「0対100の9回からでも逆転できる」 五輪から外れた今、大真面目に語る「野球が人を育てること」――野球・G.G.佐藤
「シン・オリンピックのミカタ」#61 連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」第5回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
今回は連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」。現役アスリートやOB・OG、指導者、学者などが登場し、少子化が進む中で求められるスポーツ普及を考え、それぞれ打ち込んできた競技が教育や人格形成にもたらすものを語る。第5回はプロ野球・西武などで活躍し、2008年北京五輪に出場したG.G.佐藤氏。お調子者のイメージが強い45歳が、真面目に野球の魅力を語った。(取材・文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)
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野球は人の何を育むのか。直球質問にG.G.佐藤が答えた。
「諦めない心です。これは野球の特性なんですよ」
こう説く理由に、時間に縛られない面を挙げる。
ピッチクロックの導入など試合時間の短縮こそ図られているが、コールドを除けばどんなに点差が離れても27のアウトを取るまで終わらないのが野球。サッカー、バスケットボールなど多くのメジャー競技とは一線を画す部分だ。
「0対100の9回から逆転できる可能性、あるわけです。ゼロじゃないんです。野球人が諦めない心を持っているのは、どこかで逆転できるかもって思っているから。ゲームセットまで分からない、特殊なスポーツだと思います」
G.G.佐藤の野球人生も、諦めない心が切り開いてきた。法大では4年間補欠。父には「お前は絶対プロになれるから諦めるな」と言われ続け、もがいた先で光を見つけた。
1998年、MLBで繰り広げられたマーク・マグワイアとサミー・ソーサの本塁打王争いを見て「これだ」と確信。ボディビル雑誌を参考に、筋力トレーニングを徹底した。当時、激しい筋トレを疑問視する声は多く、実際に「お前はなれない、無理だ」と指導者にも否定的な見方をされた。
「関係ない。自分の人生だ」。1年で30キロ体重を増やし、これが功を奏する。フィリーズ入団テストで強靭な肉体が目をひき合格。マイナーで3年間経験を積み、西武入団につなげた。
「(野球は)やればできるって心が育つと思うんですよね。僕はずっと言われていたから。だから、ポジティブな声掛けを子どもたちにはめちゃくちゃしてあげたいっすね。欠けているものは何もないんだって」
「グラウンドで『馬鹿野郎』と言っているコーチはいます」
長所を活かし、短所を補い合えるのも野球の魅力。少年野球指導では、ここを強調するという。
「例えばテストで95点取っても、足りない5点を言う人っているじゃないですか。それは違う気がしていて。仮に得点が5点でも、当たったその5点って長所じゃないですか? そこを極めればいいと思っています。
『欠けているところはどうするの?』と言われたら、人の力を借りなさいって言っています。野球っぽいですよね。ホームランバッターがいれば、出塁するバッターもいる。そんなところ(短所)補わなくていいよって」
週に3度、小学生との触れ合いで目の当たりにしているのは、想像以上の「野球離れ」だ。
野球をしている子どもが1学年1〜2人なのも珍しくない。キャッチボールも、自分が子どものころに比べて満足にできない子どもが増えた。
「やっぱり、情報が多いからじゃないですか。いろんなスポーツに触れられるし、すぐできる時代だから野球に限らない。他の競技は頑張ってますよ。野球は胡坐かいちゃダメ」
ドジャース・大谷翔平が海の向こうで大活躍。昨年はWBC優勝の歓喜もあった。プラスの要素も多いが、学生に対する指導面、環境面にはまだまだ改革が必要だと力説する。
「野球は難しいので、やっぱり個人差が出ちゃうんですよね。低学年が試合をやっても試合にならないから、学年でルールを変えるとか、野球離れが進まない取り組みが必要だと思います。髪の毛が伸ばせるチームが出たり、だいぶ良くなったと思いますけどね。でも、たまにグラウンド横を走ったら『馬鹿野郎』とか言っているコーチはいますよ。『お前、できねえだろ……』と思いますけどね」
願う五輪復活「バッハ会長に媚び売るしかない」
WBCが日本の子どもたちの心を震わせたように、五輪も野球の魅力を伝えられる大舞台だ。現実は正式種目から入ったり、外れたり。復活した東京五輪で日本は金メダルを獲得したが、パリ五輪では実施されない。
五輪でバッシングを浴びたG.G.佐藤も「寂しいですよ」と漏らす。「日本国民は特に望んでいると思うので。ヨーロッパでは人気ないのかな」。競技ができるならサッカーのように年齢制限を設けたり、アマチュア限定の出場にしたりもアリだと考える。
「もしそれで世界的に認めてくれるのであれば。どうやったらやらせてもらえますかって(IOCの)バッハ会長に媚び売るしかないですよ(笑)。4年に一度の金メダルかけた大会、見たいですけどね……」
野球少年、少女が目指せる舞台は多いに越したことはない。「自分の可能性を信じ続けて、諦めずにやったらきっといいことがある」。真面目に野球を語ったG.G.佐藤の目は、優しかった。
■G.G.佐藤 / G.G.Sato
1978年8月9日生まれ、千葉・市川市出身。本名は佐藤隆彦。中学時代、野村沙知代氏がオーナーだった「港東ムース」でプレー。野村克也氏とも出会う。桐蔭学園高から法大に進学。卒業後はMLBフィリーズ傘下で3年間プレーした。2003年ドラフト7位で西武入団。07年にレギュラーの座を掴む。08年北京五輪に出場するも、3失策で厳しいバッシングを浴びる。12年にはイタリアに渡ってプレー。ロッテを経て14年限りで引退。父が経営する測量会社「トラバース」に入社した。営業所長、副社長などを経験し、昨年独立。現役時代の公表は184センチ、98キロ。右投右打。
(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)