現実空間に大きな何枚もの仮想ディスプレーが並ぶ空間コンピューティングの世界。写真はメタの「Quest 3」(写真:メタ リアリティラボ)

iPhoneのメンテナンスを依頼するために都内のアップルストアに入店したところ、突然、店内に大きな拍手の渦が起こった。その方向に目を向けると、大きな箱を持った一人の男性を紺色のTシャツを着たストアスタッフが取り囲み、満面の笑顔で拍手を送っている。

これは、アップルの新XRヘッドセットVision Proを購入したユーザー向けのセレモニーだ。まるでカーディーラーにおける新車の納車式だが、アップルは、アップルストアで自社製品を購入した新しいユーザーを祝福する儀式を昔から行っている。

高価なデジタルデバイス「Vision Pro」

アメリカでは今年の2月に発売開始し、6月末に日本、中国、香港、シンガポールでも売られ始めたVision Pro。さぞかし新規ユーザーにむけた大きな拍手が多かろうと思っていたら、意外とそうでもない。筆者がアップルストアに滞在していたのは30分ほどだったが、その間に目にしたセレモニーは1回だけだった。

Vision Proの価格は59万9800円。極めて高価なデジタルデバイスゆえに、気軽に購入できる人は少ないだろう。3500ドルで販売しているアメリカにおいても、初月で18万〜20万台を販売したという報道はあったが、以後の売れ行きは伸び悩んでいるという。

考えてみれば、初期のiPhoneも似たところがあった。最初に手にとったのはデジタルデバイスが大好きな人たちのみ。海のものとも山のものとも判断つかない初物の製品は、様子見をする人々が多いことがわかる。

このVision Proの普及に立ちふさがると見られているのが、メタのQuestシリーズだ。約60万円のVision Proと、7万円台で購入できるQuest 3とでは価格帯が大幅に異なるが、両者とも空間コンピューティングの実現に向けたOSの開発を進め、世の中のアプリ開発者に「こっちの水は甘いぞ」とアピールしてアプリエコシステムの実現を目指して対立しはじめている。

子どもたちのために親が買い与えた?


メタのXRヘッドセット「Quest 3」(左)と、アップルのXRヘッドセット「Vision Pro」(筆者撮影)

XRヘッドセットという市場全体を見ると、すでにメタのQuestシリーズが高いシェアを確保している。シリーズ全体の数字となるが、2023年3月時点で2000万台が売れたと報道された。1世代前のQuest 2が安価だったことと、2020年からはじまったコロナ禍によるステイホームが、この販売台数の理由だ。

すでに生産は終了しているが、Quest 2は最終的に200ドル(約3万1900円)という価格で販売された。これはニンテンドーSwitchとほぼ同額だ。外で遊びたくても外出が制限されていた時期に、イライラが募る子どもたちのために親が買い与えたというのは想像にかたくない。

メタも低価格モデルがシェア確保のために必要であることは理解しており、現行モデルの低価格機であるQuest 3S(仮称)が9月に行われるメタのイベントMeta Connect 2024で発表されるのではと噂されている。

多種多様な機能を盛り込んだ結果、約60万円となったVision Pro。子どもでも使えるゲーム機としてコストパフォーマンス重視で開発され、7万4800円で購入できる現行モデルのQuest 3。同じXRヘッドセットだとしても、直接のライバルとはなりえない。レクサスのような高級車とファミリーカーを比較するようなものだ。

しかしメタはVision Proが発表された2023年6月以来、QuestシリーズをVision Proのように大人が使えるデバイスとして進化させてきた。その共通項は、ウェブブラウザーやワード、エクセルのような2Dアプリや、グーグルアースのような3Dアプリなど複数のアプリをマルチタスクで起動し、複数のウィンドウを仮想空間内に置ける空間コンピューティングだ。

