エミネムは「8マイル」を軽々と越える、だが実際は…「単なる道路」を人種差別の象徴にした米国の暗い歴史
※本稿は、マキシム・サムソン著『世界は「見えない境界線」でできている』(かんき出版)の一部を再編集したものです。
■“分離すれども平等”という人種差別
――コールマン・A・ヤング(元デトロイト市長)
19世紀半ばから終わりにかけて、公立学校、公共交通機関、レストラン、墓地など、さまざまな場所で強制された南部の人種隔離に対して、北部の白人の多くが非難の声を上げていた。
さらに、1896年の〈プレッシー対ファーガソン裁判〉で、連邦裁判所が「人種的に分離された施設は、質的な差がないかぎり合憲である」という画期的な判断を下し、南部の人種隔離は扱いに差がない限り合法であると認めた。
この“分離すれども平等”という原則は、実は残酷な皮肉であり、州が後押しする人種差別をさらに促進した。にもかかわらず、多くの基準で、この国で人種差別が最も激しい都市として中西部と北東部の都市が長期間、上位を占めてきた。
たとえば、米国の主要都市であるデトロイトだ。同名の川が蛇行しているおかげで、カナダの国境のすぐ北に位置するデトロイトは、決まって1位か2位にランクインする。
そして、よく議論になるが、デトロイトは1941年に白人と黒人のコミュニティを分断する壁を建設したことさえある。
■人種を隔離する目的で築かれた「8マイル・ウォール」
“8マイル・ウォール”は、人種を隔離する目的で米国に築かれた物理的障壁のほんの一例である。ロサンゼルスからニューヨーク、ミルウォーキーからアトランタに至るまで、この国の各地にある数々の高速道路(フリーウェイ)は、異なる人種を物理的に分断する目的で、意図的にルートが決められた。
たとえば、シカゴのダン・ライアン・エクスプレスウェイは、白人のブリッジポート地区(シカゴの元市長リチャード・J・デイリーの家がここにあった)と黒人のブロンズヴィルを隔てていた。その他の主要道路は、黒人地区を解体するために使用された。
なかには、出口につながっていない道路も存在する。ウェスト・ボルチモアにあるI-170という使われなくなった道路はその典型だ。
したがって、2020年5月25日にミネソタ州ミネアポリスでジョージ・フロイドという黒人男性が白人の警察官に殺害される事件が起こったあと、人種間の不平等に抗議するデモ活動があちこちのフリーウェイで行われるようになったのは、ある種の象徴的な意味合いがある。
■人種差別から利益を得ようとした住宅開発業者
異なる人種間の仕切りになっているどのフリーウェイも――さらに言えば、“貧しい人の住む側(ザ・ロング・サイド・オブ・ザ・トラックス)”という表現に深い意味を与えているどの線路も――米国社会におけるありふれた境界であると見なすことができる。
しかし、8マイル・ウォールの住宅開発業者(ディベロッパー)は、人種差別から利益を得ようとしていたという点で、とりわけ強欲だった。
1935年、住宅所有者資金貸付会社(HOLC)は、全米250弱の都市における不動産投資の安全性を示す“居住セキュリティマップ”を作成し、黒人の人口が少ない地域は安全な地域とし、多い地域は危険地域として赤い色で表した。
そして、既存の黒人コミュニティと新しい住宅地を隔てるために、デトロイトのエイト・マイル・ワイオミング地区に、高さ1.8メートル、幅0.3メートル、南北に3ブロックの長さのある壁が建てられ、ディベロッパーは融資と抵当保証を正式に認められた。
さらに、都心部の昔から白人が住んでいた地域に黒人が引っ越してくる恐怖を、全米の不動産業者があおり立て、白人家庭は、ニュー・ディール政策の寛大な補助金を活用して、郊外に新築の一戸建て(ガレージを備え、2、3人の子供のためのスペースがあり、白い柵に囲まれているという当時の典型的なマイホーム)を購入するよう政府に奨励された。
■“白人の郊外への移動”で儲けた不動産業者
“白人の郊外への移動(ホワイト・フライト)”が始まると、多くの不動産業者が、都市部にある白人の古い家屋を法外な価格で黒人の買い手に売り、莫大な利益を挙げた。これは、貧困で人口過密の土地を離れたいという黒人の切実な願いと、彼らが利用できる住宅ストックが不足しているという事情を反映していた。
多くの投機家は都心の物件を黒人に賃貸して、高い家賃を請求したが、住民が自宅や近所を維持するのは困難になった。投資もサービスも欠乏して、地域は荒廃するしかなかった。
