秋田内陸線にある無人駅で“爆売れ”のがっこが作られているという(写真:Anique)

「このちょっとぴりっとするのはなんの味だべ?」

「これは唐辛子をさっと(少し)入れて作ってまして」

「お茶っこに合うな、おいしくて(笑)」

無人駅だった駅舎に、色とりどりに並ぶ漬物。これは漬物のことを「がっこ」と呼び、県民の暮らしに深く根づいている秋田県大阿仁(おおあに)地区で催されている「がっこ市」の様子だ。

自家用の漬物があるのに地元の人たちは他人の作り方を知りたくて、がっこ市にやってくる。この地区ならではのニーズである。

3年前まで、こんな風景が見られるとは思ってもいなかった――。

漬物業界を襲った衝撃

2021年6月1日、漬物業界に震撼が走った。改正食品衛生法がついに施行されたのだ。今後は、漬物の製造販売が「届け出制」から「営業許可制」になる。

そして今年5月31日、3年間の経過措置期間が終了、6月1日から完全施行された。

営業許可を得るためには自宅と作業場を分離させ、野菜などの素材用と手洗い用の専用シンク、ひじで操作可能なレバー式や手を触れない自動センサー式の蛇口の設置など、厳しい衛生基準を満たさなければいけない。

自宅で手作りの漬物を製造、販売する小規模な生産者にとって、こうした設備改修の費用負担は大きく、漬物製造を断念する生産者も少なくない。

そうした中、漬物王国として名高い秋田県では、今年の3月末までに334施設が漬物製造販売の営業許可を取得。自前の施設や共同加工所を建設して生産を続けている。


今年2月に開催されたがっこ市の様子。販売するがっこはすべて試食品ありだ(写真:Anique)

【画像】寂しかった駅舎が手作りリノベーションで「“爆売れ”がっこ」の加工所に大変身!【ビフォー・アフターを見る】(19枚)

その334ある施設の1つが、秋田県北部の真ん中、四方を里山に囲まれたマタギ発祥の地、大阿仁地区にある。

その名も「阿仁比立内がっこステーション」。地域のにぎわい創出に取り組み、2015年から年1回(2月)でがっこ市を開催する一般社団法人大阿仁ワーキングが運営する。

2023年11月1日に共同加工所をオープンさせ、今年2月、記念すべき10回目のがっこ市は午前中で完売する大盛況ぶりだった。出品者の主婦たちが自ら販売を行い、売り上げの10%を大阿仁ワーキングがいただく独立採算制だ。

この共同加工所がある場所は、その名に冠したとおり、秋田内陸線の無人駅・比立内(ひたちない)駅の中。さらに加工所以外に地域の交流スペースやコワーキングスペースも作り、地域交流の場としても活用されている。


がっこステーションが入る比立内駅の入り口(写真:秋田内陸縦貫鉄道)

「お母さん」たちの進撃

今から3年前に改正食品衛生法が施行されたとき、大阿仁ワーキングは頭を抱えてしまった。2015年から1年に1回、豪雪の2月に開催している「がっこ市」が存続の危機に瀕したからである。

自家製の漬物を出品するがっこ市メンバーの“お母さん”たち――大阿仁ワーキングでは尊敬と親しみをこめてこう呼ぶーーも意気消沈。70〜80代を中心にがっこ作り歴半世紀以上の大ベテランのお母さんたちは、口々につぶやいた。

「もう売られねば、がっこ市に出すのもやめねばなあ」

「んだな。年も年だし……」

少子高齢化が加速化し、若い世代の流出がとまらない大阿仁地区。人口は約800人。この20年でほぼ半分に減った。特別豪雪地帯に指定され、積雪3mにもなる。

10年前、長い冬場の一番寒い2月に『道の駅あに』で初めてがっこ市が開催された。大阿仁ワーキング事務局長の寺川重俊(70歳)さんは、お母さんたちが出品したがっこに驚いた。

「大根のビール漬けにしても、お母さんたちの味はすべて微妙に味が違うんです。そしてお客さんもまた自分好みの微妙な味を買い求めにきて、ちゃんとお目当てのものに出会っているんですね」


“お母さん”たちが作るがっこ(写真:Anique)

回数を重ねるごとにがっこ市は賑わいを増し、多いときは1000点以上のがっこが並ぶまでになった。法改正のために伝統の漬物文化やがっこ市の賑わいを絶やすのはもったいない。そこで共同加工所を作ることを決意した。

