本来は白い「マーガリン」が黄色である驚きの理由
マーガリンが黄色いのは、行動科学や心理学をマーケティングに応用した結果だそうです(写真:Graphs/PIXTA)
「どのシャンプーを買おうか」「どのサブスクリプションサービスに加入しようか」など、私たちは日々選択をしている。私たちはこれらの選択は自由意思のもとに行っていると思っているが、実は私たちには心理的な「癖」があり、商品やサービスにおけるちょっとした工夫が、消費者の購買行動を左右するのである。今回、人間のさまざまなバイアスと選択行動について、行動科学の知見をもとに掘り下げた『自分で選んでいるつもり:行動科学に学ぶ驚異の心理バイアス』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。
マーガリンはなぜ黄色いのか?
マーガリンはなぜ黄色なのか、不思議に思ったことはないだろうか。
製造過程でそうなるものだと思っているかもしれないが、実は、最初に発明されたときのマーガリンの色は、少しくすんだ白。細かい人なら「灰色じゃないか」と言いそうなカラーだったのだ。
マーガリンが現在よく知られる見た目になったのはだいぶあとのことで、きっかけを作ったのはルイス・チェスキンというウクライナ出身の心理学者だ。
1940年代、マーガリンメーカーのグッドラック社が伸び悩む売上をなんとかしようと、チェスキンの力を借りることにした。
買い物客がマーガリンを買わずにバターを選ぶ理由を知るため、チェスキンは実験を行った。ランチタイムのセミナーを開き、地元の主婦を招待する。主婦たちは講義を聞く前に、まずランチビュッフェを楽しむ。といっても特別なメニューではない。三角形に切った食パン、それからバターを小さくカットして溶けないように冷やして並べた。
講義が終わると、チェスキンは参加者となごやかに雑談をした。「講義はどうでしたか?」「長すぎませんでしたか?」「発表者の服装をどう思いますか?」。そして、こんな問いを投げかけた。
「ああ、それから最後にもう一つ。食べ物はどうでしたか?」
チェスキンは実験を6回繰り返し、そのつどバターとマーガリンを入れ替えて出した。
最後の問いに対する参加者たちの答えは世間一般の見解と同じで、マーガリンはバターよりまずいものとして語っていた。
だが、この実験には仕掛けがあった。
チェスキンが出したマーガリンは、あらかじめ黄色に着色して「バター」とラベルを貼ってあった。バターのときは白く着色して「マーガリン」とラベルを貼った。マーガリンは油っぽくて好きじゃなかった、と言った参加者は、実際にはバターについてコメントしていたというわけだ。
実験の狙いは、マーガリンの味に対する感想が本人の期待によって決定されていると証明することにあった。体験を形成するあらゆる要素――色、香り、そして包装など――が期待に影響を与え、味まで違って感じられる。チェスキンはこの現象を「感覚転移」と呼んだ。
チェスキンは自身の理論をもとに、グッドラック社のマーケティングチームにいくつか提案をした。もっとも重大な提案は、マーガリンの色を白から黄色に変更すること。黄色ならバターを連想させ、印象がよくなる可能性が高いからだ。
この作戦を活用したのはグッドラック社だけではなかった。他社もいっせいに黄色で着色するようになり、マーガリン分野全体の売上が飛躍的に伸びた。1950年代にはマーガリンのほうがバターよりも人気となり、それ以降50年以上もバターに差をつけ続けた。
グッドラック社のアプローチは当時ごく一般的なものだった。売上アップの方法を知るために、多くの企業が心理学者を起用していたからだ。チェスキン自身もグッドラック社だけでなく、製菓材料のベティ・クロッカー、煙草ブランドのマールボロ、ナイフメーカーのガーバー、そしてマクドナルドなど、多彩なブランドの依頼を請け負っていた。
「サブリミナル広告」への批判
ところが、ブランドによる心理学礼賛の風潮は長続きしなかった。1957年にヴァンス・パッカードというジャーナリストが『かくれた説得者』という本を出版している。この本が100万部以上も売れ、一大センセーションを巻き起こした。
パッカードは同著で、コンサルタントとして働くジェームズ・ヴィカリーという人物が明かした「サブリミナル広告」なるものについて、さまざまな例を挙げて紹介した。
「サブリミナル広告」とは、広告に隠れたメッセージを忍ばせる手法として、ヴィカリーが作った造語だという。メッセージが表示されるのは3000分の1秒。ほんの一瞬なので、見たことにも気づかない。
ヴィカリーの説明によると、そんな広告を映画館で流したところ、メッセージで示唆されていたポップコーンとコーラの売上が70%近くも跳ね上がった。
