デジタル市場の再考を促す、DIGIDAY[日本版]のインタビューシリーズ「REFRAME―デジタルの再考―」。今回は、キヤノンマーケティングジャパン デジタルコミュニケーション企画部部長の西田健氏に、今日におけるデジタル広告の課題を聞いた。西田氏は、悪質なデジタル広告が急増している現状について強い憤りを示し、「デジタル上は治安の悪い繁華街のようなあり様だ」と例える。そのうえで、「ブランドイメージをどう守り、あるいはどう変えていくのかが重要だ」と、デジタルにおけるマーケティングの心構えを説いた。いま、デジタル広告市場はどのような状況で、広告主はどう考えるべきなのか。西田氏の提言を聞く。

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――現在の日本市場におけるデジタル広告の課題について、どう考えているか?

有名人の顔写真や弊社を含めた企業の名前が許可なく勝手に使われ、詐欺サイトに誘導するような広告が当たり前のようにデジタル上にあることに対して、強い怒りがある。とくにソーシャルメディア上は、粗雑な広告環境だ。ある大手ソーシャルメディアは2023年の年末ごろからとくに劣悪な状況が続いており、我々も広告出稿を引き上げようか、と思ったほどだ。詐欺サイトに誘導するような反社会的な行為でなかったとしても、いまのデジタル広告全体の状況は、クリックさせるためだけ、あるいは倫理的に不適切な広告クリエイティブや広告フォーマットで溢れかえっている。ユーザーのことをまったく考えていない市場というのが、まず大きな問題ではないだろうか。いま、デジタル上は治安の悪い繁華街のようなあり様だ。そうした場所を大人はもちろん、小さな子どもまでもが当たり前のように歩き回ってしまっている。たとえは悪いかもしれないが、1990年代の終わりごろ、繁華街の街角や電話ボックスは、伝言ダイヤル通話を誘う、いかがわしいピンク色のチラシやビラで溢れかえっていた。いまのデジタル上の猥雑さは、あの状況を思い出す。

――なぜ、そうした環境になってしまったのか?

デジタルの強みでもあるが、手軽に安いコストで広告運用ができるようになってしまったことが大きな要因だろう。当然、手をつけやすく運用コストが低ければ、詐欺的な手法を考える者も出てくる。一方で、ユーザーを無視したような広告の蔓延は、短期的な目標を数値で追えるようになったデジタルの弊害とも言える。企業が広告を運用する以上、多くの人に見てほしいという目標があり、もちろん予算もある。より数字を上げる方向に走らざるをえなくなるのは理解できる。これまで、広告は中長期的な感覚で社名や商品などの認知を上げていくことが基本だった。しかし、デジタルは即効性があり、かつ結果が明確に見える化できる。だからこそ、「結果ありき」の強引な手法が生まれてしまったのではないだろうか。

――西田さんはマス広告も長く経験されているが、マスとデジタルの違いについてはどうか?

マス広告は広告主が出す広告内容について、当然事前審査がある。そこで、広告内容の健全性はある程度担保できる。弊社のような大手クライアントが引っかかることはほとんどないが、有名企業であっても、業界によっては出せなくなった場合もあると聞く。そのくらい、明確な審査を設けているはずだ。一方でデジタルの世界はどうか? そもそも明確な審査機関がないうえ、出稿量もケタ違いに膨大だ。AIを活用して審査をしているなどという話しも聞くが、より多くの広告を出すために広告枠を持つプラットフォームやパブリッシャーが、ギリギリの表現やフォーマットでも許容していると感じる。

――自社の名前を使った悪質な広告をなくすため、プラットフォーマーと話し合ったと聞いた。

ある大手プラットフォーム上では、弊社の名前を騙った悪質な広告が多かったため、運営元と話し合いを行い、不正な広告を出しているアカウントについて共有した。その後、そうした悪質な広告が減ったため、運営側の対策自体は可能なのだと感じた。ただし現状をみると、すべての悪質なアカウントや広告を取り締まれていないことは明白だ。まず、弊社のような比較的大きな広告主が発言していくこと、これが重要なのではないだろうか。一方で、昨今のデジタル広告の混乱状況をコンテンツの面から見たとき、これまで考えてもみなかった視点を知ることができた。

――別の視点とは?