大阿仁ワーキングとお母さんたちは腹を決めた。改正食品衛生法の経過措置期間は3年間。場所探しと資金繰りが同時スタートした。

空き家を改修、公共施設を借りるなど試行錯誤の中、秋田内陸線にある無人駅・比立内駅の駅舎が空いていることがわかった。

駅舎はホームに出るために通過するだけ。運賃精算は車内のため券売機もない。かつてのテナントスペースは十分な広さがあり、国道沿いというロケーションも申し分ない。

「ここを借りよう!」。内陸線を運営する秋田内陸縦貫鉄道株式会社社長の吉田裕幸氏(61歳)に交渉に行くと、すぐに話が決まった。

「一も二もなく大賛成でした。内陸線は駅を地域の交流拠点にする取り組みを進めています。無人駅が伝統の食文化である漬物作りの拠点になって、地域の人たちが集う場ができる。非常にありがたかった」(吉田社長)


比立内駅の全景。四方を里山に囲まれ、のどかな風景が広がる(写真:秋田内陸縦貫鉄道)

資金100万円余りが足りない…

2021年9月。無人駅の活用が決まった頃、当時、北秋田市の地域おこし協力隊だった斎藤美奈子さん(36歳。現・大阿仁ワーキング理事、合同会社アニーク代表)が参画。夢はさらに大きくなる。


斎藤美奈子さん(写真右)と“お母さん”たち。左から、がっこ作りの名人・松橋コト子さんと松橋幾子さん(写真:Anique)

加工所だけではもったいない。広さを活かして地域の交流スペース兼コワーキングスペースも作り、先行してオープンさせることが決まった。

「地域の人たちに親しまれて、必要な場所にならなければ新しい交流は生まれません。そのためにがっこステーションを浸透、PRする時間が必要だと思いました」(斎藤さん)

駅舎の改修は斎藤さんが受け持ち、地域おこし協力隊の活動費などから灯油代やペンキ代を捻出して、友人や地域おこし協力隊の仲間たちと一緒に自力で行った。その間、がっこ市メンバーのお母さんたちはせっせと自宅の作業場でがっこ作りに邁進する。


リノベーション前の駅舎の中(写真:Anique)


リノベーション後の駅舎の中(写真:Anique)

2022年1月、先行して比立内駅舎内にコワーキングスペース「阿仁比立内がっこステーション」がオープン。2月、がっこ市開催。次はいよいよ加工所の設置だ。

大阿仁ワーキングとお母さんたちは共同加工所を作る目的から資金繰り、改正食品衛生法の遵守について、そして複合施設としての運営方法まで、1年かけてじっくり話し合った。

加工所を作るための総費用は460万円。2分の1を秋田県、4分の1を北秋田市が補助し、残りの100万円を自己調達することが決まり、2023年8月に加工所建設に着工、11月1日オープンを目指した。

だがこの時点で、自己調達分100万円あまりは手元になかった。これからクラウドファンディングで集めるのだ。

当時を振り返り、松橋コト子さん(85歳)は「うまく集まらなかったら、みんなでなんぼ出さねばだめだべって、すごく心配でした」とその胸中を打ち明ける。

専業主婦の傍ら、楽しみを兼ねてがっこ作りをしてきたお母さんたちである。がっこ市で売る漬物も1パック200円や300円。売り上げよりも「うちのがっこが喜ばれる」ことが生きがいだ。そんなお母さんたちにとって自己調達の費用は重たく響いた。

2023年9月25日〜10月末にクラウドファンディングを実施。蓋を開ければ目標額を超える312万9750円が集まった。クラファンの手数料や返礼品の費用150万円ほどを差し引くと、使えるお金は160万円ほど。それを工事費用に回し、残った分は今後の設備購入費に充てる。


資金繰りから運営方法まで、念入りに会議を行った(写真:Anique)

がっこステーションが「新ビジネス」と認められた

ついに2023年11月1日、漬物加工所併設「阿仁比立内がっこステーション」がリニューアルオープン。漬物製造許可に加え、密封包装食品製造許可、飲食店営業許可も取得した。がっこ市のメンバーだけでなく誰でもこの加工所で調理、販売する場として活用できる。


完成した交流スペース兼コワーキングスペース。窓の外を内陸線が走る。左奥に見えるのが完成した共同加工所(写真:Anique)

改修費用の半分を補助したのは、秋田県農林水産部農山村振興課が担当する「未来へつなぐ元気な農山村創造事業」の補助金だった。2022年に創設したばかりの新しい制度で、地域特産物のブランド化や農山村発の新ビジネスを後押しすることを目的にする。

