中村鷹之資に聞く、新作歌舞伎で痛感した古典の大切さ『第九回 翔之會』まもなく開催、秋には自身初の現代劇も!
中村鷹之資(たかのすけ)の勉強会『第九回 翔之會(しょうのかい)』が、2024年8月12日(月)に東京・国立能楽堂で開催される。8月24日(土)、25日(日)には新作歌舞伎『流白浪燦星(ルパン三世)』のBlu-ray、DVD発売を記念した和楽器コンサート&トークショーが開催され、鷹之資も24日(土)のトークショーに登壇する。活躍の場を広げる鷹之資に、勉強会や話題となった新作歌舞伎、そして自身初の現代劇となる舞台『有頂天家族』について話を聞いた。
『第九回 翔之會』
■野村裕基との『二人三番叟』
ーー『第九回翔之會』の開催おめでとうございます。野村裕基さんとの『二人三番叟(ふたりさんばそう)』で幕を開け、長須与佳さんの琵琶弾き語り、そして『棒しばり』が上演されます。
中村鷹之資(以下、同じ):今年の会場は国立能楽堂ということで、能狂言にちなんだ作品を選ばせていただきました。
ーー『二人三番叟』のきっかけは、2024年1月に石川県立音楽堂で開催された野村萬斎さんのプロデュース公演『萬斎の新春玉手箱』だそうですね。
萬斎先生にお声がけいただき、裕基さんと『二人三番叟』を踊らせていただきました。仕舞を習っている片山九郎右衛門先生のご紹介で、以前から食事などをさせていただく仲でしたが共演はあの時が初めてでした。狂言と歌舞伎でジャンルは異なりますが、1999年生まれの同い年で伝統芸能という世界で芸の道を志す者同士、いつか一緒にと話していたんです。
中村鷹之資
ーー萬斎さんや裕基さんとの舞台で感じたことはありますか。
1月の公演のアフタートークでも感じたことですが、お能やお狂言の方々は「空間を掌握する」ことをとても大切にされているのですね。九郎右衛門先生も「マグマが湧き上がってくるように」「エネルギーをいっぱいに受け止めて」と教えてくださることがありました。歌舞伎では、大きな衣裳や書き割りに助けられる部分があります。しかしお能やお狂言はそれらが極限まで削ぎ落とされているので、自分の力で情景を浮かび上がらせないといけません。だから、より意識的になるのかなと感じました。
これは、もちろん歌舞伎役者にとっても大事なことですよね。たとえば父(五世中村富十郎)も小柄でしたが、舞台に立つと大きく見える人でした。片岡仁左衛門のおじさまと坂東玉三郎のおじさまの『お祭り』も、おふたりが舞台に出るだけで空気がガラッと変わり、お客様が引き込まれます。名優と呼ばれる方々は、きっとそういう力をお持ちだったんじゃないでしょうか。
ーー富十郎さんも多くの方に愛された名優ですが、「空間」の捉え方についてお話されていましたか?
言葉は違いますが「自然」の捉え方に、通じるところはあるかもしれません。三番叟は「朝日がバーっと射すように」と話していました。邦楽囃子方の堅田喜三久先生は、下関の関門海峡で潮が物凄い勢いで渦を巻いているのをみて「『船弁慶』の知盛はお化けだからといって弱々しく太鼓を打つことはしない。ここから浮かび上がってくる平家の侍大将の霊が弱々しいはずがない。なので私は太鼓の革がはち切れるくらい打つ」とおっしゃっていました。また、藤舎名生先生は「笛は山の中で吹け」と教えられ、山で鳥のさえずりと一緒に吹いていた、とお話されていました。尊敬する方々には、自然への意識から生まれる芸の自由さやスケールがあるような気がします。僕も最終的にはそのような芸に憧れます。
中村鷹之資
ーー富十郎さんが鷹之資さんに仕舞を習わせたのも、それを目指してのことでしょうか。
そこには父なりの考えがあったのだろうと思いますが、父自身もお能の先生に習っていたんですよね。はじめはひたすら、すり足で真っすぐ歩く稽古だけをやったそうです。僕も小さい頃は、幽雪先生に「1日30分、家のフローリングでいいからまっすぐ歩く稽古を」と言われました。
ーー実践されましたか?
しました!
ーー30分間、どんなことを考えて?
