現代社会において本が危険物と見なされることはめったにありませんが、実は一部の古書には危険な「毒」が含まれています。一体どのような古書に危険な毒が含まれているのかについて、イギリスのハル大学でサイエンスコミュニケーション教授を務めるマーク・ローチ氏が解説しています。

Many old books contain toxic chemicals - here’s how to spot them

https://theconversation.com/many-old-books-contain-toxic-chemicals-heres-how-to-spot-them-228834



アメリカのヴィンタートゥール博物館・庭園・図書館やデラウェア大学は、「Poisonous Book Project(有毒本プロジェクト)」という共同研究プロジェクトに取り組んでいます。Poisonous Book Projectは本の内容ではなく、「その本が潜在的に有毒な顔料を使っているかどうか」に焦点を当て、目録の作成を行っているとのこと。

「本に毒が含まれているかもしれない」と聞いても、あまりピンとこない人も多いかもしれませんが、これは製本の歴史に関連しています。かつて本の装丁には革が多く使用されていましたが、19世紀に本の大量生産が始まると製本業者はより安価な布を表紙に使い始めました。この際、読者の目を引きつけるために、布を明るい色で染め上げることが流行しました。

当時人気のあった顔料のひとつが、シェーレグリーンという鮮やかな緑色の顔料でしたが、劣化してすぐに黒くなってしまうため最終的には人気を失ったとのこと。しかし、シェーレグリーンをベースに派生したパリスグリーン(エメラルドグリーン/花緑青)などの緑色顔料は耐久性に優れていたため、本の装丁や衣類、ろうそく、壁紙などを緑色に染めるために広く使われました。



by Wikimedia Commons

ところが、実はシェーレグリーンの原料には強い毒性を持つヒ素が含まれており、派生したパリスグリーンなどもヒ素を含有していました。そのため、クリスマスパーティーで使われた緑色のろうそくによって子どもが亡くなったり、緑色のペンキを塗った工場労働者がヒ素中毒で死亡したりするなど、さまざまな社会問題を引き起こしました。

ヒ素を含んだ緑色顔料は、胃がんで死んだとされるナポレオン・ボナパルトにも悪影響を及ぼしたという説もあります。ナポレオンは鮮やかな緑色を非常に好んでおり、追放されたセントヘレナ島の住居であるロングウッド・ハウスを緑色の顔料で塗るように命じたほどだとのこと。

19世紀後半になると次第に緑色顔料の有毒性が認知されるようになり、1862年には風刺雑誌の「パンチ」に骸骨が踊る様子を描いた「ヒ素のワルツ」という風刺画が掲載されました。これは、ヒ素を含んだ衣装で踊る人々を風刺したものでした。



Poisonous Book Projectが主に焦点を当てているのは、この「ヒ素を含む緑色顔料を装丁に使用した19世紀の本」です。ヴィンタートール図書館やフィラデルフィア図書館が収蔵する19世紀の布装丁本のうち緑色の書籍350冊をテストしたところ、合計39冊で装丁にヒ素が含まれていることが判明したとのこと。

ヒ素を含む古書によく見られる特徴としては、「イギリスや北アメリカで製本された」「表紙と裏表紙が鮮やかな緑色の布で覆われている」「背表紙が鮮やかな緑色またはあせた茶色」「金箔や空押し(色は着けずプレスのみで凹凸を付けること)で装飾されている」「出版時期は主に1840〜60年代」「モロッコ風の木目パターンで飾られている」といったものが挙げられています。



by Winterthur Library, Printed Book and Periodical Collection

また、Poisonous Book Projectは緑色の本だけでなく、水銀を含む辰砂(しんしゃ)に由来する赤色の顔料や、クロム酸鉛を含む黄色の顔料を使った本も、人体にとって有毒な可能性があると指摘しています。

Poisonous Book Projectの取り組みにより、2024年4月には「有毒な顔料が使われている可能性がある」として、フランス国立図書館から2冊の本が撤去されたとのことです。

ローチ氏は、実際に「19世紀の緑色の本」に遭遇した場合でも、本を丸ごと食べるようなことがなければ重度のヒ素中毒にはならないため、最初から過度におびえる必要はないとしています。しかし、偶発的にヒ素化合物に触れると目や鼻、喉を刺激する可能性があるため、素手で触れたり普段使いの机やベッドに持ち込んだりするのは避けた方が安心です。

また、仕事や研究でこれらの本に頻繁に触れる人は、手袋を着用して直接本に触れないように気をつけたり、作業が終わった後で本が触れた表面を清掃したりした方がいいとローチ氏は推奨しました。