日本では多くの人が不適切な広告内容と考えるものを、欧米では「表現」のひとつだと考え、たとえばフェイク広告なども「表現におけるオマージュの一環」だと捉える感覚が一部の人たちにあるという。つまり、あくまで自己表現のひとつであり、規制すべきものではないという考えだ。現状を見る限り、それが悪質であっても、ということなのだろう。この解釈は、文化や価値観の違いを感じさせる。日本の広告市場では「土壌を管理し綺麗にしていく」とでも言うべき思想があるが、欧米ではそれとは真逆の、プラットフォーム上は人間社会そのものを反映しているため、厳密に管理するべきではないという考えがあるのかもしれない。しかし、それはプラットフォームによっては広告主が出稿するに値するクリーンな環境ではないかもしれない、ということを意味する。それを受け入れられない広告主は、広告を取り下げるしかないというわけだ。

――文化や価値観の違いが、プラットフォームにおける劣悪な広告環境を生み出しているということだろうか?

その可能性は否定できないが、広告を出すか出さないかは、企業やブランドが自らの意思に基づいて決めることであるのは間違いない。どのようなブランドイメージをどう守っていくか、あるいはどう変えていくか、自分たちの選択と決定が重要と言える。悪質な広告環境か否かという議論を抜きにしても、デジタル広告はパフォーマンスに特化した内容になりやすい。その表現方法もほかのチャネルとは異なる、デジタルならではの手法やクリエイティブが用いられる。たとえば我々のように、厳格にブランドイメージをコントロールしようとする企業であっても、「いまどき」の表現で構成された広告、とくに動画やソーシャルメディアなどでは、現場の判断で出すこともあるだろう。ブランドイメージに責任を持つコーポレートの立場からすれば難しい問題であるが、よりパフォーマンスを向上させたい、売上を上げたいと考える現場の社員からすると、ブランドイメージに関係なくデジタルでユーザーに受け入れられやすい表現をすべきだと考えている場合もある。いま、デジタル広告は過渡期なのではないだろうか? 何がユーザーに受け入れられ、何がユーザーに受け入れられないのか。デジタルの在りようを受け入れるべきなのか、マス広告のような管理された世界を構築すべきなのか。いまは次のスタンダードが確立される前の混沌であり、我々もその先の未来のための選択をする必要がある。

――では、今後広告主はどうしていくべきか?

混沌にあるからこそ、デジタル上のリテラシーを高めるために、人材育成に力を入れなければいけないだろう。しっかりとしたリテラシーを持った宣伝担当者やWeb担当者、デジタル担当者が必要だ。また、マス担当だからデジタルはわからない、デジタル担当だからマスはわからないでは、もはやマーケティングの全体像をつかめなくなってきている。両方の知識を蓄えていくことも必要といえる。我々は今年、宣伝、デジタル、Web担当者向けに社内でデジタル広告勉強会を開こうと考えている。弊社ぐらいの規模の会社でも、そうしたところから始め、次世代の広告マーケティングとは何かを考えていかねばならない。教育を怠れば先の未来を守れないだろう。長期的な視点を持って、たとえば10年後どうなっていたいかを考え、向き合っていくべきではないか。

西田 健/日立製作所に入社後、国内外の宣伝制作・販促、ブランド戦略などを手掛けるとともに、コーポレートサイトやソーシャルメディア公式アカウントの運営などWeb戦略にも従事。2017年に大日本印刷へ入社しコミュニケーション活動全般を担当後、2019年にキヤノンマーケティングジャパンに入社。デジタル全般のコミュニケーションに携わり、現在に至る。

Written by 島田涼平Photo by 三浦晃一