高校中退→通信制転校…“孤独”乗り越え最速152キロ プロ有望左腕に芽生えた「自覚」
仙台大のエース・渡邉一生…クラブチーム当時は「プロ野球選手に」が心の支え
高校中退、通信制への転校、クラブチームでのプレーを経験した左腕が、大学3年で自己最速をマーク――。少々気が早いが、来年のドラフトへ向けて注目の存在に躍り出た。仙台大のエース・渡邉一生(いっせい)投手は10日、全日本大学野球選手権大会1回戦の星槎道都大戦(東京ドーム)に先発し5回2安打7奪三振無失点の快投、チームを勝利に導いた。試合後には大学での大きな“出会い”についても語った。
渡邉は2点リードの5回、味方の1年生遊撃手の失策をきっかけに1死二塁のピンチを迎えると、ギアを上げた。相手の1番打者(右打者)に対し、3球目のストレートが自己最速を1キロ更新する152キロを計測。カウント2-1から120キロ台前半のチェンジアップを連投して空振り三振に仕留めた。続く2番打者(左打者)も、150キロ台のストレートを見せた上で、外角低めのスライダーを振らせて三振に切って取った。
「後輩がミスした場面を救えたのは、チームにとって大きかったと思います。全国大会の舞台で自分のMAXを更新できたこともうれしいです」と渡邉。「東京ドームでプレーしたのは初めてです。小学生の時にWBC(2013年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック)を見に来ましたが、スタンドから見ていたグラウンドで投げるのが楽しくて、体がふわふわしていました」と明かす通り、登板中に何度も白い歯がのぞいていた。
神奈川県出身の渡邉は、日大藤沢高入学当初から将来を嘱望されていたが、2年生の冬に中退し、通信制の高校に転校。3年生の1年間はクラブチームでプレーするという紆余曲折を経ている。それでも、「あの頃は個人的にプロ野球選手になるという目標があったお陰で、曲がることなく、ぶれずにやれました」と振り返る。
2年先輩の“師匠”との出会い「チームのためという感覚芽生えた」
さらに「仙台大学に来てからは、いい仲間に出会えて、人として成長できました」と穏やかな笑顔を浮かべる。特に大きな影響を受けたのは、2年先輩の川和田悠太投手(現三菱重工East)。「人間として素晴らしい先輩で、僕の“師匠”。野球ノートを交換日記のようにやり取りさせていただいていました」。孤独だった高校時代を経て、団体スポーツとしての野球の楽しさを教わったようだ。
川和田が卒業した今年、エースとなった渡邉は仙台六大学野球春季リーグで6試合4勝0敗、防御率0.27という圧倒的な成績を残し、MVPに選出された。森本吉謙監督は渡邉の成長を「チームのために、という感覚がすごく芽生えてきたと思います」と評する。
現在の渡邉には、悔しい経験をも肥やしにするたくましさがある。仙台大は昨年もこの全日本大学野球選手権大会に出場し、準々決勝まで進出しているが、渡邉は故障明けで打撃投手を務め、試合開始後はスタンドに移動し応援していた。「もちろん悔しかったですが、あの打撃投手の経験がすごく勉強になりました。『このコースにこう投げれば、打者は詰まってくれる』という感覚をつかむことができました」と説明する。
大学在学中に「球速は最低155キロ、できれば157、158キロまで出したい」との目標を掲げている渡邉。左腕でそこまでいけば、NPBはもちろん、MLBも腰を浮かすかもしれない。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)