うっすらと「T」のところに線が…!

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うっすらと「T」のところに線が......!

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第49話

2023年に入って海外出張に行く機会も増え、いつかは新型コロナウイルスに感染しても仕方ないかなと感じていたという筆者。そしてついに、その日が来た......。

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【写真】バッチリ陽性

■2023年6月29日、COVID-19発症

2023年6月29日、ついにCOVID-19を発症してしまった。

2023年になってから、1月にフランス(40話)、2月にシンガポール、3月上旬にフィリピン、3月下旬にドイツ(19話)、6月にオランダとチェコ(41話)と、海外出張をしまくっていた。ワクチンは当時4回接種していたが、海外ではマスクをしていない人が大半だし、内心、そろそろ感染しちゃっても仕方ないかな、どうせいつかは感染してしまうのだろうし、と腹を括っていたところはある。

6月29日。朝起きると、すこし鼻詰まりを感じる。しかし、ほかに異常もないので普通に出勤。ラボではメンバーと話をしたり、特に気にすることもなく通常業務。この日はランチをとりながらディスカッションをひとつ予定していたが、念のためこれはキャンセルする。

午後には来客がひとつ、会議がふたつ入っていたので、お昼頃に、念のため、万が一、と思って抗原検査。――15分経過。しかし、「T」のところに線は出ず、ほっと一息。

しかし夕方くらいから、すこしだるさを感じ始める。あれ、おかしい......。夕方からの会議はタクシーで移動して参加する対面会議だったが、ちょっと体調が怪しいので、オンラインでの参加に切り替えてもらう。

念には念を、2度目の抗原検査。――15分経過。パっと見は陰性。それで安堵するも、よーく見てみると、うっすらと線が......。

これはまずい......。だるさも時間が経つにつれてひどくなってきている気がする。オンライン会議を終えて、荷物をまとめてラボを後にする。途中、思い返してラボに引き返す。おそらくしばらくは隔離されて暇になるであろうことを想定し、暇つぶしのために、ラボに置いてある文庫本(沢木耕太郎の『深夜特急』)を携えて帰路に着く。


病床で読むために持ち帰るも、結局ほとんど読まなかった

帰宅すると即、隔離部屋に収容される。この頃にはだるさは増すばかり。めまいすら覚える。体温を計ると、39度を超えている。すぐに布団を敷き、横になる。心なしか息苦しさを覚える。左肺の下、心臓あたりがみしみしと音を立てて壊れていくような感覚を覚える――。

――朝からたった12時間ほどで、ここまで急激に悪化するものだろうか?? あまりにも急変した容態に狼狽しながら、市販の解熱剤を飲んで床につく。COVID-19は一気に悪化する、とは聞いていたものの、まさかここまでとは......。もしかしたらこのまま、目が覚めず死んでしまうのではないか――。

■療養、快方へ

翌6月30日。無事に目は覚めたが、倦怠感と頭痛がすごい。喉にすこし違和感はあるが痛みはなく、咳や痰もほとんどない。朝起きてすぐに抗原検査してみると、液体が「C」に到達する前に、「T」に辿りついた瞬間、バシッとバッチリ線が出る。


「T」に届いた瞬間、バッチリと線が出た

感染してしまったことを、共同研究をしているインターパーク倉持呼吸器内科の倉持仁先生(47話に登場)に報告すると、心配した先生がオンライン診療をしてくれた。薬も処方して郵送してくれるという。ありがたい。

この日はずっと解熱剤を服用し続ける。寝て起きての繰り返し。頭がぼーっとするので、読書に集中することもできず。MacBook Airを開き、Amazon Primeで、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で優勝した侍ジャパンのドキュメンタリー映画を観たりして過ごした。

その翌日、7月1日。特に容態は変わらず。昼前に倉持先生が送ってくれた薬が届く。さっそくそれらを飲む。すると昼過ぎには、解熱剤なしで37度台前半まで一気に熱が下がる。薬が効いたのか、COVID-19とはそういう病気なのかはわからないが、湿布をはがすようにケロッと症状がなくなった。咳などのほかの症状も出てこない。

7月2日。解熱剤なしで、体温は36.5度まで下がる。ほぼ平熱。立ち上がるとすこしふらつくくらい。喉にすこし違和感があるくらいで、ほかに自覚できる異常はない。

7月3日。体温は36.2度。異常はもうほとんど感じない。結局その後、ぶり返すことなく快方に向かう。

■職場復帰。しかし......

発症から6日目の7月5日、ついに外界へ! 6日ぶりの出勤。景気づけに鰻の弁当を食べて、さっそく対面の会議にマスクをつけて参加。しかし、すぐに自分の異常に気づく。おかしい。頭が回らない、言葉が出ない......!

職場復帰するも、それから1、2週間は、ブレイン・フォグと思われるような症状に苛まれた。頭が回らない。そして、しゃべろうとする言葉が口から出てこない。ひと月もするとそれもだいぶ落ち着いて元通りになってきたと思うが、復帰直後はこのままずっと後遺症として長引いてしまうのではないかとヒヤヒヤしていた。

■「感染しないにこしたことはない」

ちなみに、私が感染した変異株はXBB.1.9。その感染経路を思い返してみるも、まったく思い当たる節がない。直前まで滞在していた海外で感染したのか、帰りの飛行機で感染したのか......。記憶が正しければ、後ろの席に座っていたビジネスマンが、飛行機に乗り込むまではマスクをしていたのに、席に着くとなぜかマスクを外し、結構な頻度で咳をしていた記憶もあるが、そこで感染してしまっていたのだろうか?

発症の前々日(6月27日)の朝にチェコのプラハ(41話)から帰国し、荷物を自宅に置いてすぐに茨城県つくば市に向かい、『週刊プレイボーイ』の企画である、五箇公一先生(国立環境研究所)との対談に臨んだ。その後、五箇先生や週プレの関係者の面々と一緒に食事をしている。しかし、ここで会った面々も、ラボメンバーも、そして家族も、誰も私から感染しなかった。つまり幸いなことに、私の実効再生産数はゼロであった。

一度感染してしまって痛切に思うことは、当たり前のことなのだが、「感染しないにこしたことはない」という実感である。前年(2022年)の秋までタバコを吸っていたせいもあるかもしれないが、私の症状は正直かなりしんどかった。数日で快方に向かったとは言え、初日の急激な悪化具合には「死」が頭をよぎった。大手既成メディアは「コロナ明け」などという造語を使っているが、報道していないだけで、新型コロナの流行は決して収束していない。

感染した実感として、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、ふつうの風邪ともインフルエンザとも明らかに違う病気であった。症状はもちろん人それぞれだと思うが、少なくとも私の実感としてはそうである。少なくとも、そのような感染症がいまだに蔓延していること、それが世界から消え去ってはいないことは理解しておくべきだと思う。

文・写真/佐藤 佳