頭の中は、無……です(笑)。ひたすら「一本の線の上をまっすぐ歩く」を当たり前にできるように。今でも踊りの稽古で思い出したりします。
■尾上松緑に教わり、尾上左近と勤める『棒しばり』
ーー『棒しばり』も狂言をもとにした演目ですね。尾上松緑さんのご指導で、松緑さんのご長男・尾上左近さんの太郎冠者、そして中村錦之助さんの曽根松兵衛で、鷹之資さんが棒に縛られながらもお酒を飲もうとする次郎冠者を勤めます。左近さんの太郎冠者と作り上げる空気が、見どころの一つになりそうです。
左近さんは芸に対して真面目な方です。僕と似ていると感じるところもあります。これから先、たくさんの舞台を長くご一緒したいと感じる役者さんです。
今回の『棒しばり』では、尾上辰之助さん(松緑の父、左近の祖父)の次郎冠者を目指しているんです。映像でも写真でも、辰之助さんって本当に格好良いですよね。『棒しばり』の後半、ぐっと締まるところでは情景が浮かび匂いがしてくるようでした。左近さんには、ふとした瞬間に辰之助さんの面影を感じます。
松緑のおにいさんには昨年より『矢の根』や『車引』の梅王丸なども教えていただきました。公私ともに大変お世話になっています。おにいさんに教えていただく『棒しばり』を左近さんと一緒にやらせていただけるのは、とてもうれしいですし楽しみです。
ーー松緑さんのお家とのご縁は、今にはじまったことではないのですよね。
うちの父も、二代目松緑のおじさま(松緑の祖父)に大変お世話になりました。父はもともと関西にいたのですが、六代目(尾上菊五郎)に憧れて歌舞伎役者を続けたような人で、「どうしても菊五郎劇団で歌舞伎をしたい」と東京へ。そして二代目松緑さんの薫陶を受けました。二代目松緑のおじさまといえば、六代目の薫陶を受けた方。父は「松緑のにいさんの向こうに六代目が見える」と言っていました。それだけ正確に六代目の芸を受け継がれていた、ということですよね。そして今の松緑のおにいさんもそうですが、教え方が丁寧で分かりやすかったそうです。
『棒しばり』は、歌舞伎としては六代目と先々代の(七世坂東)三津五郎という踊りの神様と言われるおふたりが初演した演目です。自分の首をしめるような話ですが、踊りができる方が“棒に縛られてても上手い”をお楽しみいただくものなんですよね。しっかり稽古をしてのぞみたいです。
■新作歌舞伎で痛感、古典歌舞伎の大切さ
ーー今回の『翔之會』では、新作歌舞伎『刀剣乱舞』の大薩摩で注目された長須与佳さんの琵琶の弾き語りもあります。『刀剣乱舞』の同田貫正国と松永久直の二役はいかがでしたか。
松永久直役では切腹の役の経験もないのに蔭腹なんてと頭を抱え、同田貫役ではたぬたぬファンの皆さんに受け入れていただけるだろうかと開幕まで不安もありました。結果的に初日から注目いただけて、長く歌舞伎をご覧の方にも新しい歌舞伎ファンの方にも、あらためて鷹之資という役者がいると認識いただけるきっかけになった舞台になったと思います。
中村鷹之資
ーー2023年は、2月の歌舞伎座で富十郎さんの13回忌追善で踊られた『船弁慶』も大変な評判でした。『刀剣乱舞』でのご経験は何が大きく違ったのでしょうか。
僕の中では、本格的なお芝居でお役をいただけたことが大きかったんです。
尾上松也のおにいさんが、松永久直という義太夫の糸にのって台詞を言う役を僕に任せてくださり、中村梅玉のおじさまが胸を借してくださいました。ありがたかったのと同時に力不足を痛感しました。それまで踊りと比べ、義太夫狂言や世話物のようなお芝居の機会が少なかったんです。もちろん踊りは好きです。父は踊りも上手い人でしたから、しっかり自分の武器にしていきたいです。
ーー『マハーバーラタ戦記』や『流白浪燦星』はいかがでしたか?
