テレビだけに限りませんが、情報の刷り込みには注意したいものです(写真:GARAGE38 / PIXTA)

50代前後はだれもがメンタルの不調を覚えやすい時期。まさか自分が、と思っていた人でも「うつ病」になってしまう可能性はあります。そのような時期をどう過ごせばいいのか。精神科医・和田秀樹氏の著書『50代うつよけレッスン』から一部を抜粋し、ヒントを探っています。本記事ではテレビの視聴方法について取り上げます。

ワイドショーは脳の「老化促進マシーン」

「うつになりやすい思考」に陥らないように、普段から自分の言動を振り返るくせをつけたほうがいいのですが、テレビの視聴にもちょっとした注意が必要です。

一部には良質なドラマや教養番組もありますが、少なくともワイドショーは視聴者の不適応思考を助長し、不安を強くします。

ワイドショーでは事件や出来事をセンセーショナルに取り上げることが多くなりますし、意見を述べるコメンテーターたちの持ち時間は限られているため、議論が深められることはなく、単純で一方的な発言ばかりになりがちです。

たとえば、高齢ドライバーがアクセルとブレーキを踏み間違えて暴走事故を起こしたようなとき、ワイドショーでは一斉に「高齢者は免許を返納すべきだ」と責める論調になりますが、実際には高齢者の起こす事故がもっとも多いというのは間違いです。

たとえば、警察庁の「令和4年中の交通事故の発生状況」で免許保有者10万人当たりの交通事故件数を年齢別に見てみると、一番多いのは16〜19歳の年齢層で1039件、次いで20〜24歳が597件です。

一方、高齢者を見ると75〜79歳で372件、80〜84歳で423件、85歳以上で498件です。30〜60代よりは増加しますが、もっとも事故を起こしているのは10〜20代前半なのです。実際、10〜20代前半の自動車保険料は他の年代の数倍も高くなっています。

しかも、高齢者の免許人口はこの10年間で約2倍に増えていますが、同時期に高齢の運転者が起こした死亡事故の件数はほぼ横ばいですから、高齢者による死亡事故は増えていないと言えます。

私は一件しか知りませんが、90歳を超えた高齢者が暴走して死亡事故を起こしたりすると、インパクトが強いだけにセンセーショナルに報道されて視聴者の記憶に残りやすくなり、何となく高齢になるほど事故が多いように感じるかもしれませんが、実際にはそうではないということです。

こうした事件は、過度の一般化(たった一つのことで、すべてを決めつける)や、レッテル貼り(特定の人をこんな人だと決めつける)、選択的抽出(ある一点だけにフォーカスする)、二分割思考(正しいか、正しくないかと二極化する)などによって、テレビ局の決めつけに沿って切り取るよう編集され、視聴者は無意識のうちにその内容が脳に刷り込まれてしまうのです。

不倫バッシングも同じ

近年の不倫バッシングもそうです。有名人の不倫が発覚した途端、当事者同士の個別の問題ではなくなり、人間性や人格までをも問うような大問題になってしまいます。

たとえば、それまでは俳優として評価されていたような人も、その長所はなかったことにされて、短所しか取り上げられなくなります。なかには「人間のクズ」と言わんばかりの扱いになる人もいますよね。

このように、テレビはちょっとでも悪いことをした人をまるごと人格否定して、「いい人/悪い人」の二元論的な価値観を視聴者に押し付けます。それこそボーッとテレビを見続けていたら、そうした押し付けによって思考力が低下し、前頭葉を劣化させて心身の老化を進行させてしまうのです。

特に、ワイドショーを見てコメンテーターたちの言うことに「そうだそうだ!」なんて言っている人は、うつになりやすい思考パターンを持っていると言えます。

その意味では、テレビは脳の老化を速める「老化促進マシーン」であると言っても過言ではないのです。

そこで、もしもワイドショーを見るのなら、コメンテーターの一人になったつもりで、叩かれている側を擁護してみるとか、他のコメンテーターに反論してみるのが、メンタル的にも脳科学的にもお勧めの「テレビの見方」です。

反論するためには相手の言うことをそのまま鵜吞みにせず、「この人たちはこう言っているけれども、それは本当だろうか?」と疑う力が必要になります。「どの部分がおかしいと思うのか」と考え、「実際はどうなのか」と調べてみる。こうした作業が前頭葉を活性化させるのです。

また、どんな罪を犯した人でも、そこに至った理由があるはずです。

もちろん犯罪そのものは許されるものではありませんが、その背景には成育環境の影響もあるかもしれませんし、複雑な事情があるのかもしれません。

しかし、「こいつだけは許せない」「こんな悪人は人間ではない」という硬直した見方を続けていると、それ以上は思考停止して何も考えられなくなってしまいます。

一見わかりやすいレッテルや決めつけ、また脳にとってラクな考え方に流されるのではなく、常に意識して疑い、考えを巡らせ、問いかけてみる。

それこそが自分自身の老化の進行を食い止め、うつ的な思考に陥るのを防いでくれるのです。

「当たり前」を疑ってみる

テレビの刷り込みを信じたい人に見てとれるのは、「皆と同じ意見だと安心する」「一人だけ違う意見を持つのは不安」という同調意識です。

それは「常識」と言われるものを重んじて、異端を許さないという同調圧力にもつながります。

しかし本来、人間というのは全員が同じ意見を持つことなどあり得ません。それなのに「皆と意見を揃えるべきだ」などと考えているとストレスは溜まっていくばかりです。あまりに強い同調圧力が常に存在している状態はストレスのもとになり、うつ病などの精神疾患にもつながりかねません。

ですから、うつにならないためには、その社会で「常識」とか「当たり前」とされるものを疑ってみることも大事です。

たとえば、いじめによる生徒の自殺が起きたとき、ワイドショーではその学校の体制や体質を糾弾しますが、そこを責めても「正義の味方」気分を味わえるだけで、何の解決にもつながりません。

それよりも、「そんな学校からは逃げたほうがいい」「どんどん人に泣きついていい」「我慢なんてしてはいけない」ということを伝えたほうがいいのです。

「逃げる」は大事な生存戦略

これは学校だけでなく、企業でも同じです。

職場が辛いなら、我慢をしないで逃げればいい。日本人には子どもの頃から「逃げるのは良くないこと」といった概念が刷り込まれているように思いますが、辛いときに逃げるのは、「常識」以前に、人間として基本的な防衛本能であり、大事な生存戦略です。


戦でも勝ち目がないなら退却すべきで、むやみに突っ込んでいくとか、ひたすら耐え忍ぶのは愚策としか言いようがありません。職場でもじっと我慢していたら、うつ病になって心身を疲弊させてしまいます。「逃げるのは人として卑怯だ」なんて言っていたら自らが壊滅するだけです。

いじめ加害者やパワハラ上司、問題を見過ごす会社の体質は、そんなに簡単には変えられません。環境が劣悪なときには、環境から逃げることです。逃げることは卑怯でも何でもなく、自分自身の身を守ることにつながるのです。

(和田 秀樹 : 精神科医)