がっこステーションの補助金申請が認可されたのは、3つの点で高ポイントだったからだと、同課調整・地域活性化チームの青木隆行さん(44歳)は語る。

「1つが、長く続けてきたがっこ市を存続させ、次世代の漬物作りの担い手を育成し、がっこ文化を継承していくということ。

2つめは加工所では漬物だけでなく、大阿仁地区の名産・伏影りんごを使ったジャムや豊富な山菜の加工食品も製造、販売していくこと。

3つめは無人駅の内陸線比立内駅を活用すること。無人駅が地域資源として生まれ変わる。まさしくこの補助金事業が求めるところです。非常におもしろいと思いました」


大阿仁名産の伏影りんごを使ったジャム(写真:Anique)

共同加工所でがっこ作りをするようになって、それまで何十年も自宅で秘伝の味を守ってきたお母さんたちは、初めてがっこ市メンバー、つまり他人の作り方を見ることになる。皆、興味津々。味見をさせてもらえば、作り方を知りたくなる。

「がっこ市のメンバーはそれぞれ自分のレシピを持っていて、何冊もノートに書き込んでいます。作り方を教えてくれる人もいるし、“企業秘密”だからって教えない人もいます。私たちはなんでもありなんです」とメンバーの鈴木良子さん(67歳)はにっこり笑う。

確かに独立採算制のがっこ市ではメンバーといえど、商売ではライバル。出品する商品の値段づけも、メンバーがつける値段をちらちらと横目で見ながら決めるらしい。


共同加工所ではがっこ作りのワークショップも開かれる(写真:Anique)

あえて「減塩運動」に反した商品づくり

がっこステーションがオープンして、もっとがっこ市を盛り上げたい、たくさんの人に喜ばれるものを作りたいという思いは強まった。

良子さんはがっこ市に出品するようになってから、どんな漬物が好まれるかを考えるようになったと話す。

たとえば味噌漬け。今の味噌漬けの主流は塩分控えめ。これは脳卒中の死亡率が高い秋田県が40年以上に及び取り組んできた減塩運動の結果ともいえる。

しかし、がっこ市には「昔のビリッとした味つけの味噌漬け、ねが?(ないか?)」という年配のお客さんが少なからずいるという。良子さんはそういう人たちのために、減塩運動以前の秋田県独特の“ビリッとしょっぱい”味噌漬けを作りたいと考えている。少量多種もがっこステーションの強みだ。


お母さんたち手作りのこだわりの「がっこ」たち(写真:Anique)

加工スペースのみならず、コワーキングスペース兼交流スペースも着実に新しい人の流れを作り出している。個人の場合は利用料無料、Wi-Fi完備。飲食物の持ち込みOK。1杯300円で美味しいコーヒーも提供している。

「商工会や地元の婦人会が会議で利用してくれたり、この辺は飲食店がほとんどないので友人グループの集まりやクラス会などにも使ってもらったりしています。また、Wi-Fiがつながるのでスマホのアップデートのためにやってくる人もけっこういますね」(前出の斎藤さん)

コワーキングスペースにいた岡本健太郎さん(31歳)は、マタギの後継者になるために東京都から大阿仁地区に移住したフリーランスのデータエンジニア。平日は毎日フルタイムでテレワークに利用している。

「大きな窓から見えるのは山だけ。それが僕にはとても気持ちいいですね。地域の方が僕に会いにふらっとやってきたり、パソコンの使い方を習いにきたりしてくれます。この大阿仁地区には首都圏では体験できない本物の自然があり、ここに暮らす人たちの日々の営みがあります。内陸線に乗って訪れてみてください」(岡本さん)


コワーキングスペースでテレワーク中の岡本さん(写真右)(写真:Anique)

「他の人より安くする」の先へ

加工所の運営を安定化するために、前出の大阿仁ワーキング事務局長の寺川さんは漬物の通年販売を目指したいと話す。そのために、どの時期にどんな野菜を収穫するかという年間計画を立てて、野菜作りを管理していく話し合いも進んでいる。

また、がっこの価格設定も重要な課題だ。「価格にはちゃんと人件費をのせないとダメよと、お母さんたちにお願いしています」と寺川さん。

他の人より安くすれば売れるという経験則がしみついているお母さんたちも、自分たちのがっこの売り上げが上がれば、大阿仁ワーキングの運営費も増えるという図式に、「んだな」とうなずく。


驚くほど低価格に設定された自慢のがっこ(写真:Anique)

自分の家で食べるがっこを少し多めに作って、1年に1回、がっこ市で売ってみたら、すごく楽しかった――。ここからスタートしたがっこ市メンバーのお母さんたち。

大阿仁ワーキングやアニークとチームを組んで、阿仁比立内がっこステーションをベースに夢は広がる。

【画像】寂しかった駅舎が手作りリノベーションで「“爆売れ”がっこ」の加工所に大変身!【ビフォー・アフターを見る】(19枚)

(桜井 美貴子 : ライター・編集者)