このあおりをくらって、心理学を使ったテクニック全般が白い目で見られるようになり、分析や考察も求められなくなった。
のちに、サブリミナル広告の話はヴィカリーのでっちあげだったことが明らかになる。彼はそんな実験を一度もしたことがなかった。だが、時すでに遅し。それから50年以上も心理テクニックは敬遠され続けた。
行動科学や心理学の3つの「R」
その後、風向きはふたたび変化する。行動科学や心理学をマーケティングに応用することのメリットは実に大きいので、長く放っておかれるわけがなかったのだ。着目すべき説得力ある理由は3つある。いずれもRで始まるキーワードだ。
第1のキーワードは、「レリヴァンス(Relevance)」、すなわち関連性だ。
行動科学と心理学以上に、セールスやマーケティングに関連のある学問は考えられない。企業ならどんな業種であれ、消費者を競合ブランドから乗り換えさせたり、高価格帯の商品を選ばせたり、シリーズ商品をいっそう手広く買わせたりしなければならないが、これらはいずれも消費者の行動を変えさせることを意味する。
ビジネスとは、行動変化を促す活動なのだ。だとすれば、行動変化を効果的に促すにはどうしたらいいか、それを教える130年分の研究を活用しない手はない。そこで行動科学の出番となる。
行動科学がマーケティングと関連しているのはチェスキンの研究を見ても明らかだ。
チェスキンは学術用語を抽象的に解説するのではなく、期待が味覚にも影響するという発見の具体的な応用方法を考えた。変えるべきはマーガリンの味ではない。色を変えれば売上が伸びるとアドバイスしている。
第2のキーワードは、「ロバストネス(Robustness)」。堅牢性、確実性だ。
マーケティングの理論は根拠のあやふやなものも少なくない。本能や勘をよりどころとしてしまうのだ。莫大な金額を左右する判断をするにあたって、これは理想的な基盤とは言いがたい。
その点で行動科学は違う。高名な専門家の意見というだけで通すことはない。必ず実験を経て証明する。きちんとした科学者がピアレビュー(査読)を受けて発表した研究だ。
つまり、発見を信頼すべき確固たる基盤があるというわけだ。
感覚転移のことを思い出してほしい。見た目が味に与える影響について、チェスキンは理屈だけで主張しなかった。比較実験をすることで、何が実際に味の評価に影響しているかを分析したのである。
マーガリンの実験は1940年代のものとしては実に見事なのだが、行動科学の堅牢性は、それ以降に大きく向上した。
たとえばチェスキンの研究にはピアレビューがなかったが、現代ではほぼすべての論文がきちんとほかの科学者による検証を受ける。期待が味覚にもたらす影響についても、その後にピアレビューを受けた論文が何本か発表されている。
2006年にテキサス大学オースティン校マコームズ・スクール・オブ・ビジネスの教授ラジ・ラグナサンが行った研究もその一つだ。
食品がヘルシーであるという情報をあらかじめ教えられていた場合、その期待が味の評価をどう変えるか調べている。
ラグナサンの実験では、被験者にインド料理と飲み物をふるまった。半分のグループには、ラッシーは健康に効くドリンクだと教える。残りの半分のグループには、ラッシーは健康にいいとかそういう類のドリンクではない、と教える。食事のあとに味の採点を求めると、ラッシーは健康とは関係ないと思わされた被験者たちのほうが、そうでないグループと比べて55%も高く料理を称賛していた。
最後に第3のキーワードは、「レンジ(Range)」、幅広さである。
行動科学のルーツは社会心理学にあり、社会心理学の歴史は1890年代までさかのぼる。心理学者は長い年月をかけて、人間の行動を促す隠れた要因を何千種類も特定してきた。これだけの幅広さがあるのだから、マーケティングの課題が何であれ、関係のありそうなバイアスを見つけて利用することはできそうだ。
マーケティングに役立つ数々のアイデア
レリヴァンス、ロバストネス、レンジ。この3つが、ビジネスに行動科学を取り入れるべき強固な理由だ。とはいえ、応用すべきだと知っただけで、すぐに実際の応用につながるわけではない。多彩だからこそ、出発点を見つけるのに迷うこともあるだろう。
本書はそうした壁を取り払うことを目指している。多種多様なバイアスをやみくもに検討しなくてもいいように、もっとも役立ちそうなものだけを選び抜いた。本書で紹介する16と1/2のアイディアは、応用もしやすく、マーケティングに絶大なインパクトをもたらす力をもっている。
(翻訳:上原裕美子)
(リチャード・ショットン : イギリス広告代理店協会(IPA)名誉会員、ケンブリッジ大学チャーチル・カレッジ・モラー研究所アソシエイト)