古代のオリンピックにおけるトレーニングや食事・セックス事情とは?
近代オリンピックは、スポーツによる青少年教育の振興と世界平和実現のために、紀元前8世紀から紀元後4世紀にかけて古代ギリシャで行われた古代オリンピック(オリュンピア大祭)を復興する試みとして1896年から始まりました。2000年以上前の人々がどのようにスポーツの祭典に向けてトレーニングや準備をしていたのかについて、古代史の専門家が解説しています。
Wrestling with bulls, meat-only diets and sex bans: how the ancient Olympians prepared
オーストラリアのメルボルン大学でギリシャ・ローマ古代史の研究をするコンスタンティン・パネギレス氏によると、古代オリンピックの選手たちは、かなり忙しいスケジュールにあったと考えられるそうです。その理由として、現代でもオリンピックのほかに各競技の国際大会があったり、ワールドカップなどの祭典があったりするように、当時最大の祭典である古代オリンピックのほかにも3種の大会があったことが挙げられます。4年ごとに開催されるピューティア大祭、2年ごとに開催されるネメア大祭とイストミア大祭に古代オリンピックを加えて「4大競技会」と呼ばれています。
4大競技会は、イストミア大祭がピューティア大祭および古代オリンピックと同じ年の春に開催されるため、より重要な大会の準備のように扱われるなど、名声にある程度の優劣がありました。一方で、4つの大会を「ペリオドス(サーキット)」と呼称し、すべての大会で連続して入賞することを「ペリオドニケス」として偉業と認められるなど、すべての大会を重要視する考えも根付いていたとパネギレス氏は指摘しています。
各大会の入賞者は名声や大会によっては報奨も得られるほか、ペリオドニケスになるとさらに大きな名声を手にすることになります。そのため大会で勝利を目指す選手らは、技術や知識が広まっていない古代においても、さまざまなトレーニング方法で取り組んでいたことが記録されています。
4大大会すべてで優勝してペリオドニケスになった上に、王座を24年間も守ったとして有名な紀元前536年から508年頃に活躍したレスリング選手であるクロトンのミロンは、伝説的なトレーニング方法でも知られています。ローマ帝国期のギリシア作家であるアテナイオスが残した書物では、「ミロンは、毎日20ミナ(約8.72kg)の肉と同量のパンを食べ、ワインを3杯飲んでいた」と記述があります。また、体力作りのために生まれたばかりの子牛が成長するまで毎日抱き上げることで、徐々に負荷を上げる形でトレーニングしていたそうです。
牛を持ち上げてトレーニングした人物は他にも記録されています。紀元前4世紀ごろの歴史家であるエウセビオスの記述では、紀元前460年の古代オリンピックにおけるレスリングの優勝者であるアメシナスは、牛の世話をしながら雄牛とレスリングをしてトレーニングしていたとされています。また、トレーニングパートナーとしてオリンピアまで雄牛を連れていったとも言われています。
体作りのためにはトレーニングだけでなく、適切で十分な食事も重要です。紀元前7世紀半ばのスパルタの陸上選手であるキオニスは、古代オリンピックにおいて7回優勝しています。2世紀の地理学者であるパウサニアスによると、キオニスは乾燥イチジクを食事に取り入れて体作りをしていたとのこと。
そのほか、とにかく肉を食べることで体作りをしていた古代のアスリートも多く記録されています。例えば紀元前6世紀のエウリュメネスや、紀元前5世紀のドロメウスという古代オリンピックで優勝した選手が肉だけの食事を好んでいたと記述が残っています。さらに、アテナイオスは「紀元前2世紀以前に活躍したとある選手は、ヤギ肉以外なにも食べずにすべての対戦相手を圧倒した。その選手の汗は臭かったため、人々は彼をあざ笑った」と書いています。
オリンピックの選手村では性が乱れがちであり、選手同士のセックスが行われていることがしばしば指摘されています。2024年7月26日から開催されたパリオリンピックでは、選手村に約30万個ものコンドームが用意されたことも明らかになっています。しかし、古代オリンピックの選手は、性行為を控えることが競技場の優位につながると考えているケースが多かったようです。プラトンは「法律」の中で、「紀元前476年に五輪競技で優勝したイコスという選手は、性行為を控えたことが成功の一因だと信じており、トレーニング期間中は女性どころか少年にも一度も触れなかった」と述べています。そのほかにも、3度優勝した陸上選手のアスチュルス、同じく3度優勝した陸上選手のクリソンなど、性行為を控えることを重要視した選手は複数いたとパネギレス氏は指摘しています。
現代のオリンピックでは、選手村と呼ばれる場所に各国の選手や役員が集まり、食事や寝泊まりをしたり交流したりしています。古代オリンピックでも、大会の1カ月前から準備のために、第1回古代オリンピックが開催された都市であるオリンピアのある地域のエーリスに滞在する必要がありました。エーリスでは、ルールを破った選手を罰するための棒を持って紫色のローブを着た「ヘラノディカイ」が目を光らせており、トレーニング基準や各競技中のルール違反などを厳しく監視していたとのこと。
紀元前8世紀ごろ始まった古代オリンピックは、最初は直線で200メートルほど走る「スタディオン」という陸上競技のみがありましたが、そこから数世紀かけて長距離走やレスリング、チャリオットのレースなど、競技数を増やしていきました。記事作成時点の研究では、古代オリンピックはローマ皇帝のテオドシウス2世の治世中に、オリンピアのゼウス神殿が火災により破壊されたことが主な原因として終了したと考えられています。その後、1896年までオリンピックは復活しませんでしたが、古代オリンピックも復活した近代オリンピックも同様に、競技者は過酷なトレーニングや集中的な食事管理を行い、競技には多くの観客が注目し、勝利した人物は大きな名声を得たことがわかっています。