヤリとされました(笑)。口角がだいぶ上がった、ビッグニヤリをいただきましたよ」

――目と目で語り合う、まさにプロですね。

「ただ、あの記念大会では、もうひとつ事件があったんです。それは、会場のバックステージで起きました」

(後編:セレモニー前に起きた事件 天龍源一郎や藤波辰爾らとの会話で大困惑>>)

【プロフィール】
ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメト――ク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。