「相対評価」は子どもを幸せにする? それとも…

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 子育て本著者・講演家である私が以前、保育園で見た光景です。その日は園児たちが平仮名を書く練習をしていました。すると一人の子が、思い通りに平仮名を書けずに泣いていました。その子を励まそうと、保育士がこんな一言をかけたのです。「大丈夫よ、そんなに泣かないで。周りのみんなも下手なんだから」。

 すると、その子は泣くのをやめました。おかしな褒め方ですが、そのとき私は「まだ人生が始まって4〜5年しかたっていないのに、『周りと比べてどうか』という相対評価で、みんなが下手だったら安心するんだ」と思ったことを覚えています。

本人の「過去」と「現在」を比較する

 成績のつけ方には「絶対評価」と「相対評価」があります。

 絶対評価とは、例えば90点以上で「A」、50〜80点は「B」、それ以下は「C」の評価をつける方法のことです。クラス全員が90点を取り、全員が「A」評価ということも起こり得ます。つまり、周りの人に関係なく高評価になるわけです。

 一方の相対評価は、全体の中から「A」が10%、「B」が30%…というふうに、クラスの中で「A」評価の人数、「B」評価の人数が決められています。どんなに努力して結果を出しても、周りの生徒がそれ以上に努力して高得点を取ったら、評価は悪くなってしまうのです。

 これを踏まえると、子育ての場面では、絶対評価の方がよいと思うのです。褒めたとしても「あの子よりはマシな字よ」「あなたの文字がクラスで一番上手」などと、他人と比較する相対評価はいけません。

 覚えたばかりの平仮名を書いている子が、たとえ湯気のように消え入りそうな字を書いていても、「うん! よく頑張って紙の上に書いているね。昔は机の上にはみ出して書いたのに、上達しているね」と、本人の過去と現在を比較してやればよいのです。

 数年前までは一人でトイレにも行けず、ご飯を食べることもできず、着替えることもできず、何でも親がやってやらないとできなかった子が、「今、文字を書こうと頑張っている」「成長している」と捉えてみたらどうでしょうか。

本人にとって“幸せなこと”なのかどうか

 脳科学者・茂木健一郎さんの著書「幸福になる『脳の使い方』」(PHP新書)の中で、「他者との比較で自分の立ち位置を確認する」ことについて書かれていました。

「周囲より自分が抜きん出ていれば幸せだけど、周囲も同じ生活レベルなら特別に自分が幸せだとは思わない。このように、私たちが常に他人との比較において幸福を感じるのだとしたら、幸せとは絶対的なものではなく相対的なものということになります。(中略)友達がどんどん結婚していき子どもに恵まれる中、自分一人がずっと独身でいると焦燥感に駆られることもありますね」

 子育てしている親自身も、比べられながら育ってきたのですから、子どもをもったときに“比べる病”に侵されるのは仕方がないことなのかもしれません。その結果、同書に書かれているように、「幸せとは絶対的なものではなく相対的なもの」となってしまうのです。

 私の息子は知的障害を伴う自閉症なのですが、最大の願いは、息子が最期の日を迎えるとき、「僕の人生は幸せだった」と思いながら天国に行けることです。これは何も私に限らず、子を持つ親なら誰でも望むことではないでしょうか。

 それなのに、親はつい、わが子が周りに比べてどうかが気にかかるもの。そして、子どもにとっての幸せを「いい学校に入ること」「定型発達の子から刺激を受けて伸びること」「有名企業に勤めていること」「優れた才能で世間から評価されること」「自分の才能で食べていけること」…と勘違いしてしまいます。これらが本人にとって“幸せなこと”なのかどうかは分からないのに、です。

 実際に、才能を持っている発達障害の人が、世間から脚光を浴びることがあります。はたから見れば皆から認められ、称賛され、うらやましく映るものです。けれども、本人はどう思っているかは分かりません。「人にはないものを持っていて幸せだ」と感じているかもしれませんし、「もっとゆったりとのんびりとした人生を歩みたい」と思っているかもしれません。

 幸せとは「全体から見てどうか」という相対評価ではなく、「自分がどう感じているのか」の絶対評価だからです。私はそのように思います。