人前で話す力は、誰でも事前にやるべきことをやれば、必ず習得できます(写真:AP/アフロ)

スティーブ・ジョブズ、ウィンストン・チャーチル、アドルフ・ヒトラー、安倍晋三元首相……。彼らはなぜ、あんなに流暢に人前で話すことができるのでしょうか。実は、彼らが人前に立つ前にやっていることに秘密があったのです。

※本記事は矢野香著『世界のトップリーダーが話す1分前までに行っていること』の内容を一部抜粋・再編集したものです。

歴史を動かしたトップリーダーが直した癖

「言葉で国民を鼓舞する政治家」といわれた元英国首相、ウィンストン・チャーチル。

彼は議会の何日も前から想定される野次への切り返しや受け流しなどの練習をしていたといわれています。実は吃音という発話障害を持っていたともいわれる彼は、人前ではまったくその片鱗を見せませんでした。連日の練習があってこそ、原稿なしで堂々としゃべっているように見えたのです。

また、話すことでカリスマ性を発揮したドイツのヒトラー。彼の事績については賞賛すべきではありませんが、人を魅了する話し方を知るにあたって避けては通れない一人です。

声を張り上げ大きな身振りで聴衆を煽り立てるイメージのある彼が、鏡の前に立ち一人でポーズをとりながら練習をしていた写真が見つかっています。撮影したカメラマンに破棄を命じたとされるこの写真は、本人は隠したかった人前に立つ前に行っていた秘密だったのかもしれません。

安倍晋三元首相は97代目内閣総理大臣時の2015年4月29日、アメリカ議会の上下両院合同会議で演説を行いました。日本の首相がこの会議で話すのは初めてで、一世一代の舞台だと注目されました。

45分間にわたる英語による演説の後、会議場からは割れんばかりの拍手が沸き起こりました。その中には、立ち上がり手を叩くバイデン副大統領(当時)の姿もありました。

このときのスピーチライターであった谷口智彦氏はのちに、この演説の実施が決まったのが約40日前であったこと、原稿作成を始めたのは1カ月前だったことを明かしています。そこから安倍氏の猛練習が始まったのです。

毎日毎日、自宅で大声を張り上げ練習し、昭恵夫人が「わたしまで覚えちゃいそう」と語ったほど。

その後は、アメリカに向かう政府専用機のなかでも米迎賓館についてからも練習を続けていたといいます。演説前夜には、オバマ大統領(当時)が「今夜も明日のスピーチの練習をするらしいから」という言葉で宴のお開きを宣言したエピソードも紹介されています。アメリカ大統領も彼の一途な努力を認めていたのでしょう。

さらに世界が注目したのは、演説後に「ウォール・ストリート・ジャーナル」が報じた1枚の写真でした。

演説中の安倍氏を後ろから撮影したその写真には、英語で書かれた手元の原稿がはっきりと映し出されています。そこには練習の跡がはっきりと見てとれました。ピンクのマーカーで大事な部分に線を引いたり、イントネーションを示す記号をつけたり。

日本語で「顔上げ、拍手促す、収まるのをまち」などの伝え方の注意点も書き込まれたりしているのがわかります。なかには、聴衆の人の名前を並べた手書きの原稿もあり、話す直前、もしかしたら1分前まで推敲していた跡がうかがえます。

練習であなたもトップリーダーばりの話す力を表現できる

準備や練習の量と、成功の数は比例します。事前に十分な準備と練習をすることで、あなたも人前で堂々と伝わる話し方ができるようになります。

もしかしたら、「いつものメンバーしかいないから」「大したプレゼンじゃないから」と、練習なしに本番に挑んでいるという方もいるかもしれません。他の担当者が作ったスライドに当日ざっと目を通しただけで本番に挑むというケースも、時間の制約上やむを得ない場合もあるでしょう。

そうはいっても、トップリーダーのような大変な準備は自分にはできない。むしろ、正直そこまでやりたくない。内心そう思っている方に朗報があります。話し方が少しでもうまくなりたいなと思うなら、今こそ楽に実現することができるタイミングです。

なぜなら年々スピーチトレーニングは、より簡単に、より手軽になっているからです。その理由は技術の進化です。

私が指導を始めた21年前は、道具をそろえる必要があり時間もかかりました。例えば、本書でも紹介している「自分の話している様子を録画し文字に起こす」という方法。

今ではスマホで簡単に録音ができ、AIを使えばものの数分で文字起こしデータが出力されます。以前は何日もかけて苦労していた資料作成も、AIでプロのようなスライドや動画、表やグラフを簡単につくることができます。今ほど、簡単に効率よく、世界のトップリーダーのスキルをマネできる時代はないのです。

人前で話す力は、誰でも事前にやるべきことをやれば、必ず習得できます。

たとえあなたに苦手意識があろうが、緊張するタイプだろうが、口下手だろうが、関係ありません。もちろん政治家だけでなく、ビジネスパーソンも同様です。

アップル創業者のスティーブ・ジョブズも、プレゼン前は、「何時間も真剣に練習した」とビジネスウィーク誌が伝えています。例えば、5分間のデモプレゼンを行うために、チームは数百時間の準備を行い、ジョブズ自身も丸2日間のリハーサルを行いました。うまくできないときの彼はイライラが募り、「ちゃんとできるまでくり返すぞ」と叫ぶ。その姿は異常なほどだったとされています。

世界のトップリーダーであっても、このような事前の準備と練習があってこそ、自然に堂々と人前で話しているように見えるのです。

話のうまさは、生まれもった才能ではありません。誰でも事前にやるべきことをやれば、必ず習得できる訓練可能なスキルなのです。

「プレゼン慣れ」した人が陥る落とし穴

クライアントに接していると、人前で話すことについて大勢の方がある「思い違い」をしていることに気づきます。それは話す練習=場数をこなすこと、と勘違いしていることです。


「場数を踏めばうまくなる」

「慣れれば緊張しない」

といった言葉をよく聞きます。

しかし、正しい話し方のルールを学んだことがないのに、ただただ場数を踏むのは「自己流」でしかありません。いつまでも「自己流」を続けていると、緊張感のない慣れあった雰囲気が聞き手に伝わってしまいます。当然、話を聞いている相手の心を揺さぶることはできません。

にもかかわらず、実に大勢のビジネスパーソンが特別な準備をしないまま、「経験」だけでその場を乗り切ろうとします。そして私たち専門家が、いざトレーニングで改善しようとしたときには、ついてしまった悪癖を修正するところからスタートしなければなりません。

あえて耳が痛いことを最初にお伝えしておくと、「自分はうまく話せている」と思っている人ほど「経験」に頼りがちで、「悪癖」がしみついています。この認識を知っているだけでもガラリと変わります。

トップリーダーは決して、最初から話がうまかったわけではありません。むしろ苦手意識を持っている人がほとんどです。世界のトップリーダーたちが話す前にやっていることを知り話し方のスキルとして身に付ければ、大勢の前でのプレゼンテーションだけでなく日常のさまざまなコミュニケーション場面で活用することができます。

ビジネスにおける会議や打ち合わせでの発言、営業場面での交渉、プライベートでのちょっとした依頼や食事のお誘いなども、すべてプレゼン。話し方ひとつです。スキルを使うことで、日常のこうした場面でも相手を魅了し、相手から望んだ返事をもらうことができるでしょう。

(矢野 香 : 国立大学法人長崎大学准教授・スピーチコンサルタント)