広島のスカウト統括部長を務める白武佳久氏【写真:山口真司】

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4年目の1986年に白武佳久氏は5月からローテ入り…リーグ優勝に貢献した

 ミスター赤ヘル・山本浩二外野手の現役ラストシーズンでもあった1986年、阿南準郎新監督率いる広島はリーグ優勝を飾った。当時プロ4年目右腕だった白武佳久氏(現・広島スカウト統括部長)にとっては初めて1軍に定着したシーズン。5月から先発ローテーション入りしてチームに貢献した。加えて、北別府学投手のファンだった歌謡界の女王・美空ひばりさんとの思い出も忘れられないという。

「1986年は阿南さんが監督になられて、けっこう投げさせてくれたんですよねぇ」と白武氏は懐かしそうに振り返った。開幕当初は中継ぎだったが、4月10日の巨人戦(広島)に2番手で登板し、5回2/3を無失点で勝利投手になるなど、結果を残した。5月11日の巨人戦(広島)には先発のチャンスを得て、6回2/3を2失点で勝利投手。中5日で5月17日の大洋戦(新大分)に先発すると、2失点完投勝利を無四球で飾り、先発ローテ入りを果たした。

 この年は同い年の金石昭人投手が12勝、後輩ルーキーの長冨浩志投手は10勝をマークして新人王に輝いた。その中で白武氏の成績は24登板(14先発)、4勝6敗、防御率3.78。好投した時に限って援護が少ないケースが目立ち、勝ち星に恵まれなかったとはいえ、数字上では悔しい結果に変わりはない。だが、年間を通じて1軍にいたことは大きな前進だったし「やっぱり、あの優勝はうれしかったですよね」と笑顔で話した。

 1986年10月12日のヤクルト戦(神宮)で阿南・広島は優勝を決めた。先発・北別府が8回3失点、9回は守護神・津田恒実投手が締めてのVだった。ちなみに白武氏はその翌日に先発して2回5失点でKOされた。「(祝勝会後に)ピッチングコーチの安仁屋(宗八)さんと一緒に飲みに行って『明日、お前先発だぞ、大丈夫か、飲んでて投げれんとか承知せんぞ』って言われたのを覚えています。『わかりました』と言ってガンガン飲んでね……。で、5点取られたんですよね」。

美空ひばりさんの自宅で食事を振る舞われたことも「楽しかったですね」

 そんな優勝シーズンの思い出として白武氏が口にしたのが美空ひばりさんとの交流だ。「優勝が決まる前は選手5、6人で東京の“ひばり御殿”に行って、ごはんを食べさせてもらったんです。初めてでしたね。あんなすごい芸能人に会うのは……。優勝が決まった日は“最後はお嬢(ひばりさん)が待っているぞ”って言われていたのに遅れて、ひばりさんがいるお店に行って怒られましたけどね。でも、あの頃が一番、楽しかったですね」。

 ひばりさんとは通算400勝の大投手・金田正一氏(元国鉄、巨人)が親しく、さらにひばりさんが北別府ファンということで、その縁が正一氏の実弟で広島OBでもある金田留広氏からカープ投手陣に広がったそうだ。「金石も金田さんの親戚(甥)ですしね、そういうつながりですよ」。なんでも“ひばり御殿”では、白武氏がカラオケでちょっと音を外したのがきっかけで、ひばりさんの生歌を聴けたとか……。

 白武氏はこんな話も付け加えた。「優勝旅行はハワイで、金石とゴルフに行こうってなったら、おじさんも来るからっていうから、留広さんかなって思っていたら、正一さんが来たんですよ。その時、初めて大投手にも会いました。『おう、お前が白武か』って言われてね」。のちに白武氏はトレードでロッテに移籍するが、その時の監督が金田正一氏。「そういう縁があったのかなぁって、後になって思いましたけどね」。

 優勝を味わえたのは最高だったが、強力な先輩投手だけではなく、同世代も、後輩も猛烈にレベルアップし、チーム内での競争はさらに激化。白武氏の闘いもまた、より厳しいものになっていく。翌年1987年からは再び先発の“谷間稼業”が待っていた。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)