そうした荒廃ぶりを見た白人は、住民にその責めを負わせ、差別意識をますます強固にした。黒人は“ゲットー”に住めという考え方が、ふたたび主流を占めるようになった。
その一方で、“モーターシティ”(訳注:デトロイトの愛称)にふさわしい郊外は、(裕福な白人の)住民の車の所有を前提に建設され、20世紀の生活の絶対的な価値基準になった。
■人種差別があったことを示す名残となっている
8マイル・ウォールは、デトロイトのこの地域で暮らす白人にとって想像上の安全度を高める効果があり、不動産業者は、この壁があるおかげであちら側に住む黒人からいかに“保護”され、物件価値の低下が避けられるかを吹聴した。
もっと広い見地で言えば、この壁は都市と郊外との新たな差異を補強し、ことに米国という背景においては、希薄とはとうてい言いがたい人種的な意味合いを帯びるようになった。とりわけ1967年にデトロイトを震撼させた大規模な黒人暴動の余波で白人住民の流出が本格化するまで、人種間の対立の象徴であり続けた。
現在、白人と黒人をこのように区別する法規は存在しない。1968年の公正住宅法では、住宅の販売、賃貸、融資における人種、宗教、国籍、性別といった特性に基づく差別を禁止し、レッドライニングを違法とした。建前上、いまでは黒人も自分の好きな場所で暮らすことができる。
8マイル・ウォールが公式の障壁だった時代は過去のものになったが、壁はいまも存在し、南部以外でも米国に人種隔離や人種差別があったことを示す名残となっている。
■「共同体のシンボル」として利用されている
芸術家たちは、アルフォンソ・ウェルズ・メモリアル・プレイグラウンドにある吹きさらしの壁を、この地域の住民(シャボン玉を吹く子供たちや公正な住宅販売を求める人々など)や、アフリカ系アメリカ人の歴史における重要人物(公民権活動家のローザ・パークスなど)の壁画で飾ってきた。
ある事業型NPOは、非正規や失業中の地元住民がこの壁画を紹介するガラス製のコースターを制作して販売するのを支援している。
この壁を登ることは、地元の若者にとって一種の通過儀礼になってきた。
学校は、この壁を教材とする遠足を実施しており、2021年3月には、その重要性によってアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定された。今日、この壁は不調和のシンボルではなく、共同体のシンボルとして利用されている。
これが実質的に分割しているのは、各家庭の裏庭だけである。
■黒人住民の隔離や退去のために建設されたわけではないが…
とはいえ、これはこの地域が人種的に統合されたという意味ではない。地理的、そして特に心理的に根強い分断は、この壁の名前の由来になっている1ブロック北の道路によって非常に明確に表現されている。
ちっぽけな8マイル・ウォールが南北にたった0.8キロメートルしかないのに対して、8マイル・ロード(この公道の正式名称はM-102)は、東西に33キロ以上にわたって走る主要道路である。その名は、モーターシティのホイールの中心(ハブ)とも言うべき広場、キャンパス・マルティウス公園の真北8マイル(約13キロメートル)にあることに由来する。
8マイル・ロードは黒人住民を隔離または退去させる明確な意図を持って建設されたわけでも、方向づけされたわけでもない。むしろ測量士は、ミシガン州の手袋(ミトン)のような形をしたロウアー半島にある南部の郡を区分けする際の基線として、それまで未舗装だったこの道路を利用した。
ところが8マイル・ロードは、黒人が支配的な南部の貧しい都市と、白人が大多数を占める北部の豊かな郊外とを分断する道路と考えられるようになった。
米国のレッドライニングとホワイト・フライトの歴史を踏まえれば、このような境界をつくっているのは8マイル・ロードだけではないが、この道路が最も有名な例であるのはほぼ間違いない。
■衰退都市のシンボルとなっているデトロイト
米国の都市衰退のシンボルであるデトロイト(このことは、デトロイトの空き地、廃ビル、凶悪犯罪、消滅しつつある自動車産業と広く関連づけて語られるが、この町の現状を正確に言い表しているわけではない)は、ミシガン州のなかで最も生活費の高いバーミングハムやブルームフィールド・ヒルズといった裕福な郊外と好対照をなしている。
ここにある手入れの行き届いた家や活気のあるストリップモール(訳注:店が1列に隣接したショッピングセンター)は、デトロイトのウェイン郡の至るところにある老朽化した建物とシャッターが下ろされた商店とは大違いだ。
さらに、北部は南部に比べて保守的な有権者の割合がはるかに高く、世帯の平均所得はかなり多く、貧困率は格段に低い。このように、北部の郊外と南部の都市との格差については経験によって実証できるが、差異に関して一般に流布している印象のほうがいっそう説得力がある。
■「8マイルを越えるな」子供の頃の教え
多くの人にとって、道路は自分を“内部の人(インサイダー)”と感じられる場所と、“部外者(アウトサイダー)”と感じられる場所を区別するものになっている。“場違い(アウト・オブ・プレイス)”であると見なされることへの恐怖は、凶悪犯罪と人種差別がいまだに日常的である国では些細な問題ではない。
デトロイト市民のひとりは次のように言っている。「子供の頃、“8マイルを越えるな”とか“8マイルを車で走るときは注意しろ”とさんざん言われた。そういう“仕切り”は常に存在している……このあたりの住人のほとんどは、8マイルを境界線と考えている」。
別の住民は、郊外居住者は8マイルを「地獄への入り口か何かのように考えている」と皮肉って、こう続けた。「白人はスポーツイベントに行くために決死の覚悟であれを越えて、用がすむと一目散に帰っていく。デトロイトと郊外を隔てる道路にすぎないのに」。
■8マイルの両側の生活を体験したエミネム
この境界を軽々と越えられる数少ない有名人がエミネムだ。たとえば、2002年に公開された『8マイル』という自伝的な映画のなかで、彼が演じるBラビットという白人青年は、クラック(訳注:コカインの粉末に脱臭剤と水を加えて熱してできた白い固形物の麻薬)の密売所、ストリップクラブ、酒屋、質屋、売春婦、トレーラーパーク(訳注:トレーラーハウスの駐車場)、みすぼらしいモーテルなどと縁が深い、この耐えがたい場所から逃げ出そうとする。
ラップと自分の荒れた子供時代(彼は8マイルの両側の生活を体験していた)によって、エミネムはこの道路と周辺地域の代弁者(マウスピース)になり、住民の不安と苦悩を明確に表現した。
彼は、都市生活と都市問題を強烈に描いた作品によって、ラップを見下してきた郊外の白人地域にもこのジャンルを普及させ、白人と黒人の根深い分断という米国社会の硬直性に異議を唱える特異な存在だ。
8マイルは、ほかの場所が排除したがる“悪徳(ヴァイス)”を受け入れる、この世の果てのように思えるかもしれない。しかし、“希望(ヴォイス)”がないわけではないのだ。
■8マイルは単なる道路をはるかに超えた存在
それでも、8マイルの悪評は依然として希望を上まわっている。その悪評を意識して、郊外居住者のなかには、8マイルを避け、わざわざフリーウェイを大まわりしてデトロイトへ通勤している人が多い。
ある人は次のように言った。「できるだけあの道は避けるようにしている……ストリップクラブや酒屋が立ち並ぶあの通りはね」。車でここを通過する人も、スピードを上げて数多いホームレスの目の前を走り抜ける。
長いあいだデトロイトが自動車をつくってきたように、自動車がデトロイトをつくった。だがその自動車によって、大都市圏の人々の多くは、この都市とのかかわり方を選り好みできるようになった。
8マイルは現在、好ましい目的地ではなく、社会的流動性と失望との境界、すなわち遠くに行けることと、どこにも行けないことの境界を思い出させて人を不快な気分にさせる存在になっている。
8マイルはまさに、単なる一地方の社会のあり方を超越した概念的な力を備えた境界と言える。それは、ほとんどあらゆる面で二極化した国の象徴であり、“アメリカン・ドリーム”の実現を熱望する人々と、それを馬鹿げた夢物語だと考える人々との分断を示し、私たちの先入観や特権に疑問を投げかけ、現実以上に主張がひとつに統一されているいまの社会において、まったく異なる生活機会があることに気づかせようとする。
それに、都市政策、都市計画、都市論によってどこにでも物理的な分断と精神的な分断が生じ得ることの理由を教えてくれる。つまり8マイルは、単なる道路をはるかに超えた存在なのだ。
----------
マキシム・サムソンシカゴ・デポール大学地理学講師
イギリス信仰学校の入学方針、インドネシアの津波への対応、1933〜34年のシカゴ万国博覧会など、さまざまなテーマの学術論文を発表。「宗教と信仰体系の地理学」(GORABS)研究グループの議長。近年、『ユダヤ教育ジャーナル』の副編集長に就任。
----------
(シカゴ・デポール大学地理学講師 マキシム・サムソン)