自宅でならば複数のディスプレイを並べて作り上げるマルチウィンドウ環境を、XRヘッドセットなら外出中でも実現できる。アップルがVision Pro発売前に見せたイメージをもとに、Questシリーズのユースケース(活用事例)を拡大するべく急ピッチでビジネス利用が可能な機能を次々とリリース。最新アップデートでは、6つのアプリ/ウィンドウを自由に配置できる機能を得た。

モバイルPC級の処理能力を持つVision Proに対し、Questシリーズはスマートフォンと同等の性能だ。最新モデルQuest 3であっても、Vision Proの3分の1〜5分の1の処理能力しか持たない。それでいてVision Proと似たことができるというのはインパクトが大きく、世界を驚かせている。

現時点ではどちらも五十歩百歩

アップルとメタが共に、どんな場所にいてもマルチディスプレイの高い生産性を確保できる空間コンピューティングデバイス=XRヘッドセットをアピールするこの現状は、iPhone vs AndroidというOSの対立に似ているところがある。どちらも似たような形状で、似たことができるため、ユーザーの取り合いに直結するからだ。

Vision Proのユーザー数が少なく、QuestシリーズのユーザーはゲーマーもしくはソーシャルVRユーザーが多いために、「iPhoneならこんな機能がある」「その機能、Androidなら以前から実装していた」「でもAndroidは使いにくいからiPhoneのほうがいい」などといったユーザーレベルの対立はまだ可視化されていない。

しかしアプリ開発会社やアプリエンジニアの間では、どちらのデバイスを使ったほうが収益向上を目指せるのかといった話題が続いている。

機能・性能は、明らかにVision Proのほうが上だ。今すぐに使えるアプリも多い。しかしQuest 3よりも価格が高くて購入しにくい。昔からのアップルファンですら二の足を踏んでいる状況が続いている。専用アプリも学生の習作のような出来のものが多い。

Quest 3のほうは安価という大きな利点はあるもののゲーム機という印象が根強く、ビジネス視点で活用しようと考えている人はまだまだ少ない。

またQuestシリーズはAndroidをベースとしたOSが使われているが、Googleのアプリストアを使うことができないため、Metaのアプリストアで多くの空間コンピューティング用のアプリが扱われないかぎり、現実的ではない。

メリット・デメリットが共にあるなか、一般ユーザーとしてはどちらのXRデバイスに注目すればよいのだろうか。

どちらが未来を見せてくれる存在となるか

今後普及するかもしれない良質な空間コンピューティングを今すぐ体験したい。またiPhoneやiPad、MacBookといったアップルデバイスを持っているのであれば、Vision Proに軍配があがる。アップルならではのハードウェアレベルでのエコシステムは極めて有能で、初期設定さえ行ってしまえば2度目以降はシームレスにデバイス同士がつながってくれる。ユーザーに負担を強いない快適なUIUXはアップルの独壇場といえるからだ。

WindowsやAndroidスマートフォンを使っているのであれば、Vision Proの強力でクローズドな連携機能が活きないため、安価なQuest 3に目を向けたいところだ。

メタはQuestシリーズ用のOSをサードパーティに公開する計画を進めており、まさにAndroidスマートフォンのようなオープンなハードウェアグループが形成される可能性がある。これまでVR/MR専用だったアプリストアに、情報収集やデータ編集などビジネスの現場で使いやすい2Dアプリの登録を可能にして、空間コンピューティングアプリを簡単に導入できる環境を作ろうとしているからだ。

とはいえ、だ。結局のところ、日々感じている何かしらの課題をVision ProもしくはQuest 3で解決できるのか。その期待を持てるかどうかにつきる。

いくら性能が高かったとしても、自分のライフスタイルとマッチしないデバイスは所持する理由がない。スマートフォンやスマートウォッチが登場し、普及してきた流れと同様に、どんなアプリが私たちを手助けしてくれるのか。そのビジョンをアップルとメタ、どちらが見せてくれるのかが重要になってくる。


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(武者 良太 : フリーライター)