小島慶子「原爆は広島に落ちた。名前のある人の人生に落ちた。」
8月6日(火)の大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)では、広島に原爆が落とされ6日で79年となるが、13歳で被曝した男性が当時の記憶をこの春から語り始めたという朝日新聞の記事を紹介した。
番組で紹介した朝日新聞の事によれば、才木幹夫さん(92歳)は13歳のときに被曝し、当時の記憶を胸にしまったまま、戦後はつらい記憶を封印し、どこかで生き残った負い目を感じており、そして漠然と「(被曝の記憶を)語り伝えなければ」と思いながらもなかなか踏み切れなかった。また、才木さんは過去に原爆ドームの保存が議論されていたころに「あんなものは崩れたらいい」と思っていたという。「頭では、後世に残すべきだと分かるのだが。被爆の記憶についても、似たところがあった」と語った。
ただ、2022年に妹の山瀬潤子さんが被爆体験の証言を始め、さらに22年にロシアがウクライナに侵攻し、そのニュース映像に衝撃を受けたことなどから「今こそ、(証言活動を)始めなければ」と考え、広島市の研修を経てこの4月から証言活動を始めたという。
フリーライターの武田砂鉄氏は、80年近く経つと原爆や戦争を体験した人が少なってくるが、去年は関東大震災から100年が経った年だった。関東大震災を経験した人がほとんどいなくなってしまったときに、歴史を豪快に曲げてしまう動き、例えば朝鮮人虐殺の話だが、あったことをなかったことにするという流れが出てきてしまった。戦争についても、今後20年経って経験した人がいなくなったときに、あったことをなかったことに、なかったことをあったことにという動きが出てくるかも知れない。92歳の才木さんは今年から戦争体験を語り始めたということであるが、あったことをなかったことにするという切替えの動きが出てきたときに、この体験の語りは(今後)非常に貴重な声になってくるので、どのように伝え残すのかが大切であると述べた。
番組パートナーの小島慶子は、広島に原爆が落ちたことは教科書で習って(みんな)勿論知っているが、原爆は一人一人名前のある人の人生に落ちた。広島市の発表資料によれば、原爆が投下された年の末までに14万人が亡くなったとされているが、その14万という数字になってしまった人たちには全員名前があり、そして続いていくはずだった日常があった。「その人の日常」に原爆が落ちた。今の原爆資料館は「個の視点」に焦点をあてていて、戦争体験のない人、身内に戦争を知っている人が既にいなくなった人でも、(戦争や原爆を)自分の身に引き付けてみることができる展示になっている。戦争(や被爆)体験のない人たちが「名前のある自分の人生にある日原爆が落ちてくる」という視点を持つためには、戦争(被爆)体験をどのように伝えていくかはとても大切である。だからこそ、才木さんが92歳で、一人称で、「私にとっての原爆」を語られたことには非常に意味がある、と話した。