『マハーバーラタ戦記』は、演出の宮城聰さんの普段の歌舞伎とは違う芝居の作り方が新鮮でした。感情の流れを意識した台詞のイントネーションなど、役を気持ちをゼロから細かく作っていくんですね。『流白浪燦星』では、永須登美衛門というオリジナルのキャラクターで、『義経千本桜』の小金吾のような立廻りもさせていただきました。
型のある役は型通りにやることで、ある意味スタートラインに立つことができます。新作歌舞伎では、作者の意図を汲み役を具現化していかなくてはいけない。その上で、それを歌舞伎の登場人物としてお見せしないといけません。新作歌舞伎を経験させていただいたことで、一層古典歌舞伎の大切さが身にしみました。
ーー9月は新国立劇場で、坂東彦三郎さんが団七九郎兵衛を勤める『夏祭浪花鑑』に、下剃三吉役で出演されます。
世話物も大好きです。世話物は芯の役者はもちろん、周りの役者の息もそろわないといけません。息の合った座組でしか出せない空気があると思っています。
■ふたたびタヌキに! 主演舞台『有頂天家族』
ーー今年11月は、新橋演舞場、京都南座で森見登美彦さんの同名小説を原作とした舞台『有頂天家族』に出演されます。
このような機会をいただき、とてもありがたく思います。歌舞伎以外の舞台は初めてで、歌舞伎にはない匂いを持った役者さんと一緒に舞台に立つことも初めてです。右左どころか前も後ろも分からなすぎて不安もないくらい(笑)。
松也のおにいさんには「最初はきっと手も足も出ないと思うけれど、それがいい経験になるから。すべてをさらけ出して体当たりで」と背中を押していただきました。Wキャストの濱田達臣さんをはじめ、共演の皆さんから多くを学ばせていただき、新しい扉を開けられたらと思っています。
舞台『有頂天家族』
ーー主人公の下鴨矢三郎は、人間の姿に化けて京都で暮らすタヌキの一家の三男です。
同田貫(どうだぬき)に続いてまたタヌキ!? と驚きました(笑)。京都は、僕にとって馴染みのある場所です。父は幼少期は京都にいましたし、お墓は京都の大徳寺にあります。作中には京都南座が出てきたり、那須与一になぞらえた場面もあり、原作の小説は古風な言い回しも。下鴨一家が住むのは下賀茂神社の糺の森(ただすのもり)って、『船弁慶』の歌詞にも「糺の森に秋立ちて」と登場するんです。歌舞伎に通じるものを感じます。
今『棒しばり』に取り組んでいることもあってか、矢三郎と次郎冠者に似たところを感じています。矢三郎って、真面目に家族のために奔走しているけれど、楽観的で傍からみたらふざけているようにも見えるんです。困難な状況も楽しんでいる。その憎めない愛らしさが次郎冠者と通じます。そして「面白きことは良きことかな」という名セリフ。こういう人好きだな、と思える役に出会えたことに巡り合わせを感じます。
■富十郎の明るさ、鷹之資の真っすぐさ
ーー今、鷹之資さんの後援会は、お父様の頃からの御贔屓の方と新しいファンの方の割合が半々くらいだそうですね。
昨年、新しい方の割合が一気に増えました。
ーーご自分の中の富十郎さんのあり方に変化はありますか?
父は本興行に加え「矢車会(自主公演)」も続けていました。僕が多くの演目に触れるようになるにつれ「これも、これもやっていたんだ」と父の芸域の広さを再認識します。同時に、演じ方の違いにも気がつくようになりました。年代によりやり方は変わりますし、父は踊りを流派を超えて踊りを習っていたために、たとえば二代目松緑のおじさまの藤間流、宗家藤間流をはじめ、色々なやり方がミックスされたオリジナルになっていたりするものもあるんです(笑)。父は、生前僕に「自分のようにならなくてもいい。憧れる人を見つけて目標にしてほしい」と言っておりました。『棒しばり』で辰之助さんを目指そうと思ったのも、その影響かなと思います。もちろん父の芸が大好きですし、目標であることは変わりません。
ーー最後まで、明るく情熱的な方だったそうですね。
最後に入院した時でさえ、看護師さんに熱があると言われ「これは情熱です!」って答えた人ですから(笑)。でも父は、決して順風満帆な人生ではありませんでした。若い頃から役者としても家庭でも苦労があったそうです。だから最近思うんです。子どもの頃からあの性格だったわけではなく、たくさんの辛い経験が苦労を笑い飛ばす性格にしたのかもしれないって。僕に対し「苦労しているね」と言ってくださる方もいますが、父を知る方からは「そんなものではなかったよ」と聞いています。
中村鷹之資
もちろん父がいてくれたら、と悔しく思うことはいくらでもありますが、親子で70歳近く年齢が離れている特殊な例でもあり、お客様が僕と父を重ねてご覧になっても、比較されるプレッシャーはありません。本格的に歌舞伎を教わる前に亡くなってしまいましたから、師弟の厳しさを知らないまま、大好きなまま見送ることができたとも思っています。
ーー鷹之資さんのご活躍、さらに妹の愛子さんも9月に日本舞踊家としての芳澤壱ろは(いろは)襲名を控え、富十郎さんも喜んでおられるでしょうね。
そう思います。ただ、今も僕が舞台に立てているのは母のおかげです。父が歌舞伎界のトップにいる晩年しか知らないまま父が亡くなり、母は役者の世界で分からないことだらけだったはずです。それでも父の教えを頑なに守り、強い心で矢面に立ち僕と妹を守ってくれました。僕が言うのもなんですが、あの母でなければ僕らはこんなに素直に真っすぐ育っていなかったでしょう。もう少し捻くれた方が生きやすいのかな? と思うくらい真っすぐに(笑)。母が守ってくれた父の教えを僕も強い心で受け継ぎ、そして自分なりのものも見つけていけたらと思っています。
中村鷹之資
取材・文・撮影(中村鷹之資